真理を持つ人はどこまでも努力を続ける

真理を自分の中に持っている人は目標を達成しても満足しない。真理自体に魅力があるためまたさらに次の目標に向かって進む。しかし他人に褒められること、もしくはお金を得ることが目標である場合はそれが達成されると、満足しそこで努力を止めてしまう。

私自身の経験を話す。私のお受験の経験について。中学時代私は普通の中学に通っていた。とくに入学試験もなく、近くの小学校から自動的に進学する中学。学校の授業はあまり聞かず、家でも勉強していなかった。しかし模擬試験では試験の前3日だけ勉強して、ほぼ毎回学年1位だった。高校は佐賀西高校という高校。佐賀の田舎の高校でそんなにレベルは高くないが、佐賀県内ではトップクラスの高校。各中学からつわものたちが集まる。入学式最初の試験ではたしか校内7位とかだった。その後、実際に医者とか弁護士になっていく人たち相手に勉強せずに勝てるわけもなかったのだ。中学の時から佐賀市内のほかの中学の生徒のうわさはよく聞いていた。「○○中学の××はすごく優秀らしいぞ」とか「うちの中学のトップだったやつが△△中学に転校したけど、20位くらいにしかならないらしいぞ」とか。高校に入学してうわさの人たちを目の前で見た私はがぜん心に火が付いた。中学時代とはうって変わってガリガリに勉強を始めた。勉強して半年くらいたつと1度学年1位になった。しかしたまたま1位になっただけと認識してガリ勉はつづけた。そして2年生前半の時にハイレベル模試で学校内の2位の人にダントツの差をつけて学校内では1位になった。全国ではたしか24位とか。その時私の中で何かが終わった。目標を達成してしまったのだ。勉強へのやる気を失った。私はそれからはガリ勉をやめた。それでもそこそこ勉強は続けたが、徐々に私の成績は落ちていった。言い訳めいているが、その結果、現役の時は受験に失敗した。

結局私がお受験に一生懸命になったのは他人に勝ちたい、他人に認められたいという外的な動機によるものだった。決して受験勉強に真理を見出したからではなかった。だから目標が達成されると、それ以上の努力を止めてしまったのである。

現在は違う。現在私が勉強を続けているのは、勉強に真理を見出しているからである。勉強しても順位もつかない、誰も認めてくれない、誰もほめてくれない。しかしそれでも勉強はやめない。真理を見出すと、真理はそれ自体魅力的なものであるためどこまでも努力を続ける。

もちろん他人の目が全く気にならないわけではない。twitterなどで「いいね」ボタンを押してもらうとうれしいし実際励みになっている。誰も認めてくれないとは言ったが、実際には少数認めてくれる人もいる。ただそれは最終目的ではなく、目的はあくまで真理の追究である。自分の成長である。それに少数認めてくれる人がいるのもここ数年である。それ以前は文字通り誰も認めてくれないのに勉強に夢中になっている。

『論語』憲問篇から引用する。

書下し文
子曰く。
古の学ぶ者は己のためにし、
今の学ぶ者は人のためにす。

現代語訳
昔の道を学ぶ人は自分の成長のために学び、
今の学ぶ人は他人に認められるために学ぶ。

自分の成長のために学ぶ人は真理を得た人である。そういう人は常に学び続ける。自分の内側から発する学びである。他人に認められるために学ぶ人は他人に認められると努力を止めてしまう。それだけならまだいいが、他人に認められるためだけに努力する人は、「奥深い自分が本当は何をしたいか」という大切なことを忘れてしまう。それは自分を失う結果になりかねない。『近思録』論学篇から引用する。

書下し文
古の学ぶ者は己のためにし、その終わりは物を為すに至る。
今の学ぶ者は物のためにし、その終わりは己を喪うに至る。

現代語訳
昔の道を学ぶ人は自分の成長のために学び、
その終わりは他人もを立派にするに至る。
今の学ぶ人は他人に認められるために学び、
その終わりは自分自身を失ってしまうに至る。

スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。

何かに挑戦して素晴らしい成功を収めたら、ほかの大きなことに挑戦すべきだ。成功に浸るのはほどほどにしておけ。次に何をやるか考えるんだ。

ジョブズのように真理を追究する人は努力を止めない。さらに物事を改善し、次の問題へと進んでいく。ジェフ・ベゾスに次の言葉がある。

世の中に存在する問題の大半にはすでに何らかの解決策がある。しかしすべての解決策には改善の余地がある。まだ完璧なものは存在しないと私は思う。

ジェフ・ベゾスも現在の自身の成功に浸ったりしない。真理を追究しまだまだ自分の足りなさを自覚しどこまでも改善を続けていく。過去の栄光にも浸らない。次の言葉もある。

顧客のブランド志向に頼る会社はどうかしている。顧客があなたを選ぶのは、あなたが顧客のブランド志向に頼っていないからだ。これは1つの矛盾である。過去の栄光に甘んじてはいけない。

ジェフ・ベゾスが過去の栄光に甘んじず、つねに真理を追究し向上を続けていくのがわかる。

『Invent & Wander』に2012年のベゾスレターの次の記載がある。

アマゾンの何よりの活力の源はお客様に喜んでほしいという願いであって、何が何でもライバルを出し抜きたいという欲ではありません。
どちらのやり方のほうが業績を最大化できるかについての見解はありません。どちらのやり方にもいい点と悪い点がありますし、ライバルを注視して大成功している企業もあまた存在します。私たちもライバル会社に注意を払う努力はしますし、ライバル会社に刺激を受けてはいますが、いまのところはお客様中心主義がアマゾンの文化におけるもっとも重要な要素になっていることは間違いありません。
一見目立たない利点ですが、お客様を起点にすべてを考えると、ある種の積極性が内側から生まれてきます。自分たちが最高でないと思えば、外からの圧力がなくてもすぐに行動するからです。私たちは必要に迫られなくても、自分たちから進んでサービスを改善し、特典や機能を加えます。誰かに言われなくても、お客様のために価格を下げ、価値を向上させます。必要に迫られる前に発明します。
ライバルに対応するためではなくお客様に注目するからこそ、こうした投資が進むのです。この姿勢によってお客様からより大きな信頼を得ることができますし、私たちがすでに一番手の領域でも、顧客体験を急速に改善することが可能になるわけです。

AWSはこの分野で圧倒的な首位にあることが認知されている中で、このような改善がいくとも行われているわけです。ライバルの脅威がなく、外発的モチベーションには頼りにくい状況です。それでもお客様を「あっ」と言わせたいという強い想い、つまり内からの原動力がイノベーションの速さを維持させています。

「お客様を起点にすべてを考えると、ある種の積極性が内側から生まれてきます」とある。「内からの原動力がイノベーションの速さを維持させています」ともある。

カスタマーファーストの視点をとることは真理に向き合うことに近いのだろう。それに対してライバル会社に注目するのは他人を気にするのに近い。ライバル会社に注目するのはエネルギーになる。私が受験勉強に一生懸命になったのと同じ。それはベゾスも言う通り悪いとは限ない。それを一時的なエネルギーとして利用するのは良いことだろう。しかしそれだけでは足りない。真理をとらえないと「内側からの積極性」は生まれない。「内側からの積極性」こそが本当の意味での積極性であり、これがあればどこまでも向上していく。

■作成日:2023年9月26日

続きは情熱は作れない。見つけることしかできない。をご覧ください。

■関連記事 ビジネスリーダーの哲学と現代日本 2023年9月~10月


■このページを良いと思った方、
↓を押してください。


■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。