スピード感のある学生だけがすぐれた人材なのか?

就職活動ではスピード感がある学生が評価される。人の話を聞いてすぐに鋭い意見を返す。問題を聞くとすぐに答えを提示する。たしかに頭がよく見えるし、実際賢いのだと思う。しかしそのような人材だけが重要な人材だろうか。

前回述べたように、国や社会やコミュニティにおいては、理想とされる人材像がある。例えばあるコミュニティで大胆な人が重要という価値観が支配的だとする。すると繊細な人は日の目を見ないことが多い。繊細な人には確かに短所はある。しかし当然長所もある。しかしそのコミュニティでは認められない。それだけならまだしも、その人自身も繊細さを悪だと思い、その長所を捨ててしまう場合がある。悲劇だ。

就職面接でも似たようなことが生じる。就職面接ではスピード感のある学生がもてはやされる。『採るべき人、採ってはいけない人』から引用する。

わが国では、あらゆるビジネス現場でスピードが重視され、スピード感のある人がもてはやされる傾向があります。採用選考の場でも例外ではなく、経営者や採用関係者は、質問に対してすぐ答えを返すことができ、テンポの良い会話を維持できる応募者を好みます。多分そのような応募者に「頭の良さ」を感じるのでしょう。

スピード感のある学生はたしかに頭がよく見える。しかし本当に頭のいい「思考力のある人」は必ずしもテンポの良い会話をしないという。続けて引用する。

思考力の高い人は、ひとつの情報に接すると、必ずほかの関連情報を求めるので、その時点で「即座に反応する」という行動とは逆の方向に向かって動き出します。それから複雑な情報処理を経て言葉を紡ぐプロセスに至るので、そこまでに相応な時間がかかってしまうのです。

本当に問題を根本から考える「思考力の高い人」は問題があるとまず関連情報を集めるという。それによって徐々に問題の全体像が明らかになり根本的な解決策に近づける。だからすぐに答えを出せないのだという。それに対してスピード感のある学生は次のような行動に出る。

一方で、思考しない人は、ひとつの情報を得ると反応的に口を開きます。中でも思考しない学力秀才は、ひとつの元情報を得た時点で頭の中にたくわえてある豊富な情報を引き出せるので、スピードある対応にそれらしいコンテンツがついてきます。その派手さが見る人に訴求しますが、物事の本質から離れたところで発信されるものに生産性は宿りません。どうやらスピードと思考との親和性は間違いなく低いようです。

就職面接のグループ討議でA4用紙2枚の課題を学生は渡される。そして10分で読むと討議が始まる。スピード感のある学生は、あまり時間をかけて真面目に課題を読まない。そのかわり自分の意見を言えそうなキーワードを探してそれに絡めて自分の意見を言う。そっちのほうがスピード感のある討議ができるからだ。しかし中には真面目に内容を読む学生もいるという。さらに引用する。

そんな中に、指示された通りに課題を読んで、内容を理解しようとする学生が混ざることがあります。その人も10分間の準備時間内に課題を読み込んで内容を理解することは難しいはずなので、討議開始の時点では口を開ける状態にありません。それなのに他のメンバーが次々としゃべりだすので、「みんなすごいなあ・・」「自分だけダメなのかな・・」と他の人が課題の理解を放棄していることなど知らずに焦ったりもするでしょう。
それでも時間がたつにつれて徐々に課題の中の情報をつなげて書いてあることの意味を理解できるようになり、問題の全体像が少しづつ見えてきます。そこではじめて自分の意見が形成されますが、その時点での討議は、すでに課題の前提から外れてわけのわからない流れになっており、自分の意見とは絡みそうにもありません。それでも思い切って討議の中にわってはいります。
しばらく黙っていた人が急に入ってきたので、みんなは動きを止めて注目しますが、遊んでいた人たちには、課題に向き合い続けた人がたどり着いた世界を理解できるはずもなく、その貴重な本質論は置き去りにされ、みんなはまた不毛な雑談へと戻っていきます。時間をかけて産み出したものが、あえなく捨てられた戸惑いと切なさを封じ込め、その人はまた改めて課題と向き合うのです。

私自身この「遅い人」の典型例なのでこの個所は非常に実感としてよくわかる。スピード感のある人たちの意見を「すごいなあ・・」と思いながら聞いてそれらの情報を参考にしながら問題の根本に近づこうとする。大体このパターン。

しかしこのパターンの人は採用選考では評価されない。さらに引用する。

面接で応募者の遅滞や停滞を目にして「頭が悪い」「きっと仕事ができない」と決めつけてしまう経営者や採用関係者が少なくありません。そんな人は思考が時間を要すること、経験と知識に頼る作業領域ではスピード重視もOKだが、マネジメント領域ではスピードが求められないこと、そして今の時代は作業領域が減ってきていることなどをご存じないのでしょう。
こんな無思考なスピード礼賛文化が続いたのでは、そうでなくても希少である思考力の持ち主に光が当たりません。そしてその人たちの思考力もいつか日の目を見ないうちに消えていくことになります。実際に静かな若き思考人の多くが、自分のスピード不足を嘆き、思考とは無縁のスピードスターたちを模倣しようとしている現実があります。

ある国や社会やコミュニティで理想とされる人材像から外れた人たちは自分の長所を捨ててしまう。採用選考でスピードのみが重視されるので、根本的解決を目指す「遅い人」は自分自身の長所を捨ててしまうという現象が発生しているという。しかしだからといって遅ければいいというわけではない。遅いだけの人もいる。遅くて物事の根本解決を目指す人を判別するのは困難である。さらに引用する。

思考力のような仕事の生産性に直結する重要な仕事力はこころの奥深いところで静かに作動するので、見えやすい行動によってアピールされることがありません。

要は「遅くて根本的解決を目指す人」の能力は、その人を観察しても外からはよくわからないというわけなのである。そのような人を判別するのは至難の業である。

スピード感のある学生と遅い学生は下の図で表せる。



この本は「遅い人」がどのようにして根本的解決を目指すかを非常に的確に表現している。私自身「遅い人」なので非常に共感する。しかしこの本の結論には反対である。この本は「遅い人」が重要で「スピード感のある人」は表面的で意味がないと結論している。しかしそれは現在の採用選考における「スピード礼賛」を否定して「遅い人礼賛」で置き換えているだけだ。ひとつの極端からもう一つの極端にぶれている。

実際には遅い人はスピード型の人たちの意見を聞いて「みんなすごいなあ・・」と思いながらそれらを参考にしながら根本的解決にたどり着く。要はスピード型の人たちの意見を参考にしているのである。遅い人ばかりになると参考にすべき意見が少なくなり問題は解決にたどり着かないかもしれない。私自身遅い人間なのでスピード型の人たちの意見が重要なのがよくわかる。

物事は陰と陽が交わるときに豊かさが生まれる。スピード型の人たちと遅い人たちが両方いるときに化学反応が生じ、物事はうまくいくと思われる。遅い人が重要だからと言ってスピード型の人たちを否定するのは、右の極から左の極に移動しているだけであり、悪い意味で日本的な結論になってしまう。

私は東大に入学したが、当時東大では前期入試と後期入試があった。前期は一般的な学力試験。後期は論文試験。私は前期。大学で衝撃を受けたのはひとつはゼミ。本格的な哲学のゼミを受けて、すごい世界だなと思った。

もうひとつは同期の学生。特に後期試験の人たち。論文で入学した人たち。学生は受験した試験内容でフィルタリングされる。後期の人たちは当然前期の入学者とは別の個性である。違う個性が交わることで化学反応が生じる。実際、深い思考力を持つ後期入学者と話すことで私自身の中で化学反応が生じたのを今でもはっきりと覚えている。

一時期ゆたぼんという中学に行かない少年が話題になった。ゆたぼんについては詳しく知らないが、中学に行かないという選択肢もいいのかもしれない。もちろん相当苦労するだろうし、正しい結果にならない可能性はある。もちろん私も誰も責任はとれない。

しかし小卒であることは既存の概念にとらわれないという長所もあるかもしれない。田中角栄についてそんなに詳しくないが、彼も小卒である。小卒の総理と東大法学部の官僚が連携するというのも、陰と陽の交わりの一つの例かもしれない。

お笑いコンビで小卒のひとと大卒のひとがコンビを組んでいる例もあるという。これもOR型をとり自分の短所を補う人と連携するというパターンのひとつである。

いずれにしても言いたいのは、スピード型の学生も遅くて根本的解決を目指す学生も両方必要だということである。スピード型の人と遅くて根本的解決を目指す人の両方が交わるときに大きな力が生まれる。

社会やコミュニティにおいて理想とされる人材像はあるし、あってもいいかもしれない。しかし悲劇なのは遅い学生がその長所を捨ててしまうように、否定的にみられる人が自分の長所を捨ててしまうことである。

たしかに能力には優劣がある。しかし個性には違いがあっても優劣はない。スピード型も遅い人もそれぞれ持ち味は違っても重要なのだと思う。個性をうまく生かす道を考えるべきだ。

DeNAの南場さんの『不格好経営』に次の言葉がある。

会社には、戦略立案が得意な人、サイトデザインができる人、システムがつくれる人、お客さんがとれる人、お金を守る人、チンピラを追い払える人、安価で斬新なマーケティングが組める人など、いろいろな役者が必要なのである。多様な人材がいたほうが組織は強くなる。

速い人と遅い人も恐らく両方が必要なのだと思われる。

■作成日:2023年8月31日

続きは日本人の「繊細さ」をどう生かしていくかをご覧ください。

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