不遇の時に何をしていたかが重要

ビジネスでは不況の時は物が売れずマイナスだ。しかしマイナスだけではないと松下幸之助は言う。『道は無限にある』から引用する。

事業に携わる者として、よく考えておかねばならないことは、好況時には少々の不勉強であっても、サービスが不十分であっても、まあどこでも注文してくれるわけです。だから経営の良否ということはそう吟味されなくてすむのです。
ところが不景気になってくると、買うほうは十分に吟味して買う余裕ができてきます。そこで、商品が吟味され、経営が吟味され、経営者が吟味されて、そして事が決せられることになるわけです。ですから非常にいい経営のもとにいい人が育っている会社や店は、好景気にはもちろん結構ですが、不景気にさらに伸びるというわけです。そういう会社、商店は好景気に良し、不景気にさらに伸びるということにもなるわけです。

好景気の時は優れた企業と内容の無い企業の差がつかないと言う。不景気になると優れた企業が選ばれ生き残る。「買い手が慎重になる」という陰の裏に「優れた企業が生き残る」という陽が貼りついている。



『ビジョナリーカンパニーZERO』にも同じ内容の記述がある。

誰でもうまく行きやすい好況期には、偉大な企業と凡庸な企業を見分けるのは難しい。しかし激動期になるとその差は歴然とする。日頃から建設的パラノイアを実践してきた企業は、弱った凡庸な競合のはるか先を行くようになる。準備不足の競合が破壊的ショックをなんとか生き延びたとしても、おそらく埋められない差がついている。嵐の前に備えをしていた強い企業は決して振り返らず、常に先を走り続ける。

「建設的パラノイア」とは好景気や企業の調子がいい時でも、常に会社に間違えたことが起きていないか、将来の没落の芽がでていないかをパラノイア的に心配する企業を指す。「嵐の前の備え」が出来ている企業である。

松下幸之助に次の言葉がある。『日々の言葉』から引用する。

好況の時どうしていたかが、不況になって生きてくる。

建設的パラノイア企業は好況の時に備えを怠らない。

1999年から2000年にアメリカではインターネットバブルと言う現象があった。これからの時代はインターネットということでたくさんのITベンチャーができて株価が急上昇。しかし内容のない企業も多く2001年にバブルがはじけるとその多くは倒産した。しかしアマゾンのような優れた企業はその後も生き残り続けていく。

『論語』子罕篇に次の言葉がある。

書下し文
子曰く。歳寒くして然る後に松柏の彫むに後るることを知る。

現代語訳
孔子が言われた。冬になり寒くなってはじめて、松や柏が葉が散らないで残ることが分かる。

「彫む」は「しぼむ」と読む。多くの樹々は寒くなると葉が散ってしまう。しかし松の葉は残り続ける。暖かい時にはその差は表れないが寒くなると違いが明らかになる。同様に人も企業も危機や不遇の時にこそ、その真価が分かるというのだ。

多くの人は成功者が成功しているのを見てすごいと言う。それは全く正しい。しかし人を見る眼がある人は、成功者が不遇のどん底にある時に何をしていたかを見るという。不遇の時にもあきらめずにコツコツ努力を続けていたかどうか。

DeNAというインターネットオークションの会社の創業者に南場さんと言う人がいる。『不格好経営』という本がある。創業時の面白い話が載っている。インターネットオークションの企業なので起業する際、コンピュータシステムが当然必要になる。しかし、いざ起業という時に、発注していたシステムが全くできていないと判明したそうだ。出資してくれる投資家も決まったのに肝心のシステムが無い。出資も取りやめになるかもしれない。経営陣はパニックになったという。しかし何とか挽回しようと努力する。懸命の努力をしているときその時出資してくれる投資家から次のようなメールを受け取ったそうだ。

DeNAの経営陣は徐々に落ち着きをとり戻し、正しい経営判断をしはじめていると評価します。この事件は起こらないほうがよかったでしょう。しかし起こってしまいました。こうなったからにはどうやって立ち直るかが問題です。DeNAのこれからの立ち直り方に、ソニーやリクルートから真に独立した経営陣として認められるか否かがかかっています。投資家はそのような目で見ていることを、片時も忘れず対処してください。

ソニーやリクルートは出資してくれる投資家。人を見る眼のある人はこういうところを観ているんだなとよく分かる場面。我々一般人は成功者が成功しているのを見てすごいと思う。しかし見る眼のある人は逆境の時を見ているようだ。南場さんの文章は続く。投資家のメールを受け取った後の場面。

「ちょっと!」と声をあげて皆を呼んだ。そうだ、掘った穴が大きいほど面白いステージになる。そう思ってやるしかないのだ。見事に立ち直る様を魅せようじゃないか。ひとつのパソコンの画面を食い入るように見入る全員のなかにこんな気持ちがむくむくと盛り上がっていった。こうして大失態の発覚から48時間後「カッキーン!」と音が鳴るように全員が同じ方向を向き、気持ち悪いほど前向きな集団に生まれ変わった。

逆境をプラスに変えてDeNAは見事に立ち直っていった。

『菜根譚』に次の言葉がある。

書下し文
逆境のうちに居らば、周身皆鍼箴薬石にして、節を砥ぎ行を磨きてしかも覚らず。
順境のうちに処らば、満前尽く兵刃戈矛にして、膏を鎔し骨を靡してしかも知らず。

現代語訳
逆境にあるときは、身の回りの全てが針灸や薬となり、節操を砥ぎ行いを磨いているが本人はそれに気づいていない。
順境にあるときは、目の前のすべてが刃や戈であり、自分の肉を溶かし骨を削っているのだが本人は知らずにいる。

逆境にある人は解決すべき問題を抱えている。だから問題を解決しようと努力する。そのため向上し続ける。しかし本人は「なんでおれはこんな回り道をしてきついことを続けないといけないのだ」と思っている。



順境にある人は人によっては油断してその後の破滅の準備をしているが、「もうかって仕方ない」と言ってそれに気づいていない。



『菜根譚』に次の言葉がある。

書下し文
衰颯の景象は即ち盛満の中に在り、
発生の機緘は即ち零落の内に在り。
故に君子は
安きに居りては、
宜しく一心を繰りて以て患を慮るべく、
変に処しては、
当に百忍を堅くして以て成るを図るべし。

現代語訳
衰えの兆しは最も盛んなときに生じており、
新しい芽生えの働きは零落しているときにすでに生じている。
だから優れた人は平安無事の時にも、志を忘れず将来の艱難に備え、
困難に直面しても、忍耐して後日の成功を図るのである。

松下幸之助の言葉を再度引用する。

好況の時どうしていたかが、不況になって生きてくる。

逆に言うと不況の時にどうしていたかが、好況になって生きてくるとも言えるはず。

■作成日:2023年7月25日

■2023/7/26追記。

別に大きな逆境の時だけではない。小さな逆境でもどうしていたかが重要。たとえば仕事の前の日よく眠れなくて仕事の日に睡眠不足で調子が極端に悪かったとしよう。「調子悪いからどうでもいいや」と投げやりになるのはダメだ。そういう時はそういう時で、無理せず、しかしできるだけ仕事の質を落とさず、調子が悪いなりになんとか仕事をやりきる訓練の機会を得たと思って取り組むべき。小さな逆境はたくさんあるのでそのたびに学んでいけばそのうち大きく違ってくる。

続きは物事の二面性と権謀術数をご覧ください。

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