現代日本における「弾み車の法則」

企業が「良い企業」から「偉大な企業」になるためには、その中核となる「弾み車」を認識しそれを何百万回、何千万回、何億回と回転させる必要がある、とジム・コリンズは言う。

しかしそれは企業だけではない。国も同様である。現代日本のビジネスに関して述べる。逆に言うとこの記事ではビジネスについてしか述べないのであらかじめご了承いただきたい。ほかの分野のことは述べない。

ビジネスは真理の自己展開であると述べた。現代日本にビジネスを復興させるのであれば、まず真理を蓄積させなければならない。それが先決。そのためには体験は非常に大事。そして読書も大事である。生きた読書。真理をとらえた読書である。

ジェフ・ベゾスもイーロン・マスクも偉大なビジネスリーダーたちはみな読書をした。すでに述べたとおりである。彼らが行ったのは真理をとらえた読書だ。これを実現するにはどうしたらいいか。

恐らくだが、そのためには「①分かりやすく②地に足の着いた③普遍的で④合理性とインスピレーションのバランスが取れていて⑤知性と道徳のバランスが取れた⑥生きた思想」が背景として必要である。

これが手に入れば、読書を通して真理を手に入れることができる。生きた思想が生まれ発展する。生きた思想は真理を持つ思想だから、知識がつながる。真理は分野の垣根を超えると述べたとおりである。知識がつながると読書はもっと面白くなる。すると読書をする。読書をすると知識が増える。すると生きた思想がさらに発展する。下の図の通りである。

このサイクルが現代日本で回すべき弾み車だと思われる。これを大量に回す。

この弾み車が十分に回転すると、スピンアウト的な弾み車が生じる。上の図の右の「知識がつながる」→「読書が楽しい」の部分に注目してほしい。「知識がつながる」とイノベーションが生じる。すでに述べたようにイノベーションとは違う分野がつながることだからである。だから真理をとらえ知識がその本質においてつながると、イノベーションが起きる。これもすでに述べた通り、イノベーションが起きると、「社運をかけた大胆な目標」が生じる。するとそのうちの一部はビジネスとして成功する。すると利益が生じる。すると真理を得るための読書がもっと楽しくなる。これがスピンアウト的な弾み車である。下図の通り。

ふたつの図をつなげる。

左上が「真理の蓄積」の弾み車である。これを何千万回、何億回と回転させる。すると効果が蓄積し、真理が蓄積する。そうするとどこかの段階で右下のスピンアウトが生じて、「真理の展開」の弾み車が回転する。これが何万回、何十万回と回転する。

この二つの弾み車は、このシリーズの冒頭から20回ほどにわたって述べてきた過程が現代日本で大量に再現するということである。真理の蓄積と真理の自己展開である。できればシリーズの前半20回部分を読み直していただきたい。

うまくいくのか?それは分からない。うまくいかない可能性のほうがおそらく圧倒的に高い。うまくいく可能性は2、3%くらいだろう。しかし仮にうまくいくとすれば、それは先ほど述べた「生きた思想」を十分に供給できるかどうかにかかっていると思う。まず最初に手を付けるべきなのはこの「生きた思想」をつくることである。いくら金をかけたかは関係ない。いくら時間をかけたかはそれなりに関係ある。しかしそれすら本質的ではない。重要なのは思想の質である。映画だって優れた映画をつくるにはいくら金をかけたかは必ずしも関係ない。どれだけ時間をかけたかさえ本質的ではない。要は内容が面白いかどうかである。それと同じ。

再度述べるが必要なのは「①分かりやすく②地に足の着いた③普遍的で④合理性とインスピレーションのバランスが取れていて⑤知性と道徳のバランスが取れた⑥生きた思想」である。これは儒教があてはまる。

しかしそれだけでは足りない。現代は西洋思想が中心の時代である。西洋思想は必要。ただ西洋思想とは言っても大学で学ぶ哲学プロパーの大学哲学は必ずしも必要ではない気がしている。狭い意味での哲学よりビジネスとか文化とか政治学とか科学とか、広い意味での思想が重要だと思う。狭い意味での西洋哲学は下手に学ぶとおかしな論理を操るようになってしまい害がある。私は一回罹ってから治ったので、免疫があるから読むけれど、あまりお勧めはしない。いずれにしても広い意味での西洋思想は必要である。

あと現代日本の思想文化も必要。現代日本思想と言ってもこれも大学哲学ではなくて、ベストセラーのビジネス書とか現代日本に関する評論とかを中心に参考にしている。これは現代日本人に分かりやすく思想を伝えるためにはこの要素がどうしても必要になる。現代日本人にうける文章は日本人の心に表面的にであれ深くであれたしかに響いているということでもある。それは学ぶ必要がある。

儒教は非常にすぐれた思想だが、非常に古い。その本質は新しいのだが、見た感じが古い。だから西洋思想や現代日本の考えとの合成が必要と思われる。この合成ができるかどうか、その質が高いかどうかでうまくいくかが決まる。少なくとも現在はそのような合成された思想はできていない。

『ビジョナリーカンパニー 飛躍の法則』に弾み車について以下の説明がある。

巨大で重い弾み車を思い浮かべてみよう。金属製の巨大な輪であり、水平に取り付けられていて中心には軸がある。直径は十メートルほど。厚さは六十センチほど、重さは二トンほどある。この弾み車をできるだけ速く、できるだけ長期にわたって回し続けるのが自分の仕事だと考えてみる。必死になって押すと、弾み車が何センチか動く。動いているのか分からないほど、ゆっくりした回転だ。それでも押し続けると、二時間か三時間がたって、ようやく弾み車が一回転する。
押し続ける。回転が少し速くなる。力を出し続ける。ようやく二回転目が終わる。同じ方向に押し続ける。三回転、四回転、五回転、六回転。徐々に回転速度が速くなっていく。七回転、八回転。さらに押し続ける。九回転、十回転。勢いがついてくる。十一回転、十二回転、どんどん速くなる。二十回転、三十回転、五十回転、百回転。
そしてどこかで突破段階に入る。勢いが勢いを呼ぶようになり、回転がどんどん速くなる。弾み車の重さが逆に有利になる。一回転目より強い力で押しているわけではないのに、速さがどんどん増していく。どの回転もそれまでの努力によるものであり、努力の積み重ねによって加速度的に回転が速まっていく。一千回転。一万回転、十万回転になり、重量のある弾み車が飛ぶように回って、止めようのないほどの勢いになる。
ここでだれかがやってきて、こう質問したとしよう。「どんなひと押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」
この質問には答えようがない。意味をなさない質問なのだ。一回目の押しだろうか。二回目のおしだろうか。五十回目の押しだろうか。百回目の押しだろうか。違う。どれかひとつの押しが重要だったわけではない。重要なのは、これまでのすべての押しであり、同じ方向への押しを積み重ねてきたことである。なかには強く押したときもあったかもしれないが、その時にどれほど強く押していても、弾み車にくわえた力の全体にくらべれば、ごくごく一部にすぎない。

著者ジム・コリンズも言っている通り、最初の一回転が一番大変である。現代日本の「弾み車」も最初の一回転が一番大変なはずだ。いかに生きた思想を現代日本によみがえらせるかである。しかしもちろんその後も大変だ。しかし「どこかで突破段階に入る」と回転は速まっていき、大きな力が生まれる。「どんなひと押しで、ここまで回転を速めたのか教えてくれないか」というのは、「成功した弾み車を成功させたのは何か?」と問うことに等しい。それは意味をなさない。「弾み車にくわえた力の全体」が弾み車を成功させたのである。現代日本の弾み車が仮に成功することがあるとすればそれはそれを回したすべての人の力が成功の原因である。

■作成日:2023年10月16日

続きは現代日本における「戦略的累積効果」をご覧ください。

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