情熱は作れない。見つけることしかできない。

真理を捉えれば自然と熱意が生まれ、熱意があれば自然と学びが生じ、学びがあれば、自然と真理は深まり、真理が深まれば自然と生きた理念が生まれ、生きた理念があれば自然とすぐれたビジネスが生まれる。これが物事の自然な流れである。

「真理をとらえる」→「熱意」→「学び」→「真理の深まり」→「生きた理念」→「すぐれたビジネス」。これが物事の自然な流れ。

物事には根本と末節がある。
「真理をとらえる」→「熱意」→「学び」→「真理の深まり」→「生きた理念」→「すぐれたビジネス」
のうち最初のものほど根本であり最後のものほど末節である。末節も非常に大切だが、根本が充実すれば基本的に末節は自然とうまくいく。

『論語』学而篇から引用する。

書下し文
君子は本を務む。
本立ちて道生ず。

現代語訳
すぐれた人は根本を大切にする。
根本が充実すれば物事は自然にうまくいく。

『大学』に次の言葉がある。

書下し文
物に本末あり、
事に終始あり、
先後する所を知れば則ち道に近し。

現代語訳
物事には根本と末節があり、
事柄には最初に生じることと最後に生じることがある。
何が先であり何が後であるかを知れば、道を知ったのに近い。

重要なのは真理をとらえ真理の深まりがないと、学びも、情熱も、理念も生まれないということである。小手先のテクニックや頭の体操でつくった理念は本当の理念たりえない。『ビジョナリーカンパニー』から引用する。

ビジョナリーカンパニーのものであっても、ほかの企業の価値観をまねたのでは、基本理念にはならない。社外の人間の意見に従っていては、基本理念にならない。経営書を読んでも、基本理念は生まれない。どの価値観がもっとも現実的で、もっとも人気があり、もっとも利益を生むかを「計算する」のは頭の体操に過ぎず、これでは基本理念は生まれない。基本理念を掲げるときには、心から信じていることを表現するのが不可欠であり、ほかの企業が掲げている価値観も、社外の人間が考える理念のあるべき姿も、何の意味もない。

続けて引用する。

ここできわめて重要な点がある。基本理念は「つくりあげる」ことも「設定する」こともできないのだ。基本理念は見つけ出すしかない。内側を見つめることによって、見つけ出すのである。基本理念は本物でなければならない。理念を模造することはできない。あるべき理念を理屈で作りあげることはできない。基本的価値観と目的は心の奥底で信じているものでなければならず、そうでなければ基本理念にならない。

真理をとらえること、真理の深まりが根本である。この根本がなくて、小手先のテクニックで理念を作り出そうとしても無駄である。理念は自分の中にある真理を見つけることしかできないのである。

情熱も同じだ。根本たる真理が必要である。それがないと本当の情熱にならない。『ビジョナリーカンパニー 飛躍の法則』から引用する。

情熱は作り出せるものではない。「動機付け」によって情熱を感じるよう従業員を導くこともできない。自分が情熱を持てるもの、周囲の人たちが情熱を持てるものを発見することしかできない。

情熱は小手先のテクニックで作り出せるものではない。真理という根本がないと本当の情熱は生まれない。我々は真理に対して情熱を持つからである。松下幸之助に次の言葉がある。『日々の言葉』から引用する。

熱意というものは人から教えてもらって出てくるものではない。自分の腹の底から生まれてくるものである。

情熱はコンサルタントやビジネス書から教わることはできない。

若者に熱意を持て、努力しろ、理念を持て、と言うのは良いことである。しかしそれだけでは不十分だ。もっと重要なのは若者に真理を伝えることである。真理が伝わり、真理をもてば、自然と熱意は生まれ、自然と努力は生まれ、自然とさらに真理は深まり、最終的に理念も生まれる可能性がある。

成長を勧め努力を勧めても真理がなければ、若者はとりあえず努力はしてみるけれど、あまり効果がなく、途中で息切れするかもしれない。その後に残るものは「どっちらけ」である。

真理を伝えたうえで努力を呼びかければ、人は自ら努力を続ける。

真理もないのに単に努力を呼びかけるのは、本当の「道」ではない。呼びかけても、人々は一時的にはその言葉に従うが、しばらくすると息切れして、その「道」から離れてしまう。『中庸』から引用する。

書下し文
道なる者は、須臾も離るべからざるなり。
離るべきは、道に非ざるなり。

現代語訳
本当の道からは、人はかた時も離れないものである。
離れてしまうものは、本当の道ではない。

真理を深くとらえた人は常に学び、どこまでも学ぶ。それは本当の道であり、人はそこからかた時も離れない。真理がなくて努力してもそれは一時的なもので終わってしまう。人は努力から離れてしまう。離れてしまうものは本当の道ではないのである。

『中庸』からさらに引用する。

書下し文
道は人に遠からず。
人の道を為して人に遠きは、以て道と為すべからず。

現代語訳
道は人から遠いものではない。
人が道を行い、それが人から遠いものであれば、道と呼ぶに値しない。

『近思録』出処篇から引用する。

書下し文
正しからずして合せば、未だ久しくして離れざる者有らざるなり。
合するに正道を以てせば、自ずから終わりまで背く理無し。
故に賢者は理に順いて、安らかに行い、
知者は幾を知りて固く守る。

現代語訳
正しくない合わさり方をすれば、しばらくすると離れてしまう。
正しい道により、合わされば、自然と最後まで離れない。
ゆえに賢者は真理に従って安らかに物事を行い、
知者は幾を知って固く身を守る。

真理という根本を得れば、努力も情熱も理念も自然と自分から離れない。だから賢者は真理に従って安らかに物事を行う。真理という根本を得ないと、一時的には努力し情熱を持ち理念を持つかもしれないが、しばらくするとそれらは自分から離れてしまう。

ではそもそもどうやって真理をとらえるのか。そこが一番難題である。普遍的な思想を現代的によみがえらせることはその解答になるだろうか。いまだよく分からない。

■作成日:2023年9月28日

続きは自分の情熱は他人に波及するをご覧ください。

■関連記事 ビジネスリーダーの哲学と現代日本 2023年9月~10月


■このページを良いと思った方、
↓を押してください。


■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。