さらに物事の二面性の具体例を

さらに物事の二面性の具体例を挙げていく。今回も白い長方形が陽を表し、黒い二つの四角形が陰を表す。



ビジネスで製品が優れているのは当然プラス。だから陽である。しかし製品が優れていると営業力が無くても製品が売れる。結果として営業力が育たないというマイナスが生じる。陰である。



逆に営業力が優れているとどうなるだろうか。営業力が優れているのは当然プラス。陽だ。しかし営業力が優れていると製品がそこそこでも売れる。その結果製品の改善への動機が弱くなるかもしれない。これはマイナス。陰だ。



有名になると富と名誉が手に入る。これはプラス。陽だ。しかし人によってはそれで十分と思いそれ以上努力しなくなる人もいるかもしれない。それはマイナス。陰だ。



逆に有名になっていないことはマイナス。陰である。しかしそういう人はどこまでも努力を続けるかもしれない。これはプラス。陽だ。



画家と小説家が以前対談していた。

画家「本って読む人にすごく負担かけるよね。」
小説家「私の主著は1200ページあります。」
画家「そうでしょ。読む側は絶対きついよね。」
小説家「でも逆に言うと本を一冊読むのに20時間かける人はたくさんいますが、ひとつの絵画を10時間鑑賞する人はいないですよね。」

これも物事の二面性。 私も1冊の本を10時間以上かけて読むことは日常だが、絵は最長記録は40分。 でもさらに逆に言うと絵のほうが見る時間が短い分、単位時間当たりの精神的栄養の吸収量は確かに多い。 結論いうと絵も本も私にとってはどちらもとても大切。





誰しも経験があると思うが嫌な人と付き合うと自分が成長する。嫌な人が近くにいるのはマイナス。陰だ。しかしその環境ではなんとかしようと努力工夫する。すると自分が成長する。これはプラス。陽だ。



私は以前脂肪肝だった。しかしそれから暴飲暴食をやめて健康に気をつかうようになった。ひとつ病気があるのはマイナス。陰。しかしそれで健康に気をつかい結果健康になるのはプラス。陽。一病息災という。



存在感が大きい人はアンチが多い。存在感があるほど注目される。興味を持たれる。だからアンチも多くなる。昔アンチ巨人が多かったのも王長嶋時代の巨人が圧倒的に強かったから。



存在感がないとアンチは存在しない。アンチロッテを名乗れば、「え、何で?」と言われるはず。



偉大な人物が現れるのは素晴らしいことだ。プラスであり陽である。しかし多くの人たちが偉大な人に心酔するとその人たちは偉大な人物の模倣に走り、せっかくあった個性を棄ててしまう場合がある。天才は周りの個性を押し潰してしまう。これはマイナス。陰である。ニーチェ『人間的、あまりに人間的』から引用する。

あらゆる偉大な天分は、多くの弱い方の力や芽を押し潰して、自分の周囲でいわば自然を荒廃させるような宿命的な性質をもっている。芸術の発展において最も幸福な場合とは、幾人かの天才が互いに制限しあう場合である。こういう闘いのさいは、通常弱い繊細なほうの天性にも空気や日光が恵まれるものである。


偉大な人物を見て心を奪われるのは偉大な人物から学ぼうとしている態勢ができているということである。しかし同時に自分自身を失うピンチでもある。

金が無いのはマイナス。陰である。しかし金がないとできる限り有効に使おうとする。陽だ。陰が陽に、マイナスがプラスに転じる。松下幸之助に次の言葉がある。『日々の言葉』から引用する。

お金に不自由しているときは、
使うにも真剣である。
だからお金の値打ちがそのまま生きる。


海外旅行で時間が無いのはマイナスである。しかし時間がないと事前に徹底的に旅行の計画を立てる。道にも迷わない。充実した旅行になる。昔は時間があったので平気で2週間、3週間の旅行をしていたが、現在はそんなに時間をとれない。しかし以前と同じくらい充実した旅行は可能だ。

しかし道に迷わなくなったので、今度は現地の人との交流が減った。以前は道に迷って道を聞いて現地の人との交流が自然と生まれていた。それが無くなった。



「時間が足りない」という陰が「効率」という陽に転じ、「効率」という陽が「交流が減る」という陰に転じる。

国内旅行にも行く。歴史に興味があるので歴史散歩になる。歴史散歩で重要なのは土地勘だ。歴史の本を読んだときに地名が出てきて「ああ、あそこか」と思えるのが重要。例えば朝鮮で起きた三一運動について「タプコル公園で起きた」と書いてあると「ああ、あそこか」とピンと来る。ソウルの街を歩き回って若干土地勘があるから。ソウルの地図を見るとなんとなく全体がぼんやりとだがイメージできる。土地勘があると歴史を臨場感をもって実感できる。日本古代史を読んでも私は奈良盆地を何度も旅行しているので土地勘があるのは有利だ。

国内旅行では基本レンタカーで移動する。カーナビがあるので便利。しかしひとつ問題がある。カーナビを使うと土地勘が育たない。自分で地図を読んで「あっちかなこっちかな」と考えると自然と土地勘が育つ。後で歴史の本を読むときに地図を見ても「ここはあの辺か」とすぐ分かる。

「カーナビが地図を代わりに読んでくれる」→「自分で読む必要が無い」→「時間の節約」→「効率的」となるが、同時に「カーナビが地図を代わりに読んでくれる」→「自分で読む必要が無い」→「土地勘が育たない」→「歴史を深く実感できない」ともなる。



別に私は新しい技術が生まれた時にそのマイナスのみを見て全否定するような守旧派ではない。そうではなくプラスとマイナスの両方を考えて比較したうえでその場その場でどっちにいくか判断する。時間が足りないときはカーナビを使い、重要な土地で土地勘がいる時はカーナビをあえて使わないという判断になる。

現代日本にはあまり生きた思想が無い。そして日本人はそのことに気づいていない。アメリカやヨーロッパ、イスラム、インド、中国といった現在でも思想が生きている国の人たちがビジネスのために日本にくると、日本に対してイライラするのは日本人に思想が無いからである。日本人は勤勉なのでビジネスで一時期成功した。外国から見ると日本にもビジネス思想、ビジネス戦略があるのかと思って日本に来てみると、がっかりするというのが定番のパターンのようである。たとえば宋文洲と言う人の『やっぱり変だよ日本の営業』という本は日本の営業の思想の無さを指摘した本だと言える。彼は中国人で大学から日本に来て日本で起業した人である。1980年代に日本が経済で成功すると、あれだけ売れているから日本企業に優れた戦略があるだろうとアメリカ人が日本企業を訪れて発見したのは、日本企業には戦略が無かったことだという。

日本の思想の無さはもちろん問題。しかし次のように考えることもできる。日本は思想が無いにもかかわらず一時期一定の成功を収めた。もしさらに内容のある生きた思想を得ることができれば、もっと良くなるということでもある。思想が無いのはマイナス。陰である。しかしその裏にのびしろがあるという陽が貼りついている。「思想が無い」という陰と「のびしろがある」という陽が表裏一体になっている。思想が無いからこそ思想を得ることができれば非常に伸びるということだ。日本は武器もないのに素手で戦ってそこそこ戦えているようなものであり、これは逆に凄いことかもしれない。アメリカや中国など国民全体が優れた思想を持ちそれをビジネスに転用できる国々とそれなりに戦えているのはすごい。良質な思想という武器を得たらもっと戦えるだろうと思う。



乾いたスポンジは乾いているからこそ水をたくさん吸収できる。日本は思想が無いからこそ、現代的で普遍的で地に足のついた生きた思想さえつくることができれば、その思想を受け入れることができる。おなかが減っている人だからこそたくさん食事をとることができる。逆説的だが日本は思想が無いからこそ思想で優位に立てる可能性がある。

■作成日:2023年7月22日

続きは不遇の時に何をしていたかが重要をご覧ください。

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