現代日本における「効果的作用点」

生きた普遍的な思想を日本にもたらすことが、日本の停滞を解決するひとつの有力な方法だと思っている。『最強組織の法則』では、このような大きな改善をもたらす場所を「効果的作用点」と呼ぶ。以下引用する。

困難な問題と取り組むということは、しばしば、ハイ・レバレッジのある場所、すなわち効果的作用点をとらえるということである。最小の努力によるひとつの変化が、持続する意味深い改善につながる場所。

普遍的な生きた思想をもたらすことが恐らく現代日本の停滞を解決するうえでの「効果的作用点」である。そこにおいて「最小の努力によるひとつの変化が、持続する意味深い改善につながる」と思われる。そして上の文章は次のように続く。

ただひとつ問題なのは、変化を生む効果的作用点は、システムのほとんどのメンバーにはきわめて見えにくい点である。

恐らく日本の停滞が思想に由来すると考える人は少ないだろう。実際、停滞の原因は日本人自身にとっても見えにくい。別の個所に次の言葉もある。

問題の根底にあるのは、複雑な人間組織の根本的特徴 ― すなわち「原因」と「結果」は時間的・空間的に近接しているとはかぎらない ― ということである。

原因と結果は隣接していると人は思う。日本の停滞という「結果」はビジネスの問題であるから、「原因」もビジネスにあると考える人が多い。それももちろんある程度正しいのであるが、一見ビジネスとは遠い思想に、根本的原因がある可能性がある。「原因」と「結果」は時間・空間的にも分野的にも近接しているとは限らないのである。そのため本当の原因である「効果的作用点」を見つけるのは困難である。

ではどうすれば「効果的作用点」を見つけることができるか。同書に次の言葉もある。

人間組織に変化を起こす効果的作用点は、そうした組織で働く諸力を理解しないかぎり目につかないのである。

日本の停滞の原因を解決するための効果的作用点を見つけるには、日本で働いている様々な「諸力」を理解しないといけない。部分ではなく全体を理解しないといけない。現代日本で起きていることや、日本の経済、ビジネス、社会、思想、文化、歴史を知る必要がある。そして日本以外の海外の、社会、思想、文化、歴史を知る必要がある。専門は持つ必要はあるが、専門にとらわれず幅広く学ばないと発見できない。

次の言葉もある。

真のレバレッジとは、細部の複雑さではなく動態的な複雑さを理解することである。

専門家は細部に詳しくなりがちである。それは必要だが、それだけでは効果的作用点を見つけることはできない。幅広く学ぶことが重要になる。

ショーペンハウエル『知性について』から引用する。

もっとも重要でもっとも深い洞察を提供するのは、個々の事物についての細心な観察ではなく、全体の把握の充実度なのである。

再度『最強組織の法則』から引用する。

問題にぶつかったらばらばらにするんだ。世界を細かく分解すればいい。―― 幼いころからわれわれはそう教えられる。これで複雑な課題やテーマも一見取り組みやすくなる。しかし、その裏にひそむ莫大な代価をわれわれは支払うことになるのだ。なぜなら、行動のもたらす結果をもう予測できないからである。つまり、より大きな統一体とつながっているという実感が失われてしまうのだ。そこでわれわれは「大局を見よう」として、頭の中にある断片を寄せ集め、全部のかけらを項目に分け、意味あるまとまりをつくろうとする。しかし、それはむなしい。割れた鏡の断片を寄せ集めて正しい映像を見ようとするようなものだから。こうして、やがて人は全体を見る努力をすっかりあきらめてしまう。

我々は科学的思考、つまり物事を分解して考える方法に慣れている。部分を担当する専門家の意見を寄せ集めれば、全体が見えると思う。しかしそれは「割れた鏡の断片を寄せ集めて正しい映像を見ようとするようなもの」だと著者は言う。さらに引用する。

システム思考とは、全体を見るためのディシプリンだ。それは物事自体ではなくその相互関係を、静止的な「断片」ではなく変化のパターンをとらえるための枠組みなのだ。

効果的作用点を見つけるためには、部分だけではなく、全体を見る必要がある。全体を見たとき効果的作用点が分かる。次の言葉もある。

われわれは気づかぬ構造によって拘束されているのだ。だからこそ逆に、自分たちの活動の場となっている構造を把握できるようになれば、見えない力から解放され、その力を利用したり変えたりできる第一歩となるだろう。

問題の背景には世界の思想状況がある。日本の停滞はその現れのひとつである。現代においては西洋思想が中心である。西洋思想が全世界に波及している。東洋人である我々日本人は、西洋思想を深く吸収することができないでいる。我々は「気づかぬ構造によって拘束されているのだ」。しかし生きた思想を得て弾み車が回れば、ある程度その問題は解決し、「見えない力から解放され、その力を利用したり変えたりできる」ようになるはずだ。

現代日本のビジネス書を私は読む。非常に面白い。有益な本が多いと思う。しかしすべてではないがその一部は、対症療法的な解決策を提示しているだけである。再度『最強組織の法則』から引用する。

根本にある問題からは目につくような症状が生じる。一方、根本的問題は、不明瞭であったり対処に費用がかかりすぎたりして、立ち向かうのが困難だ。そこで人は問題を、前向きかつ簡単で非常に効率的に見える別の解決方法に「すり替え」てしまう。しかし残念ながら安易な「解決方法」によって改善されるのは症状だけで、その根底にある問題は手つかずのまま残される。症状が消えると、システムは根本的な問題の解決能力を失うため問題はますます悪化する。

風邪の症状である高熱は解熱剤で治すことができる。しかし高熱が治ることで状況が改善されたと思いこむため、根本的な風邪という問題は手つかずで残される。現代日本のビジネス書の一部は対症療法的である。全体が見えないので根本的な問題に気づかない。

この本に次の図と次の言葉もある。

問題のすり替えはふたつの平衡プロセスから構成されている。いずれも同じ問題の症状を緩和または改善しようとするプロセスだ。上の円は対症療法的な介入、つまり「応急処置」。これは即座に症状を解決するが、一時的なものにすぎない。下の円は遅れを伴う。こちらは問題へのより根本的な対応を示しており、効果が現れるのに時間がかかる。しかし根本的解決策のほうがずっと効果的に作用する。問題に対する持続的な対処方法はおそらくこれしかないだろう。問題のすり替え構造には多くの場合、対症療法的解決策の「副作用」として生じる依存症の拡張プロセスが見られる。この副作用のために根本的解決の実施はより困難になる。健康上の問題を改善するために処方された薬の副作用を例にとってみよう。その問題がそもそも不健全なライフサイクルによって生じたものなら、唯一の根本的解決策はライフスタイルの改善にある。薬は症状を緩和し、生活改善の必要性を取り除く。しかし同時に副作用を伴うため、さらに健康を悪化させ、健康的なライフスタイルを確立するのがますます困難になる。

私が言う「現代日本の弾み車」も、仮にうまくいったとしても「効果が現れるのに時間がかかる」はずである。しかし「根本的解決策のほうがずっと効果的に作用する」はずだ。次の言葉もある。

問題のすり替え構造は、よかれと思ってとった「解決策」が実際には長期的にみて問題を悪化させるようなさまざまな行動を説明する。「対症療法的解決策」は確かに魅力的だ。目に見える改善が得られる。問題解決のために「何かを行わなければ」という外的および内的な重圧からも解放される。しかし症状を緩和することにより、より根本的な解決策を見つける必要性も薄れたように見えてしまう。根本的な問題は手つかずのままで、悪化することもあり、また対症療法的解決策の副作用は根本的解決策の導入をさらに困難にする。時がたつにつれ、対症療法的解決策への依存度はますます高まり、しだいにこれが唯一の解決策となっていく。

わたしは対症療法的解決策にまったく意味がないとは思わない。しかし根本的解決策のみが最終的に正しく問題を解決するのは事実である。

■作成日:2023年10月19日

続きは生きた思想が現代日本の万能薬?をご覧ください。

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