能力に優劣はある。しかし個性には違いがあっても優劣は無い。

人間は能力に優劣はある。たしかに非常に能力がある人もいれば、能力がない人もいる。しかし個性に優劣は無い。例えば「がさつで大胆な人」と「繊細で神経質な人」という対照的なふたりは個性や持ち味は違うがそこに優劣はない。ふたりともOR型。



ハーモニー型中庸を執るAND型が一番優れている。「繊細にして大胆」な人。バランス型中庸が次。繊細さと大胆さの中間を行く。OR型も人によってはバランス型中庸以上に優れている。NOR型は一番下。「がさつにして神経質」な人。たしかに能力に優劣はある。

OR型同士を比べてみる。「がさつで大胆な人」と「繊細で神経質な人」である。どちらが優れているだろうか。多くの人は自分に該当する型が優れていると思いがちである。世界では大胆な人の方が評価されやすい。日本では繊細な人も評価されるが、大胆な人の方が評価される傾向場合もある。

確かに大胆な人は細部にこだわらず、大局が見えて、大局的に正しい方向に決断していける。これは大胆な人の長所。

それに対して繊細な人はマイナスの評価を受けがち。確かに細かいところにとらわれて大局が見えないことがある。大局の判断には向いていないかもしれない。

しかし繊細な人には大胆な人とは違う長所がある。かなり昔、一緒の職場に繊細で神経質な人がいた。細かいところにこだわり気にしていた。私はある程度大雑把な方なので「そんなに細かいところ気にして大丈夫かな。大局見えてないぞ。」と思っていた。しかしその人は数か月たつと実力がどんどん上がっていった。

私は当時仕事をしていて失敗すると反省はもちろんしていたが、大体一時間に一回くらいしか反省していなかった。今思えば雑な仕事をしていたものだ。しかしその人は神経質で細かいところまで気になるので、五分に一度くらい「あ、失敗した。だめだな~。」とぶつぶつ言いながら改善していた。私は一時間に一度。そのひとは五分に一度改善していた。要はその人は私の十倍の回数改善していて、私の十倍の速度で改善していたのである。そのひとはどんどん上達していった。

繊細で神経質な人は大胆な人より劣ると思われがち。たしかに大胆な人の長所は紛れもなくある。しかし繊細な人もその繊細さを十分にプラスに活かせば大胆な人より優れた仕事ができる。繊細な人と大胆な人が同じ仕事すると大胆な人の方が大局が見えるので最初は大胆な人の方が有利に見えるが、長期的には繊細な人の方が大成する可能性はゼロではない。神経質であることはマイナスだが、細かいところまで気が付くという繊細さというプラスの側面は間違いなくある。

野村克也監督に次の言葉がある。

「人間の最大の悪とは何か。それは鈍感である。」
と私はよく言う。一流になる人間は例外なく「感じる力」に優れている。凡人なら見逃してしまうような小さな変化、差異に気づくからこそ、人より秀でることができる。

鈍感でがさつで大胆な人にも長所はあるから鈍感が悪だとは思わないが、たしかに繊細さは野村監督のいう通り長所になりえる。

社交的な人と非社交的な人も同じ。世の中では社交的な人が有利だし、評価される。実際社交的な人が優れている面は確かにある。しかし社交的な人は周りに合わせるので自分の世界を持たないことが多い。逆に非社交的な人は自分の世界を持つことがある。

一つの分野をきわめる人と飽きっぽい人も同じ。一つの分野をきわめる人は当然優れた業績を残す。いろんな分野に手を出す人は業績を残さない場合が多い。

しかし飽きっぽい人でもその個性を生かすことはできる。例えば専門分野以外に隣分野を学んで総合力で勝負することもできる。例えば思想と歴史と語学の3分野に習熟して総合的な業績をあげることもできるかもしれない。ITと生物学とビジネスを学び相乗効果を狙えるかもしれない。

いろんな分野に手を出す人は、一つの分野をきわめる人より認められるのは遅くなるかもしれないが、個性として劣っているのではない。晩成型になりあとから大きく逆襲する可能性がある。ある人が「それぞれの分野の習熟度はそこまでではなくても、3つの分野に習熟すれば独創的な仕事ができる」と言っていた。3つの分野に習熟するのは時間がかかる。しかし後半の追い上げと伸びは一つの分野をきわめる人より大きくなるかもしれない。

社会によって国によって時代によってコミュニティによって評価される人材は違う。現代日本では社交的な人のほうが非社交的な人より評価される。ひとつの分野をきわめる人のほうが、幅広い人より評価される。ここでふたつ問題がある。

社会やコミュニティの価値観でマイナスに評価された人は、自分の短所は理解するが、自分のタイプは全面的によくないのだと思いこみ自分の長所を認識せず、自分の個性を発揮できなくなる場合がある。逆に社会によってプラスに評価された人は自分の長所を理解するが、自分の短所を認識しなくなってしまうという傾向にある。その結果自分の短所で失敗する。自分の短所を認識していない人は自分の短所で失敗する。

個性に違いはある。一芸をきわめる人と幅広い人は別の個性。社交的な人と非社交的な人は別の個性。繊細な人と大胆な人は別の個性。たしかに個性に違いはある。しかし個性に優劣は無い。

同じOR型でも能力には確かに優劣はある。同じ「繊細にして神経質」な人同士でも能力に優劣はある。それは自分の個性を生かしきれているかの違い。繊細さという自分の長所を認識してそれを生かし、神経質という自分の短所を認識してそれで失敗しない人は能力的に優れている。逆にせっかく自分にある繊細さという長所を生かさず、神経質という自分の短所を認識せずそれで失敗する人は能力的に劣っている。個性に違いはあっても優劣はない。個性を生かせているかどうかで能力の優劣が存在する。

バランス型中庸をとらずあえてOR型でいくなら①自分の長所を認識して生かすことと②自分の短所を認識してそれで失敗しないこと、のふたつをセットで考える必要がある。

松下幸之助に次の言葉がある。『日々の言葉』から引用する。

長所も短所も天与の個性。持ち味の一部。うぬぼれず嘆かず大らかにそれらを生かす道を考えたい。

優れた料理人の中には味覚が他人とずれている人がいるという。味覚がずれているため他人とは違う個性的な料理が作れる。そういう料理人は味覚がずれているのをプラスに生かして個性にしている。

他人は「味覚がずれていてラッキーだったね」というかもしれない。しかしその人が優れた料理人ではなかったら、味覚がずれているからおかしな料理を作るんだといわれ「味覚がずれていて運が悪かったね」と言われるはずである。

味覚が平均的で優れた料理人もいる。そのひとはみなに受け入れられるオーソドックスで優れた料理を作るかもしれない。「味覚が平均的だからオーソドックスないい料理を作るんだね」と他人からは言われる。しかしその人が料理人として優れていなかったら、平凡な料理になり「味覚が平均的だからそんな平凡な料理になるんだね」と言われる。

同じように陰キャで自分の世界を持つ優れた人は「陰キャでよかったね」と言われ、繊細な性格で優れた繊細な工芸品を作る人は「神経質でよかったね」と言われ、いろんな分野に手を出して他人にはない総合力がある人は「飽きっぽい性格でよかったね」と言われる。

結局個性には違いはあっても優劣はない。しかしその個性を生かせているかで優劣は決まってくるのである。

■作成日:2023年8月28日

続きはスピード感のある学生だけがすぐれた人材なのか?をご覧ください。

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