日本に足りない体系的思想。体系的戦略がない原因。

日本人は優秀である。youtubeとかで識者の話を聞いていると非常に面白い。それらは当然ながらとても私では思いつかないようなアイデアばかりである。しかし多くの場合それらは単発的なすぐれたアイデアであって、ひとつひとつのアイデアが有機的に連関しあう体系的なアイデアではない場合が多い。それらのアイデアが体系を成す体系的思想が無いのが、日本人が戦略が不得意である原因のひとつになっている。

今回のシリーズを全部読んでくれた人は少ないと思うし、部分だけ読んでくれてもとてもありがたいのだが、全部読んでくれた人は、今回のシリーズに思想的体系があるのを分かっていただけたのではないかと思う。部分部分のパーツであるアイデアが相互に連関しあって体系をなしている感じ。私の文章が十分に分かりやすければ伝わったと思う。

自転車に喩える。自転車にはパーツがある。ハンドル、サドル、タイヤ、チェーン、ペダル、ブレーキ、荷台、泥除け、ライト・・などなど。自転車のパーツはそれ自体として価値があるとしても、それ以上に意味があるのはそれぞれのパーツが連携して、自転車が動いたり止まったり曲がったりできるということである。パーツ自体よりその連携に意味がある。

今回の論述もひとつひとつのパーツもそれ自体として重要である。おそらくパーツとして面白いものもいくつかあるだろう。しかし今回、私が伝えたかったのはパーツとしての思想よりも、パーツが組み合わさって体系をとることができるということ、思想というものが体系をとりえるということである。

今回書いた文章の中には面白くない回もあったと思う。しかしそれを書かないと全体の体系が成立しない。自転車でいえば、「すぐれたタイヤが見つからなかったので、今回はタイヤ無しね」とはならない。だから面白くない回も書かざるを得なかった。重要なことは思想が体系をとりうるということを示すことだった。

思想を勉強した人にとっては思想に体系があるなど当たり前かもしれない。しかしその場合も恐らく西洋の思想であり、日本人にとって血肉化しやすい思想かは疑問だ。西洋思想が得意な人は血肉化できるかもしれないが、少なくともそれは少数派である。そして多くの日本人は思想が体系をとりえるということ自体を知らない。

たとえばビジネスにおける戦略は体系が必要である。ひとつひとつのアイデアが相互に連関する。ハードウェアとソフトウェアとビジネスモデルと経営理念が連携する。Appleの音楽戦略もiPodというハードとiTunesというソフトと1曲99セントというビジネスモデルが相互に連携して体系をなしている。

それを持つためには恐らく戦略を作る人の背後に体系的な思想がないといけない。体系的思想においてはひとつひとつの個々のアイデアが相互に連関して体系をなす。同様にビジネスの体系的戦略においてはハードウェアとソフトウェア、ビジネスモデルや理念が相互に連関して体系をなす。『スティーブ・ジョブズI』の序文でウォルター・アイザックソンはスティーブ・ジョブズに関し次のように述べる。

彼の個性と情熱と製品は全体がひとつのシステムであるかのように絡みあっている。アップルのハードウェアとソフトウェアがそうなっていることが多いように。

スティーブ・ジョブズの仕事はひとつひとつの要素が連関して体系をなしているのが分かる。体系的戦略の持ち主である。

『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』にジェフ・ベゾスに関する次の言葉がある。

彼はとても内省的で、どのようなことでも体系的に対処するのです。

ベゾスも同様に体系性を持っている。それはアマゾンの戦略を見れば一目瞭然である。

『ビジョナリーカンパニー』から引用する。

ビジョナリーカンパニーの建築家は、戦略、戦術、組織体系、構造、報奨制度、オフィスレイアウト、職務計画など、企業の動きのすべてに一貫性を持たせようと努力している。

一貫した信念に基づいていればその会社の戦略は一貫性を持つ。体系性と一貫性を備える。部分部分がバラバラではなく体系的で一貫しているのである。

体系性の一つの例がiTunesとiPodである。ユーザーはマッキントッシュ上のiTunesで買った曲をiPodで聴く。スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。

我々はハードウェアの経験があり、工業デザインの専門知識やiTunesなどのソフトウェアの専門知識も持っていた。我々が考え出したアイデアの中で特に素晴らしかったのは、ユーザーの音楽ライブラリをiPod上で管理するのではなく、iTunes上で管理しようと決めたことだ。他社は何でもかんでもデバイス本体でやろうとして複雑で使えないものにしていた。

曲の管理をiPodというハードウェア上でやろうとすると、複雑で使いづらいものになっていたという。iTunesというソフトウェア上で管理することにしたのだ。『スティーブ・ジョブズII』から引用する。

itunesで曲が売れれば、ipodが売れ、そうすればマッキントッシュが売れる。同じことがソニーでもできたはずなのに、ハードウェアとソフトウェアとコンテンツの部門を協力させられずに失敗した。

単なる技術力で比較すれば同じことがソニーでもできたかもしれない。しかし複数の部門を協力させることができなかったのだという。組織の部門がバラバラだったのかもしれない。組織と戦略の体系性と一貫性でApple社のほうが上回っていた。

それは日本人が体系的戦略が苦手だからである。スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。

iPodがなぜ世の中に存在しているのか、そしてアップルがなぜ携帯音楽市場に参入しているのか。その理由は市場を開拓し独占していた超一流の日本家電メーカーが、しかるべきソフトウェアをつくれなかったからだ。彼らにはこのようなソフトウェアの発想がなく、開発できなかった。iPodはまさにソフトウェアだからね。iPodっていうのは、iPod本体に組み込まれたソフトウェアであり、MacなどのPCのソフトウェアであり、クラウド上にあるストア用のソフトウェアでもあるんだ。

iPodをそもそもハードウェアとしてよりソフトウェアとしてとらえているのが面白い。それがiPodの本質だというのだ。

体系的戦略とは個々の部分が連関しあい体系性をなし、全体として一貫している戦略である。体系的戦略を立てる際、最初は部分ではなく全体から考えないといけない。イーロン・マスクに次の言葉がある。

知識を一種の意味的な木として捉えることが重要だ。基本原理、つまり幹や大きな枝をまず理解する。細部である葉に取りかかるのはその次だ。順番を間違うと、葉っぱのぶら下がるところがなくなってしまうから。

まず大雑把な全体から考えよと述べている。『言志後録』から引用する。

書下し文
将に事を処せんとせば、当にまず略その大体如何を視て、
しかる後に、漸々を以て精密の処に至るべくんば可なり。

現代語訳
ものごとに対応するときは、まずその大雑把な状況を把握して、
その後、徐々に細部を詰めていくべきである。

明治時代の維新の元老たちはそれができていた。彼らはまず幕末において西洋列強のアジア進出に対し日本はどうすべきかという大雑把な全体から、大きな問題意識から出発していた。そしてそのためには何をすべきかという細部を決めていった。

それに対して昭和初期の指導者たちは、全体ではなく「陸軍省」とか「海軍省」の利益から出発したという。もちろん日本全体という視点もあっただろうが、その前に省益など部分から出発していたと堺屋太一は指摘する。「部分の最適化」によって「全体が非最適化」されたのだという。

体系的戦略を持つ人は部分を見るとき、その背後の全体的な戦略を通してみる。だから細部と全体を常に行ったり来たりできる。というより細部と全体を同時に見ているはずだ。『スティーブ・ジョブズII』からジョブズについてのある人の発言を引用する。

スティーブは根本的な原理から、一気に細目へと行けるのです。

ジョブズは細部と全体を常に関連させてみているのが分かる。さらに引用する。

リーダーには、全体像をうまく把握してイノベーションを進めるタイプと、細かな点を追求して進めるタイプがいる。ジョブズは両方を追究する。過激なほどに。そしてさまざまな業界を根底から変える製品を30年にわたって次々と生み出したのだ。

日本人は戦略が苦手である。だから総花主義になると言われる。戦略とは優先順位をつけることでもある。総花主義は優先順位をつけきれていないのである。

日本人に戦略性がないのは、原因のひとつは体系的思想が日本にないことである。そもそも思想が体系をとりうるということすら知らない人も多い。もちろん今回述べたのは、儒教の思想体系のごく一部である。小規模な体系なのでこれだけでビジネスの体系的戦略をつくれるというわけではない。しかし思想が体系をとりうるということは伝わるのではないかと思う。

今回の思想はほぼすべて中国思想から持ってきた。中国思想には体系がないと思っている人もいる。たとえば『論語』は思想書であるにもかかわらず、中国思想以外の思想家からは「論語には思想がない」と思われていたりする。たしかに『論語』を読んでもそこに思想体系は感じないかもしれない。しかし儒教を学んだ人はみな同意すると思うが、儒教には合理的で柔軟で地に足の着いた思想体系がある。それを知った後で『論語』を読むと、「この個所は全体のこの部分のことだな」と分かる。

今回中国思想の体系の一部を自分なりに分かりやすくまとめてみた。儒教の古典は昔の書物である。昔の人は真理をとらえる直観力にすぐれている。しかしけっこう大雑把。だからきちんと整理されていない。この手の整理は現代人のほうがうまいので、私が頑張って整理してみた。うまくいったかどうかは分からない。

あと今回は思想体系を示すのが目的だったのだが、noteに自分の言いたいことを1から10まで詰め込むのは良くない気がしてきた。noteはショーウィンドウみたいなもので、人目をひくのが目的。それに対して、ブログのサイトが商品の倉庫みたいなもの。noteに全部詰め込むのはショーウィンドウに商品を大量に並べているような感じがしてきた。今後はnoteはあくまで、単発の記事として面白いものを載せようと思う。全体の体系はサイトのほうに載せて使い分ける予定。

これで今回のシリーズは終わりです。ありがとうございました。

■作成日:2023年9月14日

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