ピンチはチャンス チャンスはピンチ

前回は人の性格において長所が短所になり、短所が長所になることを述べた。陰があれば陽があり、陽があれば陰がある。次は出来事における陰と陽、物事の二面性について解説していく。前回に引き続き下の図を用いる。左の白い縦長の長方形が陽を表す。プラス。そして右の黒い四角形がふたつ縦に並んでいるのを陰とする。この記号は易経の陰と陽の記号を私が勝手に改変して用いた記号である。



場合によっては陰を左に陽を右に書く場合もある。下図。どちらの場合も白い方が陽。黒い方が陰。



例えば高校生が授業中先生にあてられて問題の答えを言って間違えたとする。みんなの前で恥をかいたことになる。恥をかいたことはマイナスだ。陰である。しかしその分その高校生は強い印象を得る。そして恐らくその高校生は問題を覚えるだろう。それはプラスであり陽だ。「恥をかく」という陰の裏に「強い印象を得る」という陽が貼りついているのをイメージできるだろうか。人の性格において前回述べた「大胆さ」と「がさつさ」がコインの裏表の関係にあったように、出来事においても陰の裏に陽が貼りついていてコインの裏表の関係になっているのが分かるだろう。



以前私にクレジットカードの更新カードが送られてきた。裏面にサインするのを忘れててある店でカードを使おうとしたら「サインがありません」と決済を断られた。自分が悪いのを棚に上げて「面倒だな」と思った。確かに「面倒」なのはマイナスだ。陰である。しかしそれは「サインがないことを指摘してくれた」というプラスでもある。そこで指摘してくれなかったら例えば海外とかで大事な時にカードが使えなかったかもしれない。問題を未然に防止してくれたのだ。「面倒」という陰の裏に「サインが無いのを指摘」という陽が貼りついている。コインの裏表の関係にある。その陽が問題の未然の防止につながっている。



車の運転をしていて事故りそうになってヒヤッとした経験はないだろうか。誰しもあるだろう。事故りそうになるのはマイナスだ。しかしヒヤッとした分だけ反省する。「こういう時は気を付けんといかんのか」と思う。

例えば大きなダンプカーが右斜め前を走っていて、それによって視界がさえぎられ、近くを走っている自転車に気づかずぶつかりそうになってヒヤッとしたとする。すると「近くに大きな車が走っているときは要注意だな」と学ぶ。ヒヤッとすればヒヤッとするほどその分だけ深く反省する。そしてそれが安全運転につながっていく。



事故りそうになって「ヒヤッとする」のは陰だ。マイナス。しかしその裏に「反省する」という陽が貼りついていてそれが安全運転につながっていく。コインの裏表である。

免許をとりたての頃は確かに事故の確率は高いかもしれない。しかし運転が下手だという自覚があるため慎重でそんなに事故は起きない。一番危ないのは運転になれてきた頃。運転に慣れ無事故運転が続くと油断が生じてくる。運転中にスマホを見たりする。すると事故の確率が非常に上がる。運転になれるのはプラス。無事故が続くのもプラス。陽である。しかしその陽の裏に油断という陰が貼りついている。それが大きな事故につながる。



草思社文庫『鬼谷子』に次の言葉がある。

陽の中にある陰が物事を動かし
陰の中にある陽が物事を動かす

事故りそうになって「ヒヤッとする」のは陰だ。しかしその陰の中にある「反省する」という陽が物事を動かし安全運転につながっていく。同様に「無事故が続き運転に慣れる」のは陽だ。しかしその陽の中にある「油断する」という陰が物事を動かし大きな事故につながっていく。

『老子』第五十八章に次の言葉がある。

書下し文
禍は福の依る所、福は禍の伏す所。誰かその極を知らんや。

現代語訳
禍を土台として福が生じ、福の内にはすでに禍が芽生えている。誰がその究極を知ろうか。

事故りそうになってヒヤッとしたのは「禍」である。しかしその禍を土台として反省が起こり安全運転という「福」が生じている。安全運転という福はヒヤッとするという禍に依っているのである。逆に無事故運転が続き運転に慣れるという「福」のうちにすでに油断が生じており大きな事故という「禍」が生じる。大きな事故という禍は運転に慣れるという福のうちにすでに芽生えているのである。

少し補足しておくが、単に事故りそうになってヒヤッとしたら必ず成長するのかと言うとそうとは限らない。反省しなかったらもちろん成長しない。さらに反省すればいいのかと言うとそうとは限らない。正しく反省しないといけない。ジャック・マーに次の言葉がある。

失敗したという事実を後悔してばかりいて、失敗した理由を後悔しないなら、いつまでも後悔し続けることのなるだろう。

正しく反省するというのは事実を後悔するのではなく理由を後悔することだというのだ。理由を正しく把握し正しく後悔すれば、それ以降は後悔し続けなくてもよくなる。

目覚まし時計で朝起きて出勤する。目覚まし時計はとても便利。時間通りにきっちりと起こしてくれる。それはプラスだ。陽である。しかし、きっちりと時間通りに起こしてくれればくれるほど、その分だけ我々は時間に縛られているということにもなる。これはマイナスで陰である。陰の裏に陽が、陽の裏に陰が貼りついている。



英語の発音の悪い人と話をすると聞取りに苦労する。「何言ってんだろう」と思ったりする。それはマイナスで陰だ。しかしそういう人と話すと英語の聞取りに努力する。結果聞取り力が上がる。発音の悪い人と話すという陰の裏に聞取りの努力をするという陽が貼りついている。それが聞取り力が上がるという良い結果になる。



コミュニケーション力がない人と話すときは苦労する。しかしコミュニケーション力ない人と話すとその人が本当は何を言いたいのかを推測しようとする。その人でも分かるように言葉を選んで話そうとする。要はこっち側で努力する。その結果こちらのコミュニケーション力が上がるという結果になる。コミュ力がない人と話すという「禍」を土台としてこちらのコミュ力が向上するという「福」が生まれている。



下手な文章を読むと苦労する。文法は合ってないし、漢字変換は間違えているし、情報は不完全だし、多義的に取れる表現になっていてどっちの意味か分からないし、当然イライラする。しかしイライラしながら読んでいくと「ここはこういう意味かな?」とかいろいろ考えて状況から総合的に判断したりするのでこっちの読解力が上がる。「下手な文章を読む」という陰の内に「読む努力をする」という陽があり、その陽が物事を動かし読解力が上がるという結果になる。もちろんだからと言ってわざと下手な文章を書いてはいけない。わざと下手な文章書くとプラスが1あるかもしれないが、マイナスが9あるので、トータルでマイナス8になる。



インターネットは自由だ。自由なのは良いことだ。行き過ぎるとよくないが、行き過ぎなければ自由なのは良い。それはプラスであり陽だ。しかし自由だからこそネット上の情報は玉石混交であり猥雑になる。それは陰である。マイナスだ。 猥雑なのでその情報は鵜呑みにできない。だから情報の真偽を自分で判断しようとする。その結果我々の判断力が向上する。



自由という陽から猥雑さという陰が生まれ、猥雑さという陰から判断力の向上という陽が生じている。陰が陽となり陽が陰となり物事は進んでいく。自由という陽と猥雑という陰が裏表になっていて、鵜呑みにできないという陰と自分で判断という陽が裏表になっている。

逆に強い自主規制が働く新聞やテレビニュースはインターネットよりは自由が制限される。自由の制限は陰の側面がある。しかし規制が働くとその分信頼できる情報になる。これは陽の側面。しかし信頼できるので我々はその情報を鵜呑みにしがちになり判断力が育たないかもしれない。これは陰。



規制という陰から信頼という陽が生まれ、信頼という陽から判断力が向上しないという陰が生まれている。やはり陰が陽となり陽が陰となり物事は進んでいく。規制という陰の裏に信頼できる情報という陽が貼りついている。信じられる情報という陽の裏に判断力育たないという陰が貼りついている。

『近思録』の道体篇に次の言葉がある。

書下し文
動静には端無く陰陽には始め無し。道を知る者に非ずんば、誰か能くこれを知らん。

現代語訳
動と静には端がなく、陰と陽には始めと終わりがない。道を知る者でなければ誰がこれを知るだろうか。

陰が陽となり陽が陰となり物事はどこまでも進んでいく。始めと終わりがないという。「インターネットの自由」という陽が「猥雑さ」という陰になり、「猥雑さ」という陰が「判断力の向上」という陽になりどこまでも進んでいく。「規制」という陰が「信頼できる情報」という陽になり「信頼できる情報」という陽が「判断力が育たない」という陰になりどこまでも続いていく。陰と陽に始めと終わりがない。

『史記』南越伝の最後に次の言葉がある。

書下し文
禍に因りて福と為す。成敗の転ずること譬えれば糾える縄の如し。

現代語訳
禍によって福を生じる。成功と失敗が変転することはあざなえる縄のようである。

『どらえもん』から引用する。



禍と福、陰と陽は縄のようにらせん状に反転しながら進んでいく。

■作成日:2023年7月18日

続きは失敗をプラスにをご覧ください。

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