大きいことも小さく始まる

朝起きてまず何がしたいかが、その人がいちばんやりたいことのような気がする。私は休みの日、早く起きると「ラッキー、古典が読める!」と思う。もしくは現在のように文章を書いている時期なら、「よし、文章書くぞ!」と思う。

イーロン・マスクに次の言葉がある。

目指すべきことが3つある。
朝起きて、早く仕事がしたいと思うようじゃないとだめだ。
それから莫大な報酬を目指す。
さらに、世界に影響を与えられる人になるべきだ。
3つすべてみたしているなら、あなたは自分の子供に教えれらる何かを持っている。

これも真理をとらえることが根本にある。真理は人を夢中にさせる。真理をとらえ仕事でその実現を目指している人は、朝起きてすぐに仕事をしたいと思う。真理をとらえているから情熱が生まれる。真理をとらえていれば大きな報酬を得る。真理をとらえていれば世界に影響を与えられる人になる。3つのことを述べているが、それらは「真理をとらえる」というひとつのことに集約される。ちなみに私が実現しているのは情熱だけだ。

真理に夢中になると人は学び続ける。誰にも評価されず、誰にも褒められなくても真理を追究する。『荀子』宥坐篇に次の言葉がある。

書下し文
それ蘭は深森に生じ、人なきに因りて芳しからざるに非ず。
君子の学は通ずるが為めに非ず。

現代語訳
蘭の花は深い森に咲くが、人がいないからと言って芳しい香を放つことを止めたりはしない。
同じように、すぐれた人が学ぶのも人に認められるためではない。

『大学』に詩経を引用して次の言葉がある。

書下し文
有斐しき君子は、切るが如く、磋くが如く、琢つが如く、磨るが如し。

現代語訳
すぐれた君子は、切りこんで、やすりをかけて、たたいて、すり磨くようだ。

すぐれた人が自分を磨き続けるようすを述べている。「切磋琢磨」という言葉はここから来ている。すぐれた人は他人に褒められなくても学び続ける。

『言志後録』に次の言葉がある。

書下し文
自ら彊めて息まざるは天の道なり。
君子の為す所なり。
虞舜の孳孳として善を為し、
大禹の日に孜孜せんことを思い、
成湯のまことに日に新たにし、
文王の遑暇あらざる、
周公の坐して以て旦を待てる、
孔子の憤を発して食を忘るるが如き、みな是なり。

現代語訳
つとめて休むことのないのは天の道である。
すぐれた人が為すところである。
舜が常に善を為そうとしたのも、
禹が日々善を為そうとしたのも、
湯王が「徳を新たにしよう」と述べたのも、
文王が暇なく仕事をしたのも、
周公が朝を待ち仕事をしたのも、
孔子が発奮して食事を忘れたのも、みな同じである。

古代中国の舜、禹、湯王、文王、周公、孔子はみな真理をとらえ真理の実現に努めた偉大な人たちである。真理を得た人は常に努力を続ける。

『論語』述而篇に次の言葉がある。

書下し文
葉公、孔子を子路に問う。
子路答えず。
子曰く。
汝何ぞ言わざる。
その人となりや、憤りを発して食を忘れ、
楽しみて、以て憂いを忘れ、
老いのまさに至らんとするのを知らざるのみと。

現代語訳
葉公が孔子のことを子路に尋ねた。
子路は答えなかった。
孔子が言われた。
「なぜおまえは言わなかったのだ。
その人となりは学問に発憤しては食事を忘れ、
道を楽しんでは心配事を忘れ、
老いがやってくることも気づかずにいると」。

孔子は真理を得た人である。だから真理に発憤して食事を忘れる。真理を楽しんで心配事を忘れる。真理に夢中になり老いを忘れるのである。

松下幸之助に次の言葉がある。

一般的に人間は年齢を加えるとともに若さが失われていきます。けれども、そういう中でも、なお若さを失わないという人もいます。それはどういうことかというと心の若さです。
企業においても、大切なのはそういう精神的若さでしょう。言いかえれば、経営の上に若さがあるかどうかということです。そして、経営の若さとは、すなわちその企業を構成する人々の精神的若さ、とりわけ経営者におけるそれではないかと思うのです。経営者自身の心に躍動する若々しさがあれば、それは全従業員にも伝わり、経営のあらゆる面に若さが生まれて、何十年という伝統のある企業でも若さにあふれた活動ができるようになると思います。

真理をとらえた人は年齢を重ねても精神的な若さを失わない。孔子も松下幸之助もそのような人である。

真理を好むことを極めた人を荀子は次のように表現する。『荀子』勧学篇に次の言葉がある。

書下し文
これを極めて好むに至りては、目はこれを五色よりも好み、耳はこれを五声よりも好み、口はこれを五味よりも好み、心はこれを天下を保つよりも良しとす。この故に権利も傾くること能わず、群衆も移すこと能わず、天下も動かすこと能わず、生もこれに由り、死もこれに由る。

現代語訳
真理を非常に好むようになると、目は美しい色彩を見るよりもそれを好み、耳は楽しい音楽を聞くよりもそれを好み、口はうまい味を味わうよりもそれを好み、心は天下を有するよりもそれを良しとする。そのゆえに、権勢や利益で誘ってもその人を傾けることはできず、群衆もその人の志を移すこともできず、天下もその人を動かすことができない。生きることも真理のためであり、死ぬことも真理のためになる。

私はそこまでは到達できないが、真理を本当に愛する人は最終的にここまで行きつくという。あと本当は美しい絵を見たり、素晴らしい音楽を聴いたり、おいしい料理を食べたりすることも大切な真理である。荀子は思想的真理に若干かたよっているのかもしれない。

いずれにしても、すぐれたビジネスも、偉大な思想も、ひとりの人間が孤独のうちに真理をつかみ学び続けることからすべては始まる。

『菜根譚』に次の言葉がある。

書下し文
青天白日の節義は、暗室屋漏の中より培い来る。
旋乾転坤の経綸は、臨深履薄の処より繰り出す。

現代語訳
青い空白い太陽のような節義は、もとは暗い一室での人知れぬ孤独な努力によって培われている。
天地を動かすような経綸も、もとは慎重な思考から生まれるのである。

「青天白日」「青い空白い太陽」のような節義は、「暗室屋漏」「孤独な暗い部屋」で研鑽することから始まっている。「たったひとりの熱狂」からすべては始まる。

ジェフ・ベゾスの言葉に次の言葉がある。

ぜひ考えてみてください。「大きなことも小さく始まる」ということを。

大きなことも、ひとりの人間が真理に夢中になるという小さいことから始まる。

続きは他人が持っている真理から学ぶことをご覧ください。

■関連記事 ビジネスリーダーの哲学と現代日本 2023年9月~10月


■このページを良いと思った方、
↓を押してください。


■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。