ビジネスとは真理の自己展開

ビジネスは真理の自己展開である。真理はその魅力によりまずたったひとりを熱狂させる。その人は学び続け真理が深まる。するとイノベーションが起きる。イノベーションとは別の分野が結びつくことであり、真理の力によって分野の垣根が崩れるからである。

イノベーションが起きると最初は非常にすぐれた人たちがその真理の魅力に共感して集まる。すぐれた人材が集まる結果すぐれた製品、サービスが生まれる。口コミなどで広がっていき売り上げにつながる。口コミとは製品、サービスの持つ真理がそれ自身の力で広まっていく過程である。

イーロン・マスクに次の言葉がある。

会社を成功させるには、優秀な人たちの心をつかみ、やる気にさせる手腕が不可欠だ。なぜなら、会社を構成するのは人だから。
人を集めて、製品やサービスを生み出していく。これが会社の目的だ。人は時々、この基本的な真理を忘れてしまう。
もし優秀な人たちを入社させることができて、共通の目標に向かってともに働き、目標達成まで必ずやり抜く気持ちを持ってもらえたら、その先に素晴らしい製品が待ち受けているだろう。
そして素晴らしい製品が完成すれば、たくさんの人がその製品を購入し、会社は成功する。

「すぐれた企業理念」→「優秀な人材」→「素晴らしい製品」→「売上」という過程を述べている。これで会社は成功する。しかしイーロン・マスクやジェフ・ベゾスの目標には続きがある。イーロン・マスクに次の言葉がある。

テスラの目標は一流ブランドになることでも、ホンダ・シビックと張り合うことでもない。正しくは電気自動車への移行を推し進めることだ。車業界全体が電気自動車一色になるまで、さらに多くの電気自動車を作って価格を下げ続けていく。
テスラが10年前の創業時に立てた目標は今も変わっていません。その目標とは「大衆向けの魅力的な電気自動車をできるだけ早く市場投入し、持続可能な輸送手段の普及を加速させる」ことです。

イーロン・マスクの最終的目標は世界の自動車を電気自動車に移行させることである。「車業界全体が電気自動車一色になる」事を目標にしている。単にテスラが成功することだけを目標にしているのではない。

ジェフ・ベゾスに次の言葉がある。

私がブルーオリジンで実現させたいのは、過去21年の間にインターネット上で起こったような、何千という会社が宇宙で爆発的に起業できる重厚な基盤を築くことだ。
宇宙は広いので多くの勝者を受け入れることができる。スペースXもヴァージン・ギャラクティックも、その他多くの企業に進出してほしい。巨大な産業はひとつの企業では起こせないが、複数の企業が協力すればひとつの生態系を構築できるだろう。
我々はまだ誰も気づいていない宇宙の利用法を見つけるつもりだ。それが何かはわからないが、宇宙で起業家たちが跋扈する様子を見てみたい。生き生きと躍動する姿が見たいのだ。偉大な産業はひとりの力で築かれるわけではない。単一の企業のみで築かれるわけではない。偉大な産業は複数の企業によって築かれ、それを宇宙でも実現させるつもりである。

ジェフ・ベゾスはブルーオリジンの成功だけを目標にしているだけではなく、宇宙産業という生態系が発展することを目標にしている。フォロワーたちがこの分野に参入してくることも計算している。利益はフォロワーたちも得ることができるが、開拓者としての名誉はブルーオリジンのものである。

すべての流れを書くと次のようになる。ここまでの論述のまとめでもある。

「ある人が真理をとらえる」→「熱意が生まれる」→「学びが生じる」→「真理が深まる」→「イノベーションが起きる」→「理念が生まれる」→「すぐれた人材が集まる」→「すぐれた製品、サービスが生まれる」→「口コミなどで広がる」→「売上生じる」→「フォロワーの参入」→「産業の生態系の発展」→「世の中の変革と理念の実現」

この流れには「自然な力」が働いている。ひとつの段階から次の段階に進む際に、「自然な力」が働いているのが分かるだろうか。それが真理自体の力である。

真理をとらえると、真理はそれ自体魅力的であるため、自然と熱意が生まれる。熱意が生まれると自然と継続的な学びが生じる。学びが継続すると自然と真理が深まる。真理が深まると自然とイノベーションが起きる。真理、本質は分野の垣根を超える。そして分野の垣根を超えることがイノベーションだからである。イノベーションが起きると自然と生きた理念が生まれる。理念が生まれると自然とすぐれた人材が集まる。その理念が持つ真理に、すぐれた人材が共感するからである。すぐれた人材が集まると自然とすぐれた製品、サービスが生まれる。すぐれた製品、サービスが生まれると、自然と口コミなどで広まる。広がっていくと自然と売上が生じる。売上・利益が生じると他の人たちもその市場に参入し自然とフォロワーが増える。フォロワーが増えると自然と産業の生態系が発展する。するともともとの理念が実現する。さらに真理があると、本当の意味での勇気が自然と生まれ、途中であきらめないという効果も自然と生まれる。

ビジネスは真理の自己展開である。ただ本当にビジネスを「真理の自己展開」と呼んでいいかは若干問題がある。ビジネスはあくまで人が行うものであり、人が主体である。真理自体が主体であるように述べるのは間違いかもしれない。

ビジネスに限らず歴史でも似たようなことは生じる。歴史は人が動かす。これは間違いない。しかし歴史は人ではなく思想が動かすという人もいる。人は死ぬ。しかし思想はひとつの世代から次の世代へと受け継がれ世代を超えて歴史を動かしていく。

人は自分の思想に従って行動する。人を動かすのはその人自身のもつ思想である。だから思想が受け継がれることによって、あたかも思想が人々を動かしながら歴史をつくっていくように見えるときもある。思想が主体に見える。

幕末でも吉田松陰が刑死し、久坂玄瑞が戦死し、高杉晋作が病死し、坂本龍馬が暗殺に倒れ、西郷隆盛が西南戦争で死に、大久保利通は暗殺された。すぐれた人々もみな死んでいく。しかしひとりが死んでもその屍を乗り越えて次の世代が歴史をつくる。日本の独立という目標とそれをどう実現するかという思想が次の人に受け継がれていく。あたかも思想が歴史をつくっているかのようである。ただ日本は途中から正しい思想を失っていく。

フランス革命でヨーロッパ中に広がった自由の精神は、その後のウィーン体制の反動の中でも生き続け広がり続けた。そして七月革命、二月革命が起きる。あたかも思想が世代を超えて主体となって歴史を動かしているかのようですらある。

結局歴史を読んでいるとある国の歴史がうまくいくかどうかは、短期的には技術力や経済力でも、最終的にはその国その民族の持つ思想が深く、正しく、地に足のついているかどうかに依存しているような気がする。だから思想が歴史を動かす主体だというのはわからなくもない。

しかし思想は人によってはじめて現実化する。人を離れては思想はない。個人的には歴史においてもビジネスにおいても確かに思想や真理が主体のように見えるときもあるが、最終的にはやはり人が主体である気もする。おそらく両方大事なのだろう。

それはこの記事では特にどちらでもいい。話は戻る。いずれにしてもビジネスは真理にもとづくと「自然な力」が生じる。もう一度並べて書く。

「ある人が真理をとらえる」→「熱意が生まれる」→「学びが生じる」→「真理が深まる」→「イノベーションが起きる」→「理念が生まれる」→「すぐれた人材が集まる」→「すぐれた製品、サービスが生まれる」→「口コミなどで広がる」→「売上生じる」→「フォロワーの参入」→「産業の生態系の発展」→「世の中の変革と理念の実現」

この流れで生じる「自然な力」を味方にできるかどうかでビジネスがうまくいくかどうかが決まる。この流れは最初のものほど根本であり、後のものほど末節である。根本が充実すると自然と末節はうまくいく。

『論語』学而篇から引用する。

書下し文
君子は本を務む。
本立ちて道生ず。

現代語訳
すぐれた人は根本を大切にする。
根本が充実すれば物事は自然にうまくいく。

根本が充実すると末節は自然とうまくいく。「自然な力」が働く。

『大学』に次の言葉がある。

書下し文
物に本末あり、
事に終始あり、
先後する所を知れば則ち道に近し。

現代語訳
物事には根本と末節があり、
事柄には最初に生じることと最後に生じることがある。
何が先であり何が後であるかを知れば、道を知ったのに近い。

ビジネスは上述の順番で生じる。何が先で何が後かを知れば道を知ったのに近いという。

この物事の順番に関して『大学』に次の記載がある。

書下し文
君子は先ず徳を慎む。徳あれば此に人あり、人あれば此に土あり、土あれば此に財あり、財あれば此に用あり。徳は本なり、財は末なり。

現代語訳
君子はまず徳を充実させる。徳があれば自然に有能な人々が帰服し、有能な人々が帰服すれば領地が得られる。領地が得られれば財物が豊かになり、財物が豊かになれば大業が起こる。徳が根本であり、財物は末節である。

「徳」→「人材」→「領土」→「財力」→「業績」という根本と末節の連鎖になっている。根本が充実すると自然と末節も充実する。『大学』は2000年以上前の書物である。だから例が古い。その本質は古くないが見た目が古いのである。現代では領土を増やすというのはナンセンスなので例が古いのが分かるだろう。現代ビジネスにこの思想を応用すると私が述べた順番になる。しかし両者の本質は同じだとわかるだろう。

『大学』からさらに引用する。

書下し文
古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲する者は先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。意誠にして後、心正し。心正しくして後、身修まる。身修まりて後、家斉う。家斉いて後、国治まる。国治まりて後、天下平らかなり。

現代語訳
いにしえの時代に自らの聖人の徳を天下に明らかにしようとした人は、まず自分の国を治めた。自分の国を治めようとしたひとは、まず自分の家を和合させた。自分の家を和合させようとした人は、わが身を修めた。わが身を修めようとした人は、まず自分の心を正しくした。自分の心を正しくしようとした人は、自分の意を誠にした。 意が誠になってこそはじめて心が正しくなる。心が正しくなってこそ、はじめてその身が修まる。その身が修まってこそはじめて家が和合する。家が和合してはじめて国が治まる。国が治まってはじめて天下が平らかになる。

これも根本と末節の連鎖である。詳しくは述べないが、「誠意」→「正心」→「修身」→「斉家」→「治国」→「平天下」の順番である。

ただやはり例が古い。現代のわれわれは歴史好きでもない限り、私が示したビジネスにおける根本と末節の連鎖を参照すべきだと思う。ただやはり表面的には両者に違いはあっても本質においては同じだとわかるだろう。

■作成日:2023年10月12日

続きは新鮮な魚屋さんはさらに新鮮になる。好循環の法則。をご覧ください。

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