陰と陽 分野のかきねを超える思想

「陰と陽」と言うと何か非科学的で前近代的な迷信のようなものと思う人もいるかもしれない。確かに「陰陽」は前近代的概念である。近代以前の思想。しかし現代でも通じる思想であり、逆に用い方によっては現代において以前より重要になるかもしれない。

近代科学は物や問題を分解して、自然や課題を深く理解してきた。たとえばカブト虫がいるとして、それをその脚や甲や内臓などに分解して、それぞれを研究して理解する。全体像を把握する時はそれぞれ部分を研究した成果をもちよって全体を把握する。

この科学の方法は非常に強力であり、当然現代においても非常に有効な方法だ。未来においても重要なはず。今回の二面性に関する一連の文章も下準備の際に作業を分解して考えている。論旨を深める作業。全体の構成を考える作業。引用文を整理する作業。部分の詳細を書く作業。全体を幾つかの作業に分解して、効率を上げている。全体の構成を考える作業の時は細かいところは気にせず、全体だけを考えればいい。引用文を整理する時は文章の具体的内容はぼんやりと把握するだけでいい。引用先がどの本の何ページに載っているかを整理するだけでいい。部分の詳細を書くときは全体の構成を気にせず、目の前の内容に没頭してよい。分解して他のところを気にせず、現在行っている内容だけに安心して集中できる。課題を分解するのは非常に重要。各分野に専門家がいて、会社は部署ごとに分かれるのは当然理由がある。そっちの方が圧倒的に効率的になるから。

しかし課題を分解することの弊害もある。『最強組織の法則』という本に次の言葉がある。

問題にぶつかったらばらばらにするんだ。世界を細かく分解すればいい。―― 幼いころからわれわれはそう教えられる。これで複雑な課題やテーマも一見取り組みやすくなる。しかし、その裏にひそむ莫大な代価をわれわれは支払うことになるのだ。なぜなら、行動のもたらす結果をもう予測できないからである。つまり、より大きな統一体とつながっているという実感が失われてしまうのだ。そこでわれわれは「大局を見よう」として、頭の中にある断片を寄せ集め、全部のかけらを項目に分け、意味あるまとまりをつくろうとする。しかし、それはむなしい。割れた鏡の断片を寄せ集めて正しい映像を見ようとするようなものだから。こうして、やがて人は全体を見る努力をすっかりあきらめてしまう。

われわれは世界や課題を分解することに慣れてしまって、視野と思考が部分に集中し、全体像を把握する力を失っているというのだ。分解された世界の全体像を捉えなおそうとしても、それは割れた鏡の破片をつなぎ合わせて、鏡に映る全体像を見ようとするようなものだというのは印象的な比喩だ。

「陰と陽」は前近代的概念である。しかしこれも物事の二面性なのだが、前近代的概念だからこそ科学や科学的思考によって分断される前の世界観を保持している。全体のつながりを保持している。



われわれの使っている概念は多くの場合分野ごとに分断された概念である。我々は物や自然という対象を分断しただけではなく、人間が携わる分野も分断してきた。これは経済、これは歴史、これは哲学、これは物理学・・。それぞれに専門家が存在する。これは非常に強力な方法。それぞれの専門家が存在することで、人類の能力は飛躍的に向上する。当然ながら分野わけはこれからも重要。

しかし専門家ばかりになると全体像が見えなくなる。たとえばAIに意識があるかという問題は分野横断的な問題。人工知能の問題でもあるが、意識の研究をしている脳科学の問題でもあり、哲学の問題でもある。ひとつの分野をきわめただけの専門家では問題の全体像を捉えられない可能性がある。現代日本の停滞は、もちろん第一義的にはビジネスの問題であるが、思想や文化も関係してくる。全体像を捉えるにはひとつの分野の専門家では難しい可能性もある。

いずれにしてもそれぞれの分野でそれぞれの専門用語が生まれる。専門用語が生まれるのはよいことで、学問が進んでいる表れである。しかし専門用語は分野によって分断された概念である。経済学の用語は経済学でのみ使われる。物理学の用語は物理学のみで使われる。我々は対象を見る時、概念を通して見る。言葉と言う色眼鏡で見る。我々は対象を分解しただけではなく、対象を見る際の色眼鏡である概念も分野ごとに分割している。だから気づかぬうちに、概念に強制されて、物事を分解して見るのだ。意識しないうちに分断してみるように仕向けられているから、そのような世界の見方から逃れられないのだ。

それに対して「陰と陽」という概念は、すでにお気づきの通り、いろんな分野に現れる物事の二面性を捉える。分野横断的に本質を捉える。

現代では分野横断的に物事を捉えることが徐々に重要になってきている。シュムペーターはイノベーションを「新しい結合」と呼んだ。一見違う分野のもの同士が結び付くことである。分野横断的なつながりが重要なのである。我々は「陰と陽」という分野横断的な概念をいわば「思い出す」ことで分野にとらわれない視点を得られる可能性がある。もちろん単に昔に戻るのではない。現代的によみがえらせる必要がある。

我々にとっては西洋語を輸入することも大事であるが、「陰と陽」という昔からある東洋語を使うことも同じくらい重要かもしれない。東洋語の方が日本人にとっては血肉化しやすいからである。1500年前からあった思想だからだ。

ショーペンハウエル『知性について』から引用する。

もっとも重要でもっとも深い洞察を提供するのは、個々の事物についての細心な観察ではなく、全体の把握の充実度なのである。

「陰と陽」という概念を深く分かりやすく解説できれば、「全体把握の充実度」はある程度向上する可能性がある。

■作成日:2023年8月3日

続きは陰と陽が交わり豊かな世界が生まれるをご覧ください。

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