還元主義と複雑系

佐平:それではここから少し話がそれる。
福太郎:何の話ですか?
佐平:科学の話だ。
福太郎:科学?今回の話と関係ある話ですか?
佐平:ああ。
福太郎:本当ですか?
佐平:そうだ。興味なかったら飛ばしてもいいぞ。
福太郎:はい。
佐平:自然科学では複雑系という分野が注目を集めている。
福太郎:複雑系?
佐平:ああ。知らないか?
福太郎:知りませんね。
佐平:複雑系は還元主義を超える概念とされている。
福太郎:還元主義?
佐平:wikipediaから引用するぞ。
還元主義:
上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方。
福太郎:どういう意味ですか?
佐平:例えば微生物を例に取ろう。微生物は生物のひとつだ。
福太郎:ええ。
佐平:微生物は生命現象であり生命の法則にしたがう。
福太郎:はい。
佐平:そして微生物の中では同時にたくさんの化学反応が生じている。
福太郎:ええ。
佐平:「上位階層において成立する基本法則や基本概念」とは微生物では微生物の生命としての現象や法則を指す。
福太郎:はい。
佐平:「基本法則」とは生命科学の法則であり「基本概念」とは生命科学の概念だ。
福太郎:栄養や排せつや呼吸や遺伝などの生命科学の法則と概念ですね。
佐平:ああ。
福太郎:分かります。
佐平:「それより一つ下位の法則と概念」とは化学の法則と概念のことだ。
福太郎:化学反応は生命現象よりひとつ下位の現象です。「水素+酸素⇒水」とかです。




佐平:そうだ。だから還元主義は微生物の生命としての現象は微生物のもつ化学的現象ですべて説明可能と考える。非常に簡単に言うと「微生物は化学反応の集合体にすぎない」と考える。
福太郎:なるほど。そう考えることもできますね。図で上に書いてある生命現象は下の化学反応で置き換え可能なんですね。
佐平:ああ。それに対する複雑系の考えをwikipediaから引用するぞ。
複雑系:
相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。
福太郎:難しい。
佐平:「相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる」を説明するぞ。
福太郎:はい。
佐平:微生物では大量の化学反応が生じている。そしてそれらはバラバラに生じているのではなく相互に関連しあっている。「相互に関連する複数の要因」はこれを指す。
福太郎:はい。
佐平:そしてそれらの大量の化学反応が相互に関連し全体として遺伝や排せつなど生命現象としての性質や振る舞いを見せる。「全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる」とはこれを指す。
福太郎:分かります。部分的な化学反応が集まって全体として遺伝や呼吸など生命現象が生じるんですね。
佐平:ああ。そして全体として遺伝など生命現象は個々の化学反応からは明らかにはならないと考える。「全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでない」とはこれを指す。
福太郎:はい。
佐平:簡単に言うと「微生物は確かに化学反応の集合体ではあるけれども、単なる化学反応の集合体ではない。化学反応以上の生命としての性質を持つ。」となる。
福太郎:そうですか。微生物は化学現象に還元されないんですね。図で上に書いてある生命現象は下の化学反応で還元できない。
佐平:ああ。さらに創発という概念を説明する。
創発:
部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。
佐平:「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れる」を説明するぞ。
福太郎:はい。
佐平:これは「化学反応という部分を集めてもそれだけでは説明のつかない生命現象という性質が全体として現れる」という意味だ。
福太郎:ええ。
佐平:「局所的な複数の相互作用が複雑に組織化する」とは部分的なたくさんの化学反応が相互に作用しあい複雑に組織化されることを言う。
福太郎:はい。
佐平:「個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される」を説明する。
福太郎:はい。
佐平:これは「個別の化学反応の振舞いからは予測できないような生命現象が構成される」という意味だ。
福太郎:分かりました。要は化学反応が相互に関連しあって生命現象という化学反応に還元できない上位の概念が生じると言うんですね。
佐平:そうだ。アインシュタインの言葉を引用するぞ。
初恋のような重大な生物学的現象を化学や物理学で説明できるはずがないじゃありませんか。
福太郎:なるほど。アインシュタインは非還元論の立場のようですね。初恋は化学では説明できない。
佐平:ああ。他にも例を挙げるぞ。人が5人集まるとその人たちの中で「空気」が出来上がる。
福太郎:ええ。
佐平:「空気」はその5人の人たちの個性に依存している。
福太郎:もちろんです。誰が集まるかでその場の「空気」は大きく違ってきます。




佐平:「空気」はその5人の個性を足し合わせたものだと考えるのが「還元主義」だ。
還元主義:
上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方。
佐平:「上位階層」は「空気」で「一つ下位の概念」が「5人それぞれの個性」だ。
福太郎:「空気」は「5人それぞれの個性」で書き換えが可能なんですね。
佐平:ああ。これが還元主義だ。
福太郎:ええ。
佐平:しかし「複雑系」はそう考えない。確かに「空気」は5人の個性に依存して存在している。しかし同時に5人を超えて存在してもいる。ひとりひとりに依存するがひとりひとりを超えてもいると考える。
福太郎:たしかに「空気」ってその場の人たちひとりひとりを超えて実在している感じがする時ありますね。
複雑系:
相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。
佐平:「5人の個性」はひとりひとりの個性だがその場で会話をしたりコミュニケーションをとることで相互に関連しあっている。そして全体としての「空気」が形成される。そしてその「空気」は「5人の個性」だけからは明らかにならないと考える。
福太郎:なるほど。
創発:
部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。
佐平:部分である5人の個性の総和にとどまらない「空気」という性質が全体として現れる。これが創発の考え方だ。
福太郎:なるほど。
佐平:前回紹介した『大学』からの引用を見直すぞ。
現代語訳
君子はまず徳を充実させる。徳があれば自然に有能な人々が帰服し、有能な人々が帰服すれば領地が得られる。領地が得られれば財物が豊かになり、財物が豊かになれば大業が起こる。徳が根本であり、財物は末節である。

書下し文
君子は先ず徳を慎む。徳あれば此に人あり、人あれば此に土あり、土あれば此に財あり、財あれば此に用あり。徳は本なり、財は末なり。
佐平:ここでは「仁徳→人材→領土→財物→大業」の根本と末節の連鎖がある。
福太郎:そうでした。
佐平:これは多くの英雄たちの人生に当てはまっている。
福太郎:曹操もでしたね。
佐平:ああ。曹操は「仁徳」を持っていた。そしてそれを慕って多くの知者たち「人材」が集まった。そして知者たちの知恵を用いて「領土」が広がり、税収は上がり「財物」が集まり、民衆の生活を安定させて「大業」がなされた。
福太郎:そうでしたね。
佐平:これは複雑系、創発の考えに近い。
福太郎:そうですか?
佐平:歴史を還元主義的に考えると歴史は単なる事実の集積だ。
福太郎:歴史をその部分である事実に還元するんですね。
佐平:ああ。しかし中国の歴史家、思想家たちは歴史を「道」がその作用を及ぼす現場だと考えた。
福太郎:なるほど。
佐平:歴史を読み解けばそこに「道」がおのずと立ち現れてくると考えたんだ。
福太郎:「仁徳→人材→領土→財物→大業」という儒教的な考えである「道」が歴史に現れてくると言うんですね。
佐平:ああ。これは創発の考えに近い。
創発:
部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。
佐平:ここで「部分」というのは個々の英雄、暴君、智者、勇者、人民のことだ。彼らがそれぞれに行動し「局所的な複数の相互作用」が生じる。
福太郎:ええ。
佐平:そしてそれらが「複雑に組織化」して「仁徳→人材→領土→財物→大業」という現象が生じる。
福太郎:「個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される」というのはこれを指すんですね。




佐平:ああ。「仁徳→人材→領土→財物→大業」という現象はひとりひとりの英雄、暴君、智者、勇者、人民を超えて生じている。部分作用の集合以上の現象というわけだ。
福太郎:なるほど。
佐平:歴史を事実に還元する還元主義的な発想ではなく、歴史は個々の事実に基づきながらも全体として「道」がそこでは作用し、歴史において「道」が創発するというんだ。
福太郎:最新の科学思想である複雑系を思わせるような考え方を伝統的な中国の歴史家は採用していますね。
佐平:ああ。複雑系歴史学のようなものが可能だと仮定するならば、それは古い思想の新たな形での再生をともなうのかもしれない。
福太郎:はい。
佐平:むろんそれは単純に過去に戻ると言うのではない。あくまで実証的な人文科学的な歴史学に基づきながら古い思想が新しく再生するという形になるはずだ。
福太郎:その可能性はゼロではないですね。
佐平:前回の「集合理性」を覚えているか?
福太郎:国際世論についてでしたね。ある歴史上の事象や人物の評価は500年後の国際世論で決まるという話でした。
佐平:そうだ。国際世論には「集合理性」が内在しているという話だったな。
福太郎:ええ。
佐平:これも創発の概念に近い。
福太郎:そうですか。
佐平:曹操が英雄か暴君かについて後世の数多くの歴史家たちや歴史マニアたちが議論や調査や研究をする。これが「局所的な複数の相互作用」だ。そしてそれらの議論のうち、根拠が正しいいくつかの意見が広まっていきあるいは複数の意見が合成されたりして「複雑に組織化する」。そして「個別の要素の振る舞いからは予測できないような」「国際世論」という全体的な概念が創発するんだ。




福太郎:そしてその創発は「集合理性」によって導かれるんですね。
佐平:そうだ。
福太郎:還元主義的に考えたら曹操に関する「国際世論」は後世の歴史家や三国志マニアたちの意見の集積にすぎないですね。
佐平:そうだな。そう考えることもできる。しかしたとえばAさんの曹操に関する意見の長所とBさんの曹操に関する意見の長所が合成されそれをCさんがさらに発展させ、それにDさんが修正を加え・・というふうに国際世論は「複雑に組織化」されていく。だから複雑系的に「国際世論」を部分に還元されない全体ととらえることも可能なのだ。
福太郎:還元主義的に考えることも可能で複雑系的に考えることも可能なんですね。
佐平:ああ。では休憩するぞ。

続きは根本と末節の具体例5をご覧ください。


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■上部に掲載の画像は山下清。

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