優れた人はすべてをプラスにする。劣った人はマイナスにする。前篇

すぐれた人は自分の長所を認識し、自分の長所を生かす。自分の短所を認識し、自分の短所で失敗しないようにする。しかしすぐれた人は自分の長所だけではなく、他人の長所も認識し、他人の長所を生かすという。そして他人の短所も認識し、他人がその短所で失敗しないように気を配るという。松下幸之助に次の言葉がある。『道をひらく』から引用する。

  
共同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心くばりが必要だけれども、なかでも大事なことは、おたがいに周りの人の長所と欠点を、素直な心でよく理解しておくということである。そしてその長所を、できるだけ発揮させてあげるように、またその短所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。

他人の長所を発揮させ、他人の短所を補うためには、まずその人の長所と短所をよく理解することが始まりであり大事であると松下幸之助はいう。

そして何度も述べたように人の長所は短所であり、短所は長所である。大胆さという長所の裏にがさつさという短所があり、繊細さという長所の裏に、神経質という短所がある。

昔の戦国大名に人を使うのがうまい大名がいたという。ある人がいつも悲しい顔をしている人を連れてきた。どのような部署に置いたらいいか、大名に相談に来たのだ。その大名は困ったという。いくさには使えない。悲しい顔をされると士気がさがる。宴会では場をしらけさせる。その大名は迷った末、葬式係にしたという。悲しい顔という短所を長所としてとらえたのである。

『言志後録』に次の言葉がある。

書下し文
人、各々能有り。器使すべからざるなり。
一技一芸は、みな至理を寓す。

現代語訳
人にはおのおの違った才能がある。長所を用いれば使えない人はいない。
ひとつの技、ひとつの芸、みなすぐれた真理を持っている。

『論語』顔淵篇に次の言葉がある。

書下し文
子曰く、
君子は人の美を成す。
人の悪を成さず。
小人はこれに反す。

現代語訳
孔子が言われた。
すぐれた人は他人の長所を成立させる。
他人の短所を成立させない。
劣った人はその反対だ。

すぐれた人は他人の長所を成立させ発揮させる。そして他人の短所が成立しないようにして短所で失敗しないようにさせる。劣った人はその逆で他人の長所を発揮させず、他人がその短所で失敗するようにしてしまう。

すぐれた人は自分の長所を認識し長所を生かし、自分の短所を認識して短所で失敗しない。そして他人の長所を認識してその長所を生かし、他人の短所を認識してその短所で失敗しないようにする。すぐれた人はさらに自分に生じる出来事もプラスにする。プラスの出来事はプラスの出来事として生かし、マイナスの出来事はプラスの出来事に変えてしまう。

『孟子』尽心章句上に次の言葉がある。

原文
窮則独善其身
達則兼善天下

書下し文
窮すれば則ち独りその身を善くし、
達すれば則ち兼ねて天下を善くす。

現代語訳
逆境にあれば、ひとり自分を修練し、
栄達すれば、みんなで天下を善くする。

この個所は非常に有名。対句的な表現が個人的に好きなので原文も記載しておく。

栄達というプラスの出来事はプラスに生かす。そしてみなで世の中をよくする。逆境というマイナスの出来事は自分を修練する機会としてプラスに変える。

『近思録』の論学篇に次の言葉がある。

書下し文
富貴福澤は以て吾の生を厚くす。
貧賤憂戚は以て汝を成に玉にす。


現代語訳
富貴や恩沢は自分の人生を潤してくれる。
貧困や悲しみはあなたを玉のように立派にする。

これも同じことを述べている。

劣った人はその逆。順境にあれば油断しおごり高ぶり、逆境にあれば自暴自棄になる。

松下幸之助に次の言葉がある。『道をひらく』から引用する。

逆境。それはその人に与えられた尊い試練であり、この境涯にきたえられてきた人はまことに強靭である。古来、偉大なる人は、逆境にもまれながらも、不屈の精神で生き抜いた経験を数多く持っている。
まことに逆境は尊い。だが、これを尊ぶあまりに、これにとらわれ、逆境でなければ人間が完成しないと思いこむことは、一種の偏見ではなかろうか。
逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。
素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えられたひとつの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。
素直さは人を強く正しく聡明にする。逆境に素直に生き抜いてきた人、順境に素直に伸びてきた人、その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ。
おたがいにとらわれることなく、甘えることなく、素直にその境涯に生きてゆきたいものである。

この「素直さ」というのが非常に大事である。

公田連太郎『易経講話』「巽為風」に次の言葉がある。

巽順というは、さきにも申した通り、上に対してばかりでなく、下に対しても巽順なのである。上の命令に従うばかりで無く、臣下万民の意志感情を尊重して巽順なのである。また、正しい道に対しても巽順なのである。また時代の状況、自分の環境、自分の身分地位などに対しても、則ち時と所と位とに対しても、それを尊重して、それに従順なのである。巽順の意味は広いのである。

「巽順」とは「素直」ということである。次の言葉もある。

いくら巽順にして人に従うが善いと言っても、何もかも捨ててしまって、人に従うのでは、行き過ぎである。剛強にして自ら守るところの道を持っており、そうして中の徳を以て事を処置すべきであり、これによって巽の卦の道がうまく行われるのである。この卦はそれを教えてある。

これはかなり高度な内容を述べている。他人に従いながら自分のうちに強さを持つ。自分を貫く。ハーモニー型中庸である。



自分の信念を持つ人は頑固になりがちである。素直な人は他人に盲従しがちである。しかし「巽為風」の徳は自分のもつ真理に対する信念を持ちながら他人のもつ真理に素直に従うという非常に高度な内容を実現している。もっとも誰にでもできることではない。私は左下の「自分を持つ・頑固」のOR型である。

DeNAの創業者南場さんの『不格好経営』から引用する。

よく学生から、優秀な人の特徴や、性格上の共通点は何かと問われる。そんなことを聞いてどうするのだろうかとも思うが、実際この質問は考え出すと面白い。
最初は個性がバラバラなので共通点はない、などと考えていた。実際ひとつのパターンは見出しにくい。ただ自分が接したすごい人たちを思い浮かべると、なんとなく「素直だけど頑固」「頑固だけど素直」ということは共通しているように感じる。
たとえば新規事業が行き詰っているとき、誰々に会って話を聞いたらどうか、××という他国のサービスを使い込んでみたらどうか、などというアクションに関するアドバイスをすると、必ず素直に徹底的にやる。ところがターゲットユーザーをずらしたほうがよいのではとか、機能を思い切って半分に減らしてみたらなど、結論に関するアドバイスをしても心底納得するのに時間がかかる。いろいろ試したがやっぱり賛成できない、よく考えた結果、やっぱり自分はこう思う、と言ってくることもある。しかし人におもねらずに、自分の仕事に対するオーナーシップと思考の独立性を自然に持ち合わせている、ということではないかと思う。

「素直だけど頑固」「頑固だけど素直」というのは恐らく自分が持っている真理に対して頑固で、他人の持っている真理に対して素直だということだろう。

そしてすぐれた人はさらに他人に素直なだけではなく、「正しい道に対しても巽順なのである。また時代の状況、自分の環境、自分の身分地位などに対しても、則ち時と所と位とに対しても、それを尊重して、それに従順なのである。」と『易経講話』にある。「巽為風」の道は自分を保ちながら時代の状況を素直に受けとめ時代に合わせて柔軟に時代を善くしていく。さらに自分が置かれている状況、順境や逆境などに対しても素直なのである。松下幸之助の言葉と一致する。順境であれば素直に順境を生かし、逆境があればそれを素直に試練として受け止め努力し成長する。

■作成日:2023年9月7日

続きは優れた人はすべてをプラスにする。劣った人はマイナスにする。中編をご覧ください。

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