真理を尊敬するのが「公」。真理がないのが「私」。

真理をとらえる人の多くは仕事にその真理の実現を見出す。もちろん私のように論文を書くという趣味に真理の実現を見出す人もたくさんいるけれど。仕事を通して自分の持っている真理を実現する人は当然ながら、仕事が好きになる。

スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。スタンフォード大学の卒業式のスピーチの一部。

自分が大好きなことを見つけなければならない。それは恋愛でも仕事でも同じだ。今後は仕事がみなさんの人生の大部分を占めるようになるが、真の満足を得る唯一の方法は、自分が心から素晴らしいと思える仕事をすることだ。そして、素晴らしい仕事を成し遂げる唯一の方法は、自分の仕事を愛することだ。妥協してはならない。

仕事を愛することとは仕事に真理の実現を見出すことである。ジョブズが最初Appleにいたとき、マッキントッシュというPCを創った。マッキントッシュのチームは「週90時間、喜んで働こう!」というTシャツを着ていた。ある意味ブラック企業だが、本当に自分の持つ真理を実現できる仕事であれば、おそらく長く働いてもつらくないだろう。

『Invent & Wander』という本にジェフ・ベゾスの次の言葉がある。

長い間、激務続きでヘトヘトになることもあるかもしれない。だが、問題は長時間、仕事に縛りつけられることではない。たいていは活力の問題だ。仕事で活力が奪われているだろうか?それとも仕事で活力が湧いてくるだろうか?
問題は労働時間ではない。もちろんどんなに長く働いてもいいとは思わないが、たとえば私は週100時間浮かされたように働いても問題ない。それは家庭からも仕事からも元気をもらっているからだ。

週100時間働くのはブラック企業である。私は無理だ。しかし仕事に真理を見出す人はできるのかもしれない。

真理を得ると人は真剣になる。自然と真剣になる。松下幸之助に次の言葉がある。

失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい。

真剣であれば失敗からも学ぶ。真剣でなければ何度失敗しても学ばないという。

企業が採用の際、その人に熱意があるかどうかを基準とするのは、その人がその仕事にどれだけの真理を見出しどれだけの真理の実現ができるかを計ろうとしているのだと思われる。ビル・ゲイツに次の言葉がある。

私たちが選ぶのは、製品や技術に対する熱意を持っている人物、その製品や技術で驚くようなことを実現できると心から信じているような人物です。

スティーブ・ジョブズはマッキントッシュチームに人材をリクルートする際に、その人のマッキントッシュに対する情熱で判断したという。伝記『スティーブ・ジョブズI』から引用する。

1981年の春、ジョブズは引き抜いて海賊の仲間とすべき人物かどうかを、マッキントッシュに対する情熱の有無で判断していた。たとえばリクルート候補の目の前で、マックのプロトタイプにかけておいた布をかっこうよく取り、その反応を見たりするのだ。
「目が輝き、マウスをつかんでカーソルを動かしたりクリックしたりしはじめると、スティーブはにっこり笑ってチームに加えました。『うわ~』と言ってほしいわけです」とアンドレア・カニンガムは言う。

スティーブ・ジョブズの性格は詳しく知らないが、もしかしたらカニンガムの言う通り自分が褒められたのを喜んだのかもしれない。しかしそれ以上に彼はその候補者がマッキントッシュにどれだけの真理を見出していたかを確認していて、その真理を認識していることを喜んだのである。

自分が褒めてもらうことを喜ぶのは、別に悪くはないが「私」であり私欲である。しかしマッキントッシュの真理への共感してもらったのを喜ぶのは「公」であり公欲である。ジョブズは真理を重んじる人である。「私」の要素がどれだけあったかは分からないが、「公」の要素がそれよりもはるかに大きかったのは間違いない。

『荀子』不苟篇に次の言葉がある。

書下し文
君子は人の徳を尊び人の美を挙げるも諂諛に非ず。

現代語訳
すぐれた人は、他人の徳を尊敬し他人の長所を褒めるが、それはへつらいではない。

他人にへつらって褒めるのは「私」である。しかし他人の持つ真理を尊敬して褒めるのは「公」である。すぐれた人は「公」なのである。

さらに次のように続く。

書下し文
正議直指して人の過ちを挙げるも毀疵に非ざるなり。

現代語訳
正論に基づき他人の過ちを指摘するが、他人を傷つけるためではない。

他人を傷つけるために他人を批判するのは「私」である。真理を大切にし真理に背く過ちを指摘するのは「公」である。さらに続く。

書下し文
時とともに屈伸し、柔従なること蒲葦の如くなるも、懾怯に非ざるなり。

現代語訳
時の変化に応じて出処進退し、時に蒲や葦の葉のように柔らかく従順であるが、それは臆病なのではない。

臆病で他人に従うのは「私」である。しかし真理を尊敬し真理に従順に従い控えめになるのは「公」である。さらに引用する。

書下し文
剛彊猛毅にして伸びざる所なきも、驕暴に非ざるなり。

現代語訳
時に剛強で強くどこまでもやり遂げるが、粗暴なのではない。

粗暴なのは「私」である。しかし真理に従い真理を剛強にやり遂げるのは「公」である。さらに引用する。

書下し文
義をもって変応し、曲直に当たることを知るのゆえなり。

現代語訳
これらはすべて真理を中心として変化し応じて、物事の正しさに的中するためである。

「公」であるか「私」であるかの基準は、そこに真理への尊敬があるかどうかということである。

スティーブ・ジョブズが候補者のマッキントッシュへの情熱を喜んだのも、真理に基づく「公」である。「私」ではないのである。

■作成日:2023年9月26日

続きは真理を持つ人はどこまでも努力を続けるをご覧ください。

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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。