ロスジェネの逆襲?

勉強や仕事では「縦に積む」方法と「横に積む」方法がある。縦に積むのは下の図。縦に積むとレベルの高い仕事ができる。ひとつの分野の力をどんどん高めていく。世の中から認められ出世する。

横に積むのは下の図。いろんな分野を学ぶ。幅は広くなるがレベルの高い仕事はできない。世の中から認められず出世もしない。

しかしそれは若いうちのことである。年を取ってくると縦に積んで横に積まなかった人はだんだん行き詰ってくる。下の図。恐らく30代がピークになる。

すでに上に積んだ人がさらに上に積もうとしてもなかなか積めなくなる。さらに人は自分の知識を土台にして問題を考えるので、幅が狭いと問題意識も狭くなる。だんだん重箱の隅をつつくようになる。しかし実際には出世する人は重箱の隅をつつく人だったりする。

それに対して横に積む人は出世しないが後半伸びてくる。横に積んでいる分だけ後からたくさん縦にも積める。最終的には縦に積む人より縦にも多く積める。幅広い問題意識も持てる。下図である。最初横に積んだ人が後から縦に積んだ場合。ただこういう人は出世しない。出世のために重要な二十代から三十代前半までには芽が出ないし、幅広い問題意識が出世につながることは基本的にはない。

松下幸之助に次の言葉がある。『道は無限にある』から引用する。

よく、「あの人は大器晩成型だ」などと言いますが、大器晩成型の人というのは、終生勉強だという考えが心のどこかに力強くひそんでいて、そして常に新しいものを吸収し、勉強し、人の教えを喜んで受けていくという態度が失われていない人だと思います。そういう人がいわゆる大器晩成型の人だと思うのです。
世の中には、若くしてすぐ間にあうような人もいます。これはこれでまことに結構だと思います。が、そういう人は、ともすると、非常に伸びていくものの、途中で進歩がとまったり、むしろ退歩していったり、考えが鈍っていく、ということになりがちだと思います。

縦に積んでいて行き詰ったら、いったん横に積んでみるのもいいかもしれない。すぐには結果が出なくても10年後に効いてくる。横に積むと視野も広くなる。

スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。

この業界で働く人の多くは、幅広い経験を積み重ねていきていない。そういう人は持っている点の数が少なくて、点と点がつながっていかないんだよ。問題を広い視野で捉えることができず、極めて短絡的な解決法しか思いつかない。

私は1970年代後半生まれ。いわゆる「ロスジェネ」であり、フリーター世代である。大学を中退してフリーターになった私はその典型中の典型。仕事も転々としている。大した仕事はしていないがいろいろやっている。勉強も思想、語学、歴史、プログラミング、法律などなど思想以外はかなり浅くしかできていないけれど幅広く勉強している。文化も大好きだ。ただ理系の勉強はまだ足りていない。

特に特定の団体や分野に属していないので、完全にフリーな立場から物事を考えることができる。これはいいポジショニングなのだと思っている。なにかしら特定の分野や団体に所属していると知らず知らずのうちにノイズが生じる。たとえばテレビ番組をつくることで日本に貢献しようとするのは素晴らしい。しかしすぐれた番組をつくるという目標自体に、色んな前提が入り込みノイズとなる。本当の意味で日本を良くするという本来の目標から知らず知らずのうちにずれていく。すぐれた番組をつくることで日本を良くすることに貢献することはもちろんできる。しかしそこには視聴率や出演者への配慮などいろんな考慮すべき事柄が生じる。それらは大事だが、日本を良くするという観点からするとノイズに過ぎない。中国思想も中国思想の学会などに所属すると中国思想を究めて広めることが目標になりそれもノイズである。私は中国思想を究めたり広めようと思っているがそれは目標ではなく現代日本を良くするための手段である。手段と目的が逆転してはいけない。特定の団体や分野に所属すると完全にフリーな立場から出発することはできない。目に見えないノイズ、耳で聞こえないノイズが発生し、知らず知らずのうちにそれらのノイズに拘束される。完全にフリーな立場に立てばノイズからフリーになる。しかし一生芽が出ないという欠点がある(笑)。

我々ロスジェネは失敗した世代と言われている。しかし横に積んでいるのだとプラスに考えれば、本当は失敗なのではなく、諦めなければ本当はこれからが本番なのかもしれない。横に積む人は後から伸びるからである。しかしそれはあくまで理論であって、ほとんどの人は途中であきらめる。我々の世代も多くの人はあきらめの境地になっているようだ。

私自身ずっと横にばかり積んでいる。縦に積み始めたのは40才くらいからである。しかもいまだに横にもたくさん積んでいる。今の計算では70才くらいを全盛期にしたいと思っている。

理論だけ聞くとロスジェネはこれから復活する可能性があるようだが、それはあくまで理論である。現実では理論で扱わなかった色んな現実の要素が結果に影響してくる。だから理論通りに行くわけではない。ロスジェネが逆襲してくる気配がないのがその証拠である。私が現代日本に生きた思想が復活すれば日本の問題が解決するというのも理論である。現実でその通りうまくいくとは限らない。

私はある箇所では「生きた思想が現代日本によみがえる可能性がある」と言う。ある時には「その可能性は非常に低い」と言う。一見矛盾している。結論から言うとうまくいく可能性は恐らく2、3%。だからうまくいく可能性は非常に低い。だからある時は「うまくいく可能性は低い」と言う。しかし2、3%は低いと言えば低いが、2、3%も可能性があるなら絶対試すべきである。むしろ2、3%という数字は高い確率ではないかと思う。だから「うまくいく可能性がある」と別の場面では言う。そんな感じである。

我々ロスジェネはバブルの10年前後に20才になった世代である。「経済的豊かさより精神的豊かさを」と言ってフリーターになった。経済的に豊かになっても何かが足りないと考えたのだ。しかし結果はあまりうまくいかなかった。経済的豊かさを捨てたため、当然の結果、経済的に貧困になっている。

当時上の世代の人たちからしたら裏切りに映ったかもしれない。上の世代の人たちがつくった経済的繁栄に我々は背を向けたからだ。上の世代からしたら、そんな甘ったれたことを言っているから日本は停滞しているんだ、と言うことかもしれないし、下の世代からしたら、そんな夢みたいなこと言っても現実うまくいかないよねとなるかもしれない。その通りである。しかしロスジェネの言い分は現在でも半分は当たっていると私は思う。

バブルの時代は日本は輝いていたと考える人もいる。たしかに経済的には繁栄した。しかし「ジュリアナ東京」で踊る当時の日本人の姿を見ると、とても輝いていたとは思えない。たしかに日本は高度成長を達成し、優れた企業もたくさん現れたため、当時の日本はある程度真理をとらえていたと思う。しかしどこかそれは十分ではなかった。真理をとらえていれば、真理にはそれ自体魅力があるので、人はどこまでも追い求めていく。しかし真理をとらえていなければ目標を達成したとたん、「達成症候群」になる。目標を見失い「どっちらけ」が生じる。

私自身、高校生の時、必死になって受験勉強をした。自分の高校で学年一位になろうと必死で勉強した。それは真理をとらえていなかった。単に人の評価を気にして勉強しただけだった。だから学内一位を達成したとたん目標がなくなった。「どっちらけ」になった。それが悪いとは言わない。受験で勉強したことは私の場合すべて役に立っている。必死になって勉強したのも一時的なエネルギーとしては利用できる。現在でも当時の熱いお受験熱はいまだに少しだけ残っている。いい思い出ですらある。とはいえやはり人の目を気にする勉強は最終的に本物ではない。一時的な浅い仮の情熱に過ぎない。

現在は勉強しても誰もほめてくれないのに勉強が楽しくてしょうがない。勉強を止めることの意味が分からない。少数のすぐれた人が褒めてくれることもあるが、それはここ数年。SNSをしていなかったむかしは本当に文字通り誰ひとりもほめなかったのに、十年以上にわたり勉強に夢中になっていた。それは真理をとらえているからだ。真理自体に魅力があるから。

私の受験時代の勉強と同じで日本の高度成長も「欧米に追い付け」というのが大きな部分を占めていた。内発的ではない。真理をとらえるという点で足りないところは間違いなくあったと思う。真理をとらえると本当の意味で内発的になるからだ。

世代と言うものは確かに地層のように積み重なっている。それぞれの世代が多感だった5才から25才だったころに感じた体験をつなげていくと日本の現代精神史がある程度構成できるはず。

■2024年2月2日追記。

多感な時こそ素直にその時代の状況や問題を感じ取り、その時代から生まれるべき思想や問題提起を生むからである。

■追記終。

1920年代生まれの人たち、1930年代生まれの人たち、1940年代生まれの人たち、1950年代生まれの人たち、1960年代生まれの人たち、1970年代生まれの人たち、1980年代生まれの人たち、1990年代生まれの人たち、2000年代生まれの人たち、2010年代生まれの人たちが多感な頃に感じた体験をつなげると大雑把な現代日本史になる。『日本の歪み』という本で養老孟司氏は「先の戦争を思い出したくない」と言う。彼は明らかに戦争という体験を整理できずに抑圧している。それは1930年代生まれの養老孟司氏の世代だけの問題ではない。1970年代生まれの私もその「抑圧」が精神の古層に明らかにある。私はそれを少しだけ実感できる。私と同じ世代の人は、人によってはそれを意識していないかもしれない。が、養老孟司氏の「抑圧」という精神の層は、それを意識していない世代の日本人にも潜在している。同様に我々フリーター世代が高度成長の後「どっちらけ」になったのも我々の世代だけの問題ではなく、一見同じ感情を共有していない上の世代も下の世代も同じ感情を潜在的には共有しているはずである。これは日本全体の問題なのだ。世代間は表面的には対立するが深いところでは利害は一致するはず。

松下幸之助に次の言葉がある。『一日一話』から引用する。

おとなと青年、あるいは子供との間に断絶があるとすれば、それはわれわれの言う商売的な利害を共にしていない、さらにもっと高い意味の利害を一にしていないからだと思います。

世代間の対立はあるし、必要ですらある。しかしそのさきに「高い意味の利害を一にする」ことができないと生産的な対立にならない。表面的な対立も必要だが、深いところでは利害は一致するはずである。それがあればそれぞれの世代の角度からの意見がいい意味で戦いあい、高い次元で統一され生産的になる。

自分より上の世代の体験を自分の中に実感するのは、上の世代の体験を「思い出す」感じがする。上の世代の体験は恐らく自分の中に無意識という形で存在する。人によって意識化できる人とできない人がいる。自分より下の世代の体験を実感するのはもう少し難しい。自分たちの体験の「続き」がどうなったかを知る感じ。「あの後どうなった?」という感じ。しかしわたしは若い世代と接点が少ないからうまくできていない。上の世代は小さいころから常に一緒に過ごしてきているからある程度はわかる。

脱線すると本当は世界も同じである。各地域各民族は違う価値観を持っている。表面的には対立せざるを得ない。「文明の衝突」である。しかし本当はもっと深いところで共通点はあるはずである。その深いところでの一致が可能であれば、「文明の衝突」は「文明の対話」になりうる。しかしその「深いところでの一致」を実現するのは至難の業である。世界の思想と歴史を本当の意味で深く理解することが前提となる。一見各地域の思想は水と油のようだが、本質をとらえると共通点はある程度見えてくるかもしれない。

『易経』に天地否という卦がある。たとえば世代間で心が通わない状態、地域間民族間の心が通わない状態を「否」と呼ぶ。次の言葉がある。もちろん人の間だけには限らないが、とりあえず人の間の関係としておく。

書下し文
之を否ぐは人に匪ず。

現代語訳
人々の関係を塞ぐのは人ではない。

「否ぐ」は「ふさぐ」と読む。分かりにくいので公田連太郎『易経講話』から解説を引用する。

之を塞ぐのは人ではない、天である。人間のしわざではない、天の自然の為す所であると解する説もある。

私はこの説をとる。世代間の対立や民族間の対立は天が為している。人間に試練を与えるためである。では人間はこの困難をどうやって乗り越えるか。それは本質を、真理をとらえることで乗り切る。表面的には各世代は対立しているが、本質をとらえると深いところでは利害が一致する。そのとき対立は良い意味での意見の戦い、生産的な対話に変わる。

本当は日本の抱える問題を正しく根本的に解決するには、日本のすべての世代の問題意識を自分の中で再現できなくてはいけない。同様に世界の問題を正しく根本的に解決するには、すべての民族がもつ問題意識を自分の中で再現できなくてはいけない。ホッブズの『リヴァイアサン』から引用する。

原文
There is a saying much usurped of late, That Wisedome is acquired, not by reading of Books, but of Men.


日本語訳
賢さとは「本を読むこと」ではなく「人々を読むこと」によって獲得されるという格言が最近よく言われている。

本を読むことは大事である。しかし確かにそれと同じくらい人を読むことは大事である。世の中には世間をよく知る人がいて、人を読むのが非常に得意な人がいる。すごいものだと思う。続けて引用する。

原文
But there is another saying not of late understood, by which they might learn truly to read one another, if they would take the pains; and that is, Nosce Teipsum, Read Thy Self.

日本語訳
しかし最近では理解されていないもうひとつの格言がある。労をいとわずその格言に従えば人々は互いを本当に正しく理解しあえるだろう。その格言とは「汝自身を読め」という格言である。

人を読むのもけっこうだが、それ以上に自分自身を読むことが大切だという。すると違う世代の人たち、違う民族たちが互いに正しく理解しあえるという。どういうことか。さらに引用する。

原文
Let one man read another by his actions never so perfectly, it serves him onely with his acquaintance, which are but few. He that is to govern a whole Nation, must read in himselfe, not this, or that particular man; but Man-kind.

日本語訳
ある人が別の人の行為を読むことを通してその別の人を完全に読み取ったとしても、それはその人の知人に関してしか役に立たない。そのような知人は非常に少ない。全国民を統治する人は彼自身の内に、あの人やこの人という特定の人ではなく、人類すべてを読まなくてはならない。

人を読むことは大事である。しかしある人が誰かを読んでも、その誰かを読めるだけであり、それを極めても身近な知人を読めるだけである。しかし現代日本の問題を正しく根本的に解決する人は、現代日本人すべての世代の問題意識をその人自身の内に再現し自分の内に読めなくてはいけない。同様に世界の問題を正しく根本的に解決する人は、すべての民族の問題意識をその人自身の内に再現し読めなくてはならない。

『近思録』道体篇に次の記載がある。

書下し文
医書に手足の痿痺せるを不仁と為すと言う。この言最も善く名状す。仁者は天地万物を以て一体と為し、己に非ざる無し。己たるを認得すれば何の至らざる所か有らん。もし之を己に有せずんば、自ずから己と相関せざること手足の不仁なるが如くならん。気すでに貫かざれば、皆己に属せず。

現代語訳
医学書に「手足がしびれるのは不仁である」と書いてある。この説明は表現が上手だ。仁者は天地万物を一体と考え、万物は全て自分自身と考える。全てが自分自身だと認識し実感すれば全ての物事に心が行き届く。もしある物を自分自身の内に見出せないのであれば、その物は自分とは関係のない物であって手足がしびれたのと同じようなことになる。気が行き届かないと、全てを自分の内に見いだせるとは言えなくなる。

これも同じことを述べている。手足がしびれると感覚がなくなる。生き生きと感じることができなくなる。他の世代の問題意識を自分自身の内に生き生きと感じれない人は「不仁」なのである。偉大な人は自分の内に天地万物を読むことができる。自分の内に天地万物を感じることができない人は不仁だという。ただこれはレベルが高すぎて我々にはあまり参考にならない。ホッブズも「それはどんな言語や科学を学ぶより難しい」"it be hard to do, harder than to learn any Language, or Science"と述べている。しかし現代日本のほかの世代の問題意識をぼんやりとでも感じ取るくらいは我々にもできるかもしれない。

自分の世代の問題意識は大切に保持する必要はある。しかし同時に他の世代と意見を戦わせながら、相手の問題意識を知ろうとするのは大切だ。そうすれば別の世代は同じ真理を別の角度から見ているのだと分かるはずだ。話は戻る。『ビジョナリーカンパニー ZERO』に次の言葉がある。

共通の敵型ミッションには明らかな利点があるが、マイナス面もある。人生をひたすら戦争状態で過ごすことは難しい。敵を倒しナンバーワンになったらどうするのか。もはやダビデではなく、ゴリアテになったら?たとえばナイキはアディダスを倒した後、スランプに陥った。そこから立ち直ったのはリーボックに出し抜かれ、闘争本能に火がついてからだ。

他人に追い付くことを目標にするのは意味はある。一時的なエネルギーとして活用できる。しかしそれは真理にもとづいていない。本物ではない。次の言葉もある。

個人が目標を達成すると、目指すべきものがなくなり、さまよったり漫然と過ごしたりするのと同じことが組織にも起こる。これを私たちは「やり遂げたぞ」シンドロームと呼ぶ。

今後日本が経済的に復興するとはなかなか考えられないが、万が一復興に成功したとして、それが真理にもとづいていないなら「やり遂げたぞ」シンドロームが再度現れるに違いない。またしらけ世代を生み出すことは最初から分かっている。それが歴史に学ぶということだ。しかし本当の真理にもとづいていれば、真理自体に魅力があるためしらけムードはほとんど再発しないはずだ。そのためにも真理が現代日本に実現することが重要なのである。それに真理が実現すれば仮に経済的に物質的にはうまくいかなくても、精神的には深い意義を持つはずである。

以上でこのシリーズは終わりになります。お読みいただいたかたありがとうございました。

■作成日:2023年10月27日

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■上部に掲載の画像は山下清。