プラスとマイナスの比較考量

物事の二面性について詳しく解説してきた。こういうことを言うと物事には常にプラスとマイナスがあるから結局どっちでもいいんではないかと思う人もいるかもしれない。

例えば文章が下手だと、それを読む側の読解力が上がると述べた。



だからと言ってわざと文章を下手に書く人が現れるかもしれない。仕事でそれやると確実に怒られる。読む人の読解力が上がるというプラスが1あるかもしれないが、書いてある内容がわからないというマイナスが9ある。差し引きでマイナス8だ。そういうことはしないようにお願いします。

プラスとマイナス両方あるからどっちでもいいや、というのではなく、プラスとマイナスを比較考量してプラスの多いほうを選ぶべき。

「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。「塞」というのはとりで。「塞翁」は砦に住んでいたおじいさん。ある日おじいさんの飼っていたいた馬が逃げてしまった。人々はこれは不幸だというので慰めに来る。しかしおじいさんはどこ吹く風。すると後日逃げた馬は立派な駿馬を連れて帰ってきた。人々はよかったよかったと言ってお祝いに来る。でもおじいさんはまったく喜んでいない。後日おじいさんの息子がその駿馬に乗って遊んでいたら落馬して足の骨を折ってしまった。みんなはお見舞いにくるがおじいさんはやはり飄々としている。その後、隣国との戦争が起きて若者たちは戦死する。しかしおじいさんの息子は骨折していたので兵役を免れた。

人にとって良いことも悪いことに転化するかもしれないし、悪いことも良いことに変わるかもしれないという説話だ。 確かにこの説話を読むと良いことがあっても油断せず、悪いことがあってもいずれプラスになるかもしれないと信じることができる。さらに人生に対する諦念にも似た悟りを与えてくれる。正しい読み方をすれば良い説話だ。しかし読む側が間違えて捉えると問題が起きる。プラスがあってもマイナスになるし、マイナスがあってもプラスになりうるから、どっちでもいいや、という思考停止になる可能性がある。

『荀子』栄辱篇に次の言葉がある。

好ましいものを見れば、必ず反対の憎むべきものを見て、
利益になるものをみれば、必ず害になるものを見る。
プラスとマイナスをよく考えて比較検討しその後どちらを取るかを決める。
このようであれば常に失敗しない。
人の悪いところは片方に偏って害を受けることである。
好ましいものを見れば、その憎むべきものを考慮せず、
利益になるものを見れば、その害を考えない。
そのため動けば必ず失敗し、為せば必ず恥を被る。
これが偏り害を受ける患いである。

さんざん物事の二面性の具体例を挙げてきたから分かると思うが、物事にはプラスがあればその裏にマイナスがあり、マイナスがあればその裏にプラスがある。そのプラスとマイナスを比較衡量して、その場その場でどちらが適切かを判断していくのが正しい。荀子の言葉は一見シンプルで当り前のようだが、使える言葉である。

例を挙げる。以前の職場の話。案件を担当するのだが、新しい案件を担当するたびに手元の資料を読まなくてはいけない。例えばQ、R、S、Tという4つの資料があったとする。どれも不完全な情報。要領を得ない情報も頻繁にある。4つの資料を全部読んでできるだけ全体像を捉えてから取り組むのだが、仕事に慣れてくると、わざと4つの資料のうちQとRの2つだけ読んで、案件の全体像を理解しようとする。情報をわざと限ると状況把握の難易度が大きく上がる。限られた情報から最大限の情報を引き出す力がつく。状況を最大限把握する能力を身に着けるための訓練みたいなもの。



もちろん最終的にはS、Tの情報も確認して答え合わせしてから、仕事に取り掛かるので、仕事の正確性には影響しない。しかし最初からすべての情報を読む場合より、1割くらいよけいに時間がかかる。情報をあえて限って理解しようとすると、時間がかかるが状況把握能力は向上する。



最初からすべての情報を見て仕事に取り掛かると、仕事のスピードは速くなる。しかし状況把握能力はさほど向上しない。



荀子の言う通り、物事にはプラスとマイナスがある。プラスとマイナスを比較考量して、その場その場でどちらが適切かを決める。仕事がたくさんあって、速く片付けたいときは最初からすべての情報を見て状況を把握する。仕事がそんなに多くなく、時間を少しならかけてもいい場合は、あえて情報を限って状況把握能力を高めるようにする。

物事にはプラスとマイナスあるからどちらでもいい、と言うわけではない。比較考量が大事。

■作成日:2023年7月28日

続きは陰と陽の対立をご覧ください。

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