理念と利益という対立するふたつのものの調和

理念と利益も対立する関係にある。優れた会社は理念を掲げる。理念はその会社が世の中にもたらす価値である。しかし理念に走りすぎると現実を見ずに利益が出ない可能性がある。逆に利益に走りすぎると理念を軽視して世の中を良くしない可能性がある。理念を重視し理念に走る企業は多くの場合利益を軽視し利益を出さないかもしれない。逆に利益を重視し利益に走る企業は理念を軽視し理念を持たないかもしれない。理念と利益のバランスが大事である。バランス型中庸。

しかしハーモニー型中庸をとる人は違う。ハーモニー型中庸を執ると優れた理念があるから、優れたサービス、優れた商品が実現する。よって大きな利益が上がる。優れた理念があるから大きな利益が上がる。逆に大きな利益が上がるから、それでさらに投資できて、理念をさらに大規模に実現できる。



一見矛盾する理念と利益が互いに補い合い、循環し、調和しているのが分かるだろう。

ここで重要なのは利益だけに走る企業より、優れた理念を持ち同時に利益を重視するハーモニー型中庸を執る企業の方が、多くの利益を得るという点だ。ジェフ・ベゾスの言葉に次の言葉がある。『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』から引用する。

私は、金の亡者ではなく伝道師の道を常に選びます。
ただなんとも皮肉なのは、普通、伝道師のほうがたくさんのお金を儲けてしまうという点です。

金の亡者とは利益だけを追求する人だ。伝道師は理念を実現する人。理念を実現する人の方が金の亡者より利益を上げると言う。

逆も言える。理念を重視し利益を軽視する人がいる。思想家である。しかし理念と利益の両方を重視するハーモニー型中庸を執る人は、思想家よりも大規模に理念を実現できる。

利益だけを追求する人や逆に理念だけを追求する人より、理念と利益の両方を追求する人の方が、理念をより大規模に実現し、より多くの利益を得るのである。

ハーモニー型中庸は一見矛盾する陰と陽が互いに補い合い調和し循環する太極図を成している。陰と陽の片方のみをとろうとはしないのである。

『ビジョナリーカンパニー』に次の言葉がある。

以下では中国の陰陽思想からとった陰と陽の文様を随所に使っていく。この文様は意識的に選んだもので、ビジョナリーカンパニーの重要な側面を象徴している。ビジョナリーカンパニーは「ORの抑圧」に屈することは無い。「ORの抑圧」とは、逆説的な考えは簡単に受け入れず、一見矛盾する力や考え方は同時に追求できないとする理性的な見方である。「ORの抑圧」に屈していると、物事はAかBのどちらかでなければならず、AとB両方というわけにはいかないと考える。たとえばこう考える。
・「変化か安定かのどちらかだ」
・「慎重か大胆かのどちらかだ」
・「低コストか高品質のどちらかだ」
・「創造的な自主性か徹底した管理かのどちらかだ」
・「綿密な計画によって進歩するか、臨機応変に模索しながら進歩するかのどちらかだ」
・「株主の富を生み出すか社会の役に立つかのどちらかだ」
・「価値観を大切にする理想主義か、利益を追求する現実主義かのどちらかだ」
ビジョナリーカンパニーは、この「ORの圧力」に屈することなく、「ANDの才能」によって、自由に物事を考える。「ANDの才能」とは、さまざまな側面の両極にあるものを同時に追及する能力である。AかBのどちらかを選ぶのではなく、AとBの両方を手に入れる方法を見つけ出すのだ。

『ビジョナリーカンパニー』は明言してある通り、中国の陰陽思想と太極図にヒントを得ている。一見矛盾する陰と陽を両立させると言うのである。さらに引用する。

ビジョナリーカンパニーの多くが、こうした一見矛盾する逆説的な考え方を持っていることを説明していく。以下に例をあげよう。
利益を超えた目的 と 現実的な利益の追求
揺るぎない基本理念 と 力強い変化と前進
基本理念を核とする保守主義  と リスクの大きい試みへの大胆な挑戦
明確なビジョンと方向性 と 臨機応変の模索と実験
社運を賭けた大胆な目標 と 進化による進歩
基本理念に忠実な経営者の選択 と 変化を起こす経営者の選択
理念の管理 と 自主性の発揮
カルトに近いきわめて同質的文化 と 変化し前進し適応する能力
長期的な視野に立った投資 と 短期的な成果の要求
哲学的で先見的で未来志向 と 日常業務での基本の徹底
基本理念に忠実な組織 と 環境に適応する組織

偉大な企業、ビジョナリーカンパニーは陰と陽を両立させるのだと言う。さらに引用する。

両者のバランスをとるといった月並みな話をしようというのではない。「バランス」とは、中間点をとり、五十対五十にし、半々にすることだ。ビジョナリーカンパニーは、たとえば、短期と長期のバランスをとろうとはしない。短期的に大きな成果をあげ、かつ、長期的にも大きな成果をあげようとする。ビジョナリーカンパニーは理想主義と収益性のバランスをとろうとしているわけではない。高い理想を掲げ、かつ、高い収益性を追及する。ビジョナリーカンパニーは、揺るぎない基本理念を守る方針と、力強い変化と前進を促す方針のバランスをとろうとしているのではない。その両方を徹底させる。つまり、ビジョナリーカンパニーは陰と陽をないまぜにし、はっきりした陰でも、はっきりした陽でもない灰色の輪をつくろうとしているわけではない。陰をはっきりさせ、かつ、陽をはっきりさせようとする。陰と陽を同時にどんなときも共存させる。

『ビジョナリーカンパニー』の著者は「バランス型中庸」を否定している。ジェフ・ベゾスが「ワークライフバランス」より「ワークライフハーモニー」を重視したのと同じである。太極図は白い陽と黒い陰がはっきりしている。決してバランスをとって灰色になっているのではないと言う。理念と利益のバランスをとるのではなく、理念を追求するから利益が生じ、利益が生じるから理念が実現できるという、陰と陽をはっきりさせたうえでの調和がそこにはあるというわけだ。さらに引用する。

不合理ではないか。恐らくそうだろう。まれではないか。そうだ。難しくはないか。まったくそのとおりである。しかしF・スコット・フィッツジェラルドによれば「一流の知性と言えるかどうかは、ふたつの相反する考え方を同時に受け入れながら、それぞれの機能を発揮させる能力があるかどうかで判断される」。これこそまさしく、ビジョナリーカンパニーが持っている能力である。

著者も述べている通り、ハーモニー型中庸を実現するのは難しい。誰にでもできるわけではない。無理して目指すより、バランス型中庸を執る方が無難である可能性もある。その点に関しては後ほど詳述する。

■作成日:2023年8月16日

続きは歴史学における想像力と客観性の調和をご覧ください。

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