現在「静かな退職」という言葉が日本でも広まりつつある。仕事はするけれど、最低限の仕事のみをして、仕事よりプライベートを優先するという働き方である。特に若い人たちの間で共感を呼び広まっているという。
私はおっさんだが、静かな退職をしている。もちろん仕事の時間は責任感をもって仕事をしている。仕事は大変だがやりがいはある。それは間違いない。しかし稼働日数は月の半分以下であり、休みの日は多い。
日本の若い人たちの間で静かな退職が広まれば、日本経済の停滞は決定的になるかもしれない。みなが最低限しか働かなくなるのだから、経済は停滞すると考えるのが自然である。年配の人たちのなかには危機感を募らせる人もいるだろう。
しかし「静かな退職」という言葉を非難しても、若者を批判しても何も変わらない。
若い人たちが「静かな退職」をする理由は、恐らくふたつあると思われる。ひとつは積極的な理由。仕事以外に生きがいを見いだしているからである。趣味などにいきがいを見いだし、仕事よりそっちを優先したいという理由である。これは良いことである。「真理の追究」に近いと言っていい。
もうひとつは消極的な理由である。単に仕事が面白くないのである。仕事にいきがいを見いだせない。視野を広くして、日本全体で考えても、若い人たちの多くは、日本経済の復興をあきらめているはずである。これらふたつは同じことだ。根本的原因は共通している。日本のビジネスに真理の実現がないからだ。真理の実現があれば、仕事は面白くなるだろうし、日本経済の復興も信じれるようになるだろう。
それを頭ごなしに批判しても意味がない。若い人たちは、その積極的な理由と消極的な理由の両方を批判されたと受け取るだろう。
積極的な理由から述べる。たとえば若い人が趣味に生きがいを見いだしていたとする。年配の人たちから「つべこべいわず、死に物狂いで働け」と言われても、自分の生きがいを否定されているようで、「これだから上の世代はわれわれの気持ちが分からない」と心を閉ざすだろう。
消極的な理由に関しては、そもそも仕事が面白くないのに「もっと働け」と言われても、若者の心にはひびかない。「日本経済の復興を目指せ」と言われても、「復興できる方法もないのに何を言っているんだ」と思われるだけである。
結局重要なのは日本のビジネスに真理が復活することである。日本のビジネスにおいて真理の実現が可能となることだ。そうなれば、消極的な理由から改善する。当然仕事が面白くなる。日本経済の復興の可能性も出てくる。次に積極的理由。もちろん趣味にいきがいを見いだすのは素晴らしいことだ。しかしビジネスにおいて真理の実現が可能になると、人々は仕事にも、いきがいを見いだすようになる。あきらめていた若者のまなざしも変わってくるかもしれない。おそらくこれが正しい解決策だと思われる。
■作成日:2024年10月7日
続きは若者に広がる消極的「ほどほど」感をご覧ください。
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■上部の画像は熊谷守一「泉」