真理は人を夢中にさせる

ひとりの人が真理をとらえることからビジネスは始まる。真理は人を夢中にさせる。人をとりこにする。人は真理を知ると真理を楽しむ。

真理を知る人は小さいころから真理に夢中になる。『イーロン・マスク 未来を創る男』から引用する。

少年時代のマスクの性格の中でも印象的なのが、異常ともいえる読書欲だ。小さいころからいつも片手に本を持っていた。
「1日10時間、本にかじりついていることも珍しくなかった。週末は2冊を1日で読破していた。」と弟のキンバルは証言する。
一家でショッピングに遠出すると、かならずマスクが行方不明になってしまう。そんなときは近くの書店を探す。するとフロアの奥あたりに座り込み、遠い世界に行ってしまったかのような表情で、本を読みふけっているマスクがいたという。
成長してもその癖は変わらない。2時に学校が終わると、そのまま書店に直行して本を読んでいた。両親が仕事から帰宅する6時ころまで書店に張り付いていた。まずフィクションを読み漁り、つづいてコミックス、最後はノンフィクション。それが主な日課だ。
「たまに店の人につまみだされることもあったけど、だいたい大丈夫だった」と語る彼の当時の愛読書は前述した『銀河ヒッチハイク・ガイド』のほか、J・R・R・トールキンの『指輪物語』、アイザック・アシモフのファウンデーション・シリーズ、ロバート・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』など。
「そのうち、学校の図書館でも、近所の図書館でも読むものがなくなった。3年生か4年生のころだ。新しい本を入れてくれと図書館に頼んだこともある。仕方ないのでブリタニカ百科事典を読み始めたら、これがおもしろかった。いかに自分が知らないことが多いかわかるんだ」
百科事典2セットを読破したおかげで、少年は歩く百科事典になった。

イーロン・マスクが小さいころからいかに真理に魅せられ夢中になっていたかがよくわかる箇所である。

ジェフ・ベゾスも子供のころ本を読んだという。『Invent & Wander』から引用する。

子供のころ、ベゾスは毎夏、地元の図書館でSF小説を読みふけった。

私はSFを読まない。ベゾスやマスクの伝記を読んでいて彼らがSFを読むと知り、なぜあんなただの空想的な本を読むのだろうと思っていた。しかしyoutubeである人がSFの効用について解説していたのを聴いてよくわかった。SFは未来に関する空想だ。たしかに空想に過ぎない。しかし空想だからこそそれを読むと自由に未来を空想できるようになる。現代の常識という殻を打ち破る。もちろんあくまで空想に過ぎない。SF小説のうちのほとんどは現実化しないで終わる。単なる空想で終わる。しかし空想を広げることで、そこから一見空想のようだが現実化できる発想も一部生まれてくるのだという。

『ビル・ゲイツの思考哲学』から引用する。

読書は人生のあらゆる段階で、ゲイツの人間性を形作るのに大きな役割を果たすこととなる。

ビル・ゲイツも読書から真理を学んだということが分かる。

ベゾスの文章を集めた『Invent & Wander』の編集者ウォルター・アイザックソンは、この著書の序文で次のように述べている。

なぜ私はベゾスが巨人たちに並ぶと思うのだろう。
まず第一に、好奇心、それも飽くなき好奇心があることだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチブックは喜びにあふれ、自然のあらゆる領域に彼が心を躍らせ、やんちゃで並々ならぬ好奇心を持っていたのがそこに見える。彼は多岐にわたる無邪気な問いを無数に自問し、それに答えようとしていた。
なぜ空は青いのか?キツツキの舌はどんな形なのか?鳥の羽ばたきは羽を上げるときと下げるときのどちらが速いのか?水の渦巻きのかたちは巻き髪とどう似ているのか。下唇の筋肉は上唇の筋肉とつながっているのか?
そんな知識はなくてもモナリザは描ける。だが、好奇心の塊だったダ・ヴィンチは、知らずにはいられなかったのだ。
アインシュタインはかつてこう言った。
「私には特別な才能はない。ただ好奇心が以上に強いだけだ。」
もちろん、この言葉がすべて正しいわけではない。アインシュタインには特別な才能があった。しかし「知識より好奇心が重要」という彼の言葉は正しい。

真理は人を夢中にさせる。好奇心の強さは真理をとらえる深さであり、真理を求める強さである。知識より真理をとらえる深さが重要なのである。「知識より好奇心が重要」ということだ。アインシュタインは真理をとらえる深さにすぐれていた。

真理は人を夢中にさせる。『ウォルト・ディズニーの言葉』から引用する。

お金はそれがないとアイデアを実行できないので、私を悩ますかもしれないが、夢中にはさせない。私を夢中にさせるのはアイデアだ。

金は必要だし、金も人を夢中にさせる。しかしそれは一時的に夢中にさせるだけであり、本当の意味での情熱ではない。真理こそ本当の意味での情熱を生む。

孔子も真理を楽しんだ。『論語』述而篇に次の言葉がある。

書下し文 
子曰く。
疏食を飯い水を飲み肱を曲げて之を枕とす。
楽しみ亦その中にあり。
不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲の如し。

現代語訳 
孔子が仰った。
粗末な食事を食べ、水を飲み、ひじを曲げて枕とする。
道を求める本当の楽しみはそのような中にもある。
道に依らずに金持ちになり出世するのは、
私にとっては空虚なものである。

孔子にとっては「道」という真理こそ大切であり、真理を楽しんだ。孔子にとって最も大切なのは金や地位ではなかったのである。

孔子の弟子顔回も道という真理を楽しんだ。『論語』雍也篇から引用する。

書下し文 
子曰く、賢なるかな回や。一簟の食、一瓢の飲、陋巷に在り。 人はその憂いに堪えず、回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や

現代語訳 
孔子が仰った。えらいものだね、回は。竹のわりご一杯のめしとひさごのお椀一杯の飲み物で、せまい路地くらしだ。 他人ならそのつらさにたえられないだろうが、回は自分の楽しみを改めようとしない。えらいものだね、回は。

顔回は非常に貧乏だった。粗末な食事に粗末な家に住んでいた。しかし顔回にはつらそうな様子はない。「道」という真理を楽しんでいる。真理をとらえる深さが顔回にはあった。

『言志晩録』に次の言葉がある。

書下し文 
衣薄くとも、寒相を著けず、食貧しくとも餒色を見さず。
だた、気充つる者、能くすることを為す。
しかも聖賢の貧楽は、則ちこの類に非ず。

現代語訳 
薄着をしていても寒そうでなく、食べ物が乏しくても、ひもじそうではない。
心が強い人だけがそのようなことができる。
しかし聖者や賢者が貧にして楽しんだのは、そのような強さとは違う。

寒さに強く、ひもじさに強いのは、我慢強さである。困難に負けないという消極的な強さである。それは立派なことである。しかし聖者たる孔子や賢者たる顔回は、単にひもじさに耐えるという消極的な強さだけではなく、「道」という真理を楽しむという積極的な楽しみを持っていたのであり、積極的な強さを持っていたのである。孔子と顔回はより優れている。

『言志耋録』に次の言葉がある。

書下し文 
吾輩、筆硯の精良を以て、楽しみと為し、山水の遊適を以て楽しみと為す。
これを常人の楽しむところに比すれば、高きこと一著なりと言うべし。
然れどもこれを孔・顔の楽しむところに比べれば、ただに数等を下るのみならず。
吾何ぞ反省せざらんや。

現代語訳 
自分は筆や硯のすぐれたものを楽しみとしている。
また山水に遊ぶのを楽しみとしている。
これは普通の人が楽しむところと比べれば、一段すぐれた楽しみである。
しかし孔子や顔回が楽しんだところと比べれば、劣っていること数段どころではない。
どうして反省せずにおれようか。

筆や硯などの工芸品を楽しむのは素晴らしい。山や川などの自然を楽しむのも素晴らしい。しかし確かに孔子や顔回が楽しんだことはもっとすぐれているのかもしれない。著者の佐藤一斎は謙遜しているが、彼もまた道を楽しんだ人であるのは間違いない。

『論語』雍也篇から引用する。

書下し文 
子曰く。
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

現代語訳 
ものごとを知る者よりもそれを好む者がすぐれている。
ものごとを好む者よりもそれを楽しむ者がすぐれている。

「知識よりも好奇心が大事」というアインシュタインの言葉の通り、ものごとを知る人よりもものごとを楽しむ人のほうがすぐれているのである。孔子とアインシュタインの意見は一致している。知識よりも真理をとらえる深さでその人の仕事の偉大さは決まる。

続きは大きいことも小さく始まるをご覧ください。

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