失敗をプラスに

失敗の許容という考え方がある。セレンディピティとも言う。化学のような実験系の科学では実験の失敗から大きな発見が生じることがある。失敗という予測不可能な現象から予想外な展開が生じそれが大きな成功につながる場合があるという。

これはいろんな場面で稀に生じる。兵庫県の伊丹で400年以上前に清酒の作り方が発明されたのも偶然からという伝説がある。主人とトラブルを起こした下男がはらいせに酒樽に灰を投げ込んだところ、主人が後から見てみると濁り酒が澄んだ清酒になっていたという。下男が灰を混入したのはマイナス。事故である。しかしその裏に予想外の展開という陽が貼りついている。そしてそれによって清酒ができるというプラスの結果になっている。

今回も黒い二つの四角形が縦に並んでいるのを陰の記号とする。マイナス。白い長い四角形が陽を表す。プラス。




カローラ2という車のCM極に次の曲がある。

冒頭の歌詞。

カローラ2に乗って
買い物に出かけたら
財布無いのに気づいて
そのままドライブ

財布がないという失敗をプラスに変えている。陰を陽にかえる。

彼を迎えに出かけて
もう一時間待ちぼうけ
カローラ2はその時
私の図書館

時間が合わなくて待ちぼうけというマイナスをプラスにかえている。

ノーベルの発明したダイナマイトも失敗から生まれたという。ニトログリセリンという爆発しやすい液体があった。危険で非常に取り扱いが難しかった。ある日ノーベルが確認するとニトログリセリンを保管していた容器が壊れていた。非常に危険。しかしその時ニトログリセリンは珪藻土という土に浸み込んでいた。すると爆発しやすいニトログリセリンが爆発しにくくなっていた。いちど珪藻土に浸み込ませることで安定してニトログリセリンを扱えるようになったのだ。これがダイナマイトの発明になったという。



容器が壊れるという陰の裏に予想外の展開、今まで考えつかないアイデアという陽が貼りついている。それがダイナマイトの発明に繋がっている。

コロナがはやり始めたころカルボナーラを昼食に作ろうとスパゲッティをスーパーに買いに行った。するとなぜかその頃コロナの影響でスパゲッティが売り切れるという珍現象が起きていて、いつもつかっているお目当てのイタリア製のスパゲッティが売り切れている。ガクッとなる。仕方なく日本製のスパゲッティを買った。おいしくできるかなと不安で作ってみたが、食べてみると現代日本的なパスタに仕上がった。これはこれでうまい。新たな味に出会い、発見があった。



イタリア製スパゲッティが売り切れているという陰の裏に、いつもと違うパスタを楽しめるという陽が貼りついている。

最近ボロネーゼを作った。スパゲッティミートソース。料理初心者なのでレシピ通りに作る。しかし今回は間違えてトマトとひき肉の量を間違えた。肉が多すぎてトマトが少ない。味見をすると味のバランスが明らかに悪い。仕方なくトマトを追加して何とかバランスをとる。そしてその時のバランスの悪い味を良く味わって、バランスが崩れるとこういう味になるのかとその味をよく覚えておく。そうすると料理の勘が少し培われる。



材料の分量を間違えて味のバランスが崩れるのは陰。しかしバランスが崩れたからこそ、そのバランスが崩れた味を覚えることができる。料理の勘が育つ。それは陽になる。陰が陽に転じる。陰の中にある陽が物事を動かしていく。

こういう小さな失敗からも正しくその失敗の理由を反省していくと経験値が上がっていく。しかしそれは良いことばかりではない。失敗を許容して失敗を常に役立てていると、失敗しても得るものがあるため、人によっては「失敗してもいいや」と思って反省の度合いが少なくなるかもしれない。それで同じ失敗を繰り返すという結果になる。失敗から教訓を得るという陽が失敗を繰り返すという陰に更に転じる。

失敗という陰が、新たな発見と言う陽に転じ、新たな発見という陽が失敗を繰り返すという陰に転じてどこまでも続く。

『老子』第五十八章から再度引用する。

書下し文
禍は福の依る所
福は禍の伏す所
誰かその極を知らんや

現代語訳
禍を土台として福が生じ
福の内にはすでに禍が芽生えている
誰がその究極を知ろうか

失敗という禍を基に新たな発見という福が生じ、失敗のたびに新たな発見があるという福のうちに反省せず何度も同じ失敗をするという陰が潜んでいる。「誰がその究極を知ろうか」とある通り陰と陽はどこまでもらせんのように交互に続いていき、途中からその展開を我々は追えなくなる。失敗から学べるので、「失敗してもいいや」と思い同じ失敗を繰り返すと、その人はそのうち取り返しのつかない大きな失敗をしてしまうかもしれない。もしくは同じ失敗を繰り返すとその人は何度もそれらの失敗から学び成長を続けるかもしれない。その人にどういう結果が待っているかは、偶然も影響するので途中から追えなくなる。

ある日目的の品を買おうとデパートに行った。ネットで調べると〇〇デパートの本館のB1Fにあると判明。行ってみると無い。その店が無い。調べ直すと本館ではなく新館のB1Fと判明。ケアレスミス。新館に移動しようと思うが滅多に来ないデパートなので本館B1Fにどんな店があるかついでに見て回る。意外に良質な店があり発見がある。

松下幸之助に次の言葉がある。『日々の言葉』から引用する。

事実はひとつ。しかしその事実を明暗どちらの面から見るかによって、結果に大きな違いが出てくる。

本館と新館を間違えたことを「日頃来ない場所に来た」としてプラスとしてとらえ明るいほうから捉えることもできる。そして新たな発見を得る。それも良い。しかしマイナスに捉えることもできる。本館と新館を間違えたのを失敗としてとらえ、どうして失敗したのかという理由を正しく反省する。すると次からは間違えない。結局プラスに捉えてもいいし、マイナスに捉えてもうまくいく場合もある。しかし確かに違う結果になる。一番良くないのは間違えて「これだからオレはダメなんだよな」と落ち込むだけで終わるパターン。松下幸之助によると物事の二面性を捉えることはビジネスにおいても重要なようだ。

■作成日:2023年7月18日

続きはマンネリズムの偉大さをご覧ください。

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