すべてから学ぶ

真理をとらえる人は真理に夢中になる。誰からでも学ぶ。どこからでも学ぶ。すべてから学ぶ。誰が持っている真理も学ぶ。自然が持っている真理にも学ぶ。松下幸之助に次の言葉がある。『道をひらく』から引用する。

自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、良き考え、良き知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そして人間の尊い知恵を体験がにじんでいるのである。
これらのすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵も生まれてくる。よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。

真理をとらえる人は自然からも学ぶ。『言志耋録』から引用する。

書下し文
春風以て人を和し、
雷霆以て人を警め、
霜露以て人を粛し、
氷雪以て人を固くす。
風雨霜露も教えに非ざるは無しとは、この類を謂うなり。

現代語訳
春の風は人を穏やかにし、
雷鳴は人の心を戒め、
霜や露は人の心をひきしめ、
氷や雪は人の心を堅固にする。
自然すべて教えでないものはないというのはこのことを指す。

『菜根譚』に次の言葉がある。

書下し文
雪夜月天に当たれば、心境は則ち爾く澄徹す。
春風和気に遇えば、意界もまた自ずから沖融す。
造化、人心は、混合して間なし。

現代語訳
雪の夜に名月が繋れば、心は清く澄みわたる。
春の風ののどかさに吹かれると、心も自然と和む。
自然と人の心は、一体であり、関係しあっている。

真理をとらえる人にとっては、書物を読むことや自然に触れることだけではなく、行うことはすべて学びである。『言志晩録』から引用する。

書下し文
多少の人事はみなこれ学なり。
人謂う、近来多事にして学を廃すと。
何ぞその言誤れるや。

現代語訳
人が行う仕事はすべて生きた学問である。
人は「最近忙しくて学問ができません」と言う。
それは何と間違った言葉であろうか。

松下幸之助に次の言葉がある。『一日一話』から引用する。

指導者というものは、常に心を働かせていなくてはいけない。もちろんそれは四六時中仕事に専念しろということではない。それではとても体がもたない。だから時に休息したり、あるいはレジャーを楽しむことがあってもいいと思う。ゴルフをするなり、温泉に行くのもそれなりに結構である。
しかし、そのように体は休息させたり、遊ばせたりしていても、心まで休ませ遊ばせてはいけない。お湯のあふれる姿からも何かヒントを得るほどに、心は常に働いていなくてはならない。まったく遊びに心を許してしまうような人は、厳しいようだが、指導者としては失格だと思う。

私も休みの日は一日中本を読んだり文章を書いたりしている。しかしたしかにずっと勉強しているとさすがに疲れてくる。1日1時間くらいはゲームをする。リラックスするためにゲームをするので、心も体も休息しているのだが、その時も学ぶ気持ちは忘れていない。

サッカーゲームをするときも陰と陽の物事の二面性を学ぶ。敵や味方のプレーヤーがいるところは陽。誰もいないスペースは陰。サッカーゲームの初心者は敵や味方がいる場所である陽ばかりを見る。しかし中級者はスペースも見る。スペースを見るかどうかで大きく違ってくる。スペースがあればそこに味方が走りこめる。そこにパスを出せる。プレーヤーがいる場所という「陽」とスペースという「陰」の状態が刻々と変化していくのがサッカーゲームだ。『易経』の「易」とは「変わっていく」という意味だ。別に私はサッカーゲームがうまいわけでは決してない。しかし陰と陽をサッカーゲームからも学んでいる。

本もビジネスも演劇も、どの分野においても、人は目立つ「陽」ばかりを見る。しかしたとえば演劇も、本番という「陽」だけではなく、練習という人が見ない「陰」も見ると理解が深まるのだろう。何事もそうなのかもしれない。ビジネスも製品やサービスという表に出た「陽」を我々は見る。しかしその背景の「陰」を見るともっと理解が深まるはずだ。

サッカーゲームで自分が先制点をとったとする。その時気を付けることは油断しないことだ。点を取った直後は逆に失点しやすい。一番気を付けないといけないタイミングは実は自分が点を取った後である。勝って兜の緒を締める。逆に相手に点を取られリードされてもあきらめない。慌てず焦らずとりあえす1点返すことに専念する。サッカーゲームも気持ちの訓練になる。

アクションRPGでザコ敵と戦うときは何も考えずに□ボタン連打で勝ててしまう。しかしボス戦になると難しくて考え練習しないと勝てない。そういうプレーの仕方はあまりよくない。正しいのはザコ敵と戦うときに、いかに効率よくダメージを受けずに、いちいち意識したり考えなくても反射的に正しい戦い方ができるようにしておくことである。普段のザコ敵と戦うときに十分に修練していれば、難しいボス戦でもスムーズに戦える。これは人生に通じる考え方である。

すぐれた人は細かいところからも学ぶ。普段の生活から学ぶ。ザコ敵と戦うときに学ぶのと同じだ。以前その点に関し記事を書いた。リンク→大事と小事

続きは志を立てるをご覧ください。

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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。