他人が持っている真理から学ぶこと

真理をとらえる人は誰からでも学ぶ。どこからでも学ぶ。他人が持っている真理を理解し、ものごとが持っている真理を理解するからである。

ジェフ・ベゾスは若いころから誰からでも学ぼうとした。当時の同僚は次のように語っている。

彼は誰からでも学ぼうとする人です。彼が何も学ばなかった人はいないと思いますよ。

『論語』述而篇に次の言葉がある。

書下し文
子曰く、我三人行えば必ず我が師を得る。
その善き者を択びてこれに従う。
その善からざる者にしてこれを改む。

現代語訳
孔子が言われた。私は三人で行動したら、必ず自分の師を見つける。
善い人を見たらそれを見習う。
善くない人を見たら反面教師として自分を改める。

我々は孔子ほどの人になると他人から学ぶことは無くなるのではないかと思う。しかし逆に孔子だからこそ誰からでも学ぼうとするのである。

『論語』泰伯篇に次の言葉がある。

書下し文
能を以て不能に問い、多きを以て少なきに問う。

現代語訳
能力がありながら能力がない者に質問し、知恵豊かでありながら知恵が少ない者に質問する。

孔子は間違いなくそういう人である。

『論語』子張篇に次の言葉がある。

書下し文
衛の公孫朝、子貢に問て曰く。
仲尼いずくにか学べる。
子貢曰く。文武の道、未だ地に墜ちずして人にあり。
賢者はその大なるを識し、不賢者はその小なるを識す。
文武の道あらざること無し。
夫子いずくにか学ばざらん。
而してまた何の常師かこれ有らん。

現代語訳
衛の公孫朝が子貢に質問して言った。
「孔子は誰に学んだのです。」
子貢が答えた。
「周の文王、武王の道はまだ無くならずに人の間に残っています。
すぐれた人はその大きなことを覚えていますし、
すぐれていない人はその小さなことを覚えています。
孔子はどこからでも学ばれます。
そしてきまった師匠は持たれなかったのです。」

孔子はすぐれた人からは大きなことを学び、すぐれていない人からは小さなことを学んだ。誰からでも学んだのである。そして特定の師匠を持たなかった。いろんな人から学んだのである。理想的な学び方である。

『史記』淮陰侯伝に李左車の次の言葉がある。

書下し文
智者も千慮に必ず一失有り。愚者も千慮に必ず一得有り。

現代語訳
智者も千回考えを語れば一度は間違え、愚者も千回考えを語れば一度は当たる。

すぐれて人でもたまに間違う。鵜呑みにしてはいけない。すぐれていない人もたまに的確なことを言う。学ばなくてはいけない。

『ウォルト・ディズニーの言葉』から引用する。

私はアイデアを見つけるのに制限を設けない。
掃除のおじさんが良いアイデアを持っていたら、すぐにそれを採用する。

ウォルト・ディズニーもどこからでもアイデアを取り入れたのがわかる。

『言志録』から引用する。

書下し文
吾すでに資善の心有れば、父兄師友の言、ただこれを聞くことの多からざるを恐る。
書を読むに至っても、また多からざるを得んや。
聖賢の云う所の多聞多見とは、意まさにかくの如し。

現代語訳
どこからでも学ぼうという心があれば、父兄や師友の言葉をたくさん聞けないのを恐れる
本を読むことも、たくさん読まずにおれようか。
聖人、賢者の言った多聞多見とはこのような意味であろう。

真理に魅せられた人はどこからでも学ぼうとする。

荀子も学ぶことを勧めている。『荀子』勧学篇から引用する。

書下し文
学は已むべからず。
青はこれを藍より取れども藍よりも青く。
氷は水これを為せども水よりも冷たし。

現代語訳
学ぶことを止めてはいけない。
青色は藍草から取るけれども藍よりも青い。
氷は水からできるけれど水よりも冷たい。

我々は偉大な先人から学ぶが、先人を超えていける可能性を持っている。「出藍の誉れ」の出典元となる箇所である。

続けて引用する。

書下し文
高山に登らざれば、天の高きことを知らず。
深谷に臨まざれば、地の厚きことを知らず。
先王の遺言を聞かざれば、学問の大なることを知らざるなり。

現代語訳
高い山に登らないと、天が高いことが分からない。
深い谷に望まないと、地が厚いことが分からない。
先人の言葉を聞かないと、学問の偉大さが分からない。

「天の高さ」「地の厚さ」「人の思想の偉大さ」はそれぞれ「天」「地」「人」の三才を表す。

続けて引用する。

書下し文
吾嘗てつまだちて望めども、高きに登ることの広く見ゆるに如かざりき。
高きに登りて招けば、腕は長さを増すには非ず。
しかるに見る者は遠し。
風に従いて呼べば、声は強さを増すには非ず。
しかるに聞く者は彰かなり。
輿馬をかりる者は足を利するには非ず。
しかるに千里を窮む。
舟楫をかりる者は水に能うるには非ず。
しかるに江海を渡る。
君子も生まれつき異なるにあらず。
善く物にかりるなり。

現代語訳
私は以前つまさき立って遠くを見ようとしたが、高いところに登ると遠くまで見渡せるのには及ばなかった。
高く登って他人に手を振れば、腕は長くなったのではない。しかし遠くの人にも見えるようになる。
風に従って人を呼べば、声は強くなったのではない。しかし聞く人ははっきりと聞こえるようになる。
馬の乗って行く人は、足が速くなったのではない。しかし千里を行きつくすことができる。
舟にのる人は泳ぎがうまくなったのではない。しかし海を渡っていくことができる。
すぐれた人も生まれつきすぐれているのではない。他人から学んだからすぐれているのである。

『荀子』の冒頭はきわめて格調高く、私の好きな文章の一つである。他人から学ぶことの重要性を述べている。

続きはすべてから学ぶをご覧ください。

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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。