真理を持つと勇気が出る

スティーブ・ジョブズ率いるアップルは1984年にマッキントッシュを発売した。その時「1984」という有名なCMをつくった。その時のジョブズの基調講演から引用する。

時は1984年。IBMはすべてを独占しようとたくらんでいるようだ。アップルはIBMに対抗できる唯一の希望と見られている。最初は両手を広げてIBMを歓迎していた販売業者も、今やIBMが完全に支配する未来におびえている。彼らはアップルだけが自由な未来を実現できると考え、なりふり構わずこちらに戻ってきているのだ。IBMはすべてを独占しようとしている。そして業界を支配するため、最後の障壁であるアップルに照準を合わせている。「ビッグ・ブルー」はコンピュータ業界全体を支配するのか?この情報化時代を永久に支配し続けるのか?ジョージ・オーウェルは正しかったのか?

「ビッグ・ブルー」とはIBMのことである。当時からIBMは巨大企業だった。そしてアップルは小さな会社だった。我々からするとアップルもIBMと同じくらいもしくはそれ以上に大きな会社である。しかし当時はアップルはまだ創業して間もない小さな会社だった。1995年に当時を振り返ってスティーブ・ジョブズが次のように語っている。

「1984」のコマーシャルを見ただろう。要するにマッキントッシュっていうのは、カリフォルニア州クパチーノの小さな会社が巨大組織のIBMに食ってかかって、こう言い放ったようなものなんだ。「ちょっと待ってくれよ。君たちのやり方は間違っている。コンピュータのあるべき姿じゃない。後世に残しちゃだめだ。子供たちに、こんなのお手本にしてほしくない。間違ってるから、どうすればいいのか僕らが示してあげよう。ほらこれだよ。マッキントッシュっていうんだ。こっちのほうがはるかにいいだろう。」

次の言葉もある。

世界最大のコンピュータ会社がAppleIIに太刀打ちできなかったなんて不思議だよ。6年前にガレージで設計したコンピュータなのに。

「世界最大のコンピュータ会社」とはIBMのことだ。なぜアップルのような当時小さな会社を率いるジョブズが、巨大企業IBMを恐れなかったのか。それはジョブズが「使いやすいコンピュータをすべての人に届ける」という使命を持っていたからだ。真理を持っていたからだ。

松下幸之助に次の言葉がある。『一日一話』から引用する。

私は一般的に、本当の勇気というものはひとつの正義に立脚しないことには、また良心に顧みてこれが正しいと思わないことには、湧いてこないと思うのです。だから、勇気が足りないということは、何が正しいのかということの認識が非常にあいまいであるところから出てきている姿ではないかという感じがします。人々がそれぞれに自問自答して何が正しいかということを考える。そしてこの正しさは絶対に譲れない、この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は、たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そういうような感じを私は持っているのです。

心から信じられる真理を持っていると自然と本当の勇気が湧いてくると言う。次の言葉もある。

人間は、時に迷ったり、恐れたり、心配したりという弱い心を一面に持っている。だから事を成すに当たって、ただ何となくやるというのでは、そういう弱い心が働いて、力強い行動が生まれてきにくい。けれどもそこにひとつの使命を見出し、使命感を持って事に当たっていけば、そうした弱い心の持ち主といえども、非常に力強いものが生じてくる。だから指導者は、つねに事に当たって、何のためにこれをするのかという使命感を持たねばならない。そしてそれを自ら持つとともに、人々に訴えていくことが大事である。そこに「千万人といえども我行かん」の力強い姿が生まれるのである。

使命とはその人が持っている真理の実現である。真理を持っていると自然と力強くなる。次の言葉もある。『日々のことば』から引用する。

「何が正しいか」を考える。そこから言いにくいこともあえて言うことのできる勇気や力が湧いてくる。

我々日本人は空気を読みがちである。発言を自分から控える。しかし真理を持っていると「それでもあえて言おう」という勇気が湧いてくる。

『菜根譚』から引用する。

書下し文
彼が富もってすれば我は仁。
彼が爵もってすれば我は義。

現代語訳
他人がお金で威圧してくれば、私は仁で対抗する。
他人が地位で威圧してくれば、私は真理で対抗する。

スティーブ・ジョブズが巨大企業IBMに一歩も譲らなかったのはスティーブ・ジョブズが真理を持っていたからである。IBMの規模に真理で対抗したのだ。お金や地位に頼らない本当の自信が彼にはあった。

『論語』公冶長篇に次の言葉がある。

書下し文
子曰く。吾未だ剛者を見ず。
或る人、答えて曰く、申トウと。
子曰く、トウや欲なり。焉んぞ剛なることを得ん。

現代語訳
孔子が言われた。「私は剛の者を見たことがない。」
ある人が答えて言った。
「申トウがいますよ。」
孔子が言われた。
「申トウには欲がある。どうして剛の者でありえようか。」

申トウとはどのような人だったのかよく分かっていないらしい。しかし恐らくヤクザみたいなぱっと見勇敢な人だったと思われる。孔子は本当の勇敢さは真理にもとづくものであり、申トウのように私欲がある人は本当の剛の者ではないと述べたのである。私欲は真理の逆だからだ。

『言志耋録』に次の言葉がある。

書下し文
英気はこれ天地精英の気なり。聖人はこれを内に蘊みて、敢えてこれを外に露さず。賢者は則ち時々これを露す。自余の豪傑の士は全然これを露す。

現代語訳
すぐれた気は、天地でも最もすぐれた気である。聖人はそれを内に包んで外に表さない。賢者は時々これを外に表す。豪傑たちはすべて外に表す。

『論語』の申トウのような人は豪傑の部類の人だったのかもしれない。もちろんそういう人は勇気がある人である。しかし一見勇気を持たないようでも、本当は勇気のある人というのもいると言う。松下幸之助に次の言葉がある。『道は無限にある』から引用する。

先般あるところで話をしていたら、この頃の人はどうも勇気がない、もっとお互い勇気を出そうではないか、という話が出ました。そこでそれでは勇気というものはどういうときに生まれるのだろうかと、お互いに話し合ったのです。
生まれつき勇気のある人もいます。生まれつき勇気のない人もいます。これは生まれつきですからどうすることもできません。けれども本当の勇気は、生まれつきということを超越して生まれるものだと考えられます。つまり何が正しいかということに立脚したときに、はじめて本当の勇気が湧くということです。
だから生まれつき勇気のある人はまことに結構であるし、偉い人に違いないけれど、その勇気は比較的小さいものである。本当の大きな勇気というものは、「このことは許されない、このことは断じて許すことのできないものである。なぜかというとそれは正しからざることである。」そういうことに立脚して事を起こさんというときに、はじめて本当の勇気が出る。これは生まれつき勇気のない人でも、そういう場合に立ったときには、本当の勇気が出る。こういう結論になったのです。
これはみなさんとしてもいろいろ経験があるでしょうが、私も、あの人は何か心弱いような人だと思う人でも、うまくやっている人があることを知っています。それで話を聞いてみると、「私はこういうことが正しいと思うから、これだけは譲らないのだということでやっているわけです。」と言う。そしてその人の言う通り動いて行っているのです。つまり外見は、勇気がなくビクビクしているようであるけれども、心は強いというわけです。
心が強いのはなぜかというと、彼は常に何が正しいかということを考えているのです。それに立脚してものを見ている。だからそこから勇気が湧いてくる。そうでなければ勇気があっても、それは生まれつきにある勇気で、弱い、本当の勇気にはならないだろうと思います。

『論語』の申トウは松下幸之助の言う「生まれつきの勇気」を持った人だと思われる。しかし松下幸之助はそれは小さい勇気だという。本当の勇気は真理に立脚したときに生じてくるものだというのだ。真理を得ると生まれつきは気の弱い人でも本当の勇気が生まれてくる。そのような勇気が本当は強い勇気なのだという。次の言葉もある。

以前私は時間があると坂本龍馬のテレビドラマを見ていたことがありますが、坂本龍馬は非常にすぐれたものを持っていたようです。彼は三十二、三歳で不慮の死をとげたのですが、そういう短い人生においてあれだけの成果をあげたということは驚くべきことだと思うのです。が、問題はなぜあれだけの知恵と勇気が出たのかということです。
天性そういう知恵と勇気をもって生まれていたという見方もありましょうが、私はそれだけで事を断じてはならないという感じがします。彼は当時として、真に日本のために、国民のために何が正しいかということを、彼なりに本当に追求していったのだろうと思うのです。そして、得た答えが彼の行動になってあらわれたと思うのです。そういうものをもたずした、単なる知恵、才覚、勇気だけではあれだけの仕事はできません。
やはり本当に国のために国民のために、社会のために、何が正しいかということを考えて、そしてやろうというところに、私は知恵、才覚というものが生まれてくるのだと思うのです。そういう境地にいたらなくしては、知恵、才覚というものは本当に生まれないと思うのです。普通の知恵は生まれるでしょう。しかし本当に偉大な知恵というものは生まれないと思うのです。
そういうことを考えてみますと、今日本人お互いが、真に国家の大事に直面したことを自覚して、それに対して何が正しいか、何をなすべきかということを深く考えれば、きのうまで考えつかなかったことも、きょうははっきりとこうしたらいいのだなとわかる知恵も生まれ、またそれを遂行しようという勇気も生まれてくると思うのです。

坂本龍馬もスティーブ・ジョブズも松下幸之助も真理に立脚した勇気を持っていた人だということがよく分かる。

■作成日:2023年10月6日

続きは真理を持つ人はあきらめないをご覧ください。

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