賈ク論

佐平:続きを始めるぞ。『三国志』で根本と末節を考える。孔明と賈クについてだ。
福太郎:孔明は知ってますが、賈クって誰ですか?
佐平:賈クは凄腕の参謀だ。頭がいい人。
福太郎:ふ~ん。
佐平:『三国志』には裴注といって裴松之という人が注釈をつけている。
福太郎:そうなんですね。
佐平:その注釈で賈クは酷評されているんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:董卓は知ってるな?
福太郎:はい。横暴な権力者です。
佐平:董卓があまりに横暴なので王允という人が董卓を殺したんだ。
福太郎:お手柄ですね。
佐平:董卓の部下に李カク、郭シという二人の武将がいた。
福太郎:はい。
佐平:李カクと郭シは当時辺境にいたが、ボスの董卓が殺されたのであきらめて軍隊を解散して故郷に引きこもろうとした。
福太郎:はい。
佐平:それに反対したのが賈クだ。賈クは李カクに仕えていたんだ。
福太郎:何で反対したんですか?
佐平:董卓が死んだ以上董卓の部下の残党狩りが始まるだろう。李カク、郭シたちの命も危険だ。軍隊を解散したら座して死を待つのと同じだと言うんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:賈クはイチかバチか軍隊を率いて都の長安に攻め込むように進言した。そして李カクたちは長安に攻め込んだ。
福太郎:はい。
佐平:李カク、郭シは董卓以上にろくでもない人物で長安は大混乱に陥る。李カクたちはたくさん人を殺し、皇帝を脅し、挙句の果てに李カクと郭シは仲間われを始め戦いあう。読んでるだけで吐き気がしそうな状況に陥ってしまう。李カク郭シの乱というんだ。
福太郎:最悪ですね。
佐平:ああ。これじゃ董卓時代のほうがまだマシなくらいだ。
福太郎:ええ。
佐平:裴松之はこの点に関して賈クを批判している。賈クを「不仁」と決めつけ賈クの犯罪は大きいとして断罪している。
福太郎:賈クの進言から李カク郭シの乱は始まったからですね。
佐平:ああ。せっかく董卓が死んで天下に平和が戻ろうとしてたのに賈クの一言のせいで天下は董卓の時代以上に混乱に陥った。
福太郎:分かります。
佐平:しかし賈クには同情の余地がある。もし賈クが進言せずに李カクの言った通り軍隊を解散して故郷に戻ってたら、賈クたちは残党狩りで処刑されていたかもしれない。だから賈クの進言はある意味正当防衛なんだ。だから裴松之の酷評ぶりはやや不自然なんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:そして賈クは荀彧、荀攸と同列の列伝を立てられている。
福太郎:同列の列伝?
佐平:ああ。当時歴史書を書くときは似たような人たちをひとくくりにして章立てを行った。『三国志』では賈クの列伝は「荀彧荀攸賈ク列伝」という章に書かれているんだ。
福太郎:荀彧、荀攸はよく知りませんが賈クと同列の人なんですね?
佐平:そこだ。荀彧、荀攸は非常に賢い人でさらに人間的にも立派だった。
福太郎:そうですか。
佐平:裴松之は賈クのような人格が下劣の人を荀彧、荀攸と同列にするなと言って『三国志』を書いた陳寿を批判している。
福太郎:そうですか。
佐平:荀彧荀攸以外に、頭のいい人で人格的に劣っていた人として郭嘉や程昱という人達も曹操の部下にいた。裴松之は賈クは郭嘉や程昱と同列にしろと言って非常に怒っている。
福太郎:そうなんですね。
佐平:確かに荀彧、荀攸は高潔な人たちだ。賈クはそこまでではないかもしれない。でも賈クも李カク郭シの乱の時に李カクの無道ぶりを諫めて、政治を正しい方向に匡正したと書いてある。それなりに正しい人だったんだ。やはり裴松之の酷評ぶりは不自然なんだ。
福太郎:酷評の理由は何なんですか?
佐平:理由ははっきりしている。『荀子』強国篇の言葉だ。ノートを見返すぞ。
君主たる者が、礼儀を重視して賢者を尊重すれば王者になれる。 法律を重んじて民を愛すれば覇者になれる。 利益を好んでいつわりが多いのであれば国は危うい。 権謀術数をめぐらし陰険であれば国が亡ぶ。
福太郎:こんなのありましたね。
佐平:賈クが裴松之に嫌われたのは理由ははっきりしている。権謀術数が得意だからだ。以前「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」という本末の階梯を挙げたな。
福太郎:はい。
佐平:賈クはその一番末節の「権謀」に長じていたからなんだ。
福太郎:権謀術数が得意だったんですね。
佐平:ああ。賈クのような人は場合によっては必要かもしれないが、このような人があまりにはびこると、世の中は陰険になり足の引っ張り合いで滅ぶ。
福太郎:分かる気がします。
佐平:日本は権謀術数を用いる人はいるが数はそんなに多くない。だから権謀術数がはびこって国が亡ぶというのはあまりピンとこないかもしれない。
福太郎:そうですね。
佐平:それに対し中国は昔から権謀術数を用いる人が多い。
福太郎:ええ。
佐平:10年ほど前ある中国の人が言っていた。日本人はひとりひとりはそんなに強そうではないが、協力し合い連携しあって大きい仕事をする。中国人はひとりひとりは強いが互いに足の引っ張り合いをする。
福太郎:面白いですね。
佐平:中国人である裴松之も権謀術数の危険性を身にしみて痛切に感じていたのかもしれない。
福太郎:ええ。
佐平:裴松之は賈クが荀彧、荀攸のような徳の高い人物と同列の伝が立てられたのを非常に怒っている。郭嘉、程昱と同列にしろと言っている。明らかに賈クの権謀を好む性格その道徳性を問題視している。
福太郎:ええ。
佐平:章炳麟という清末の中国の思想家がいる。章炳麟の同時代人で清末革命を論じている志士たちの中に、賈クや陳平を尊敬し彼らを真似たいと思っている人たちが非常に多い、と章炳麟はその論文で歎いている。ノートに書くぞ。
現代に革命を言う者が陳平・賈クを至宝とするだけでなく、 自分自身も陳・賈の行動を真似たいと思っている。 彼らを非凡抜群の才能と思うとは、悲しいかな、悲しいかな。 現代中国に欠けているものは、知恵謀略ではなく貞節信義であり、 権謀術数でなく公正廉直なのだ。
佐平:清末の中国は深刻な国難だった。彼は国を深く憂えていたのだろう。同じく国を憂えていた当時の志士たちが、よりによって賈クを慕っていたというのは深刻だ。権謀より理想が大切だという章炳麟の嘆きはよく分かる。
福太郎:ええ。陳平って誰でしたっけ?
佐平:三国志の時代の400年前、漢の創始者劉邦に仕えた参謀だ。彼も権謀術数に長じていた。
福太郎:賈クと似た人なんですね。
佐平:そうだ。裴松之も賈クを陳平と並べて批判している。彼の批判を要約するぞ。
福太郎:はい。
佐平:以下裴松之の言葉だ。『漢書』においては張良と陳平が同列の伝が立っている。張良は人間性も高潔だが陳平はそれより明らかに劣る。しかし劉邦の配下には代表的な智謀の士が他にいなかったので仕方なく張良と陳平は同列の伝になった。
福太郎:なるほど。
佐平:しかし曹操の部下の中には高潔な荀彧、荀攸以外にも人間的に劣る郭嘉、程昱がいるではないか。賈クは郭嘉と同列にしろと言って陳寿を批判するんだ。
福太郎:分かる気がします。
佐平:陳平と似た人物と見ている点からして裴松之が賈クの権謀を嫌っているのは明らかだと思う。
福太郎:そう考えるのが自然ですね。
佐平:曹操が死んで息子の曹丕が跡を継ぐ。そして曹丕の時に正式に漢を滅ぼして曹丕が皇帝の座につく。魏の国の皇帝だ。
福太郎:曹操は皇帝にならなかったんですね。
佐平:そうだ。息子の曹丕が皇帝になる。そしてその時、賈クが大尉という非常に重要な高い位につく。
福太郎:大出世ですか。
佐平:ああ。それを聞いて呉の孫権は笑ったというんだ。
福太郎:なぜですか?
佐平:孫権のような人間のスケールの大きい人からしたら権謀術数が得意な賈クのような人は高い位につくべきではないのかもしれない。
福太郎:そういう意味ですか。なるほど。
佐平:賈クは決して賄賂をとったり残酷なことをしたりと分かりやすい悪事を働く人間ではないんだ。暴虐な李カクを諫め政治を正しい道に戻そうとしていた点からすると、個人的にはどちらかと言うと良心的な人間だったかもしれない。
福太郎:はい。
佐平:でも賈クは権謀を行う人物である以上、長期的に見るとその意図とは裏腹に悪影響をたれ流す可能性がある。裴松之、章炳麟、孫権はそのような賈クの人間性を嫌ったのだ。
福太郎:分かる気がします。
佐平:賈クは末技が得意であったため裴松之に嫌われた。権謀術数は一見効果的のように見えて、長い目で見れば世の中を腐敗させていく。他人の罠に引っかからないためにある程度習熟する必要はあるが、積極的に用いるのは問題があるんだ。
福太郎:そうですね。
佐平:『中庸』に次の言葉があるそ。
現代語訳
君子の道は人目をひかないのに、 日に日にその真価が表れてくるが、 普通の人間の道ははっきりと人目をひきながら、 日に日に消え失せてしまう。

書下し文
君子の道は闇然として而も日々章かに、小人の道は的然として而も日々に亡ぶ。
佐平:賈クの知略は「小人の道」の典型だ。彼の知略は実に正確で鋭く鮮やかで、時によっては必要だ。非常に人目をひく。しかしそれは末技だ。長期的には道徳的に悪影響を及ぼす。「その効果は日に日に消え失せてしまう」とはこれを指している。
福太郎:分かります。
佐平:賈クの知略がいかに鮮やかだったかを書いていくぞ。
福太郎:はい。
佐平:賈クは曹操に仕えた。曹操が馬超という群雄のひとりと戦った時の賈クの策を紹介する。
福太郎:お願いします。
佐平:馬超と同盟している韓遂という人がいた。この韓遂と馬超の間を離間する策を賈クは考えた。曹操が韓遂に手紙を送り、その手紙をあらかじめ部分的に墨で消したり、書き改めたりしておいたんだ。馬超が手紙のことを知って韓遂に確認する。
馬超「曹操から手紙が届いたらしいな。見せてみろ。」
韓遂「これだ。」
馬超「何で消したり改めたりしてあるんだ?」
韓遂「なぜだろう。最初からこうなっていたんだ。」
馬超「・・・」
佐平:内容がばれないように韓遂が手紙を書き改めたと馬超は疑いを抱く。離間に成功した。
福太郎:これは酷い策略ですね。まさに権謀術数だ。
佐平:そうだろう。ただ賈クの智謀は鋭く、徹底的に計算された跡がある。次の例も賈クが曹操に仕えた時の話だ。曹操には長子の曹丕と年少の息子曹植という二人の後継者候補がいた。曹操はどちらを後継者にするか非常に悩んでいたんだ。
福太郎:昔の後継者争いは大変ですよね。最悪の場合内乱になったりする。
佐平:そうだ。曹操は非常に悩んで知恵者賈クに相談するんだ。
福太郎:なるほど。どう解決するか見ものですね。
佐平:ノートに書くぞ。
曹操が賈クを呼び出して質問する。

曹操「後継者問題をどう思う?」
賈ク「・・・」
曹操「私が質問してるのに答えないのはなぜだ?」
賈ク「ちょっと考え事をしておりまして・・」
曹操「いったい何を考えていたのだ?」
賈ク「袁紹父子と劉表父子について考えていました。」

曹操は大笑し後継者問題は解決した。
福太郎:ええっと。袁紹父子、劉表父子って誰ですか?
佐平:袁紹も劉表も曹操に倒された群雄のひとりだ。袁紹も劉表もその長男を後継者にせず年少の息子をかわいがりお家騒動になった。それで家が滅んだんだ。
福太郎:なるほど。
佐平:まだ記憶に新しい袁紹と劉表の例を挙げて説得した。見事だ。
福太郎:すごい。完璧ですね。曹操も年少の息子を後継者にすると家が滅びますよと賈クは言っているんですね。
佐平:そうだ。押しつけがましくないのに完璧に説得する。実に鮮やか。
福太郎:面白いですね。決めゼリフをいうタイミングまで計算してます。頭いいですね。
佐平:そうだ。賈クが曹操をどうやって説得するか徹底的に考えて計算しているのが分かるだろう。そしてその計算はことごとく当たる。
福太郎:ええ。
佐平:次の例は賈クが曹操に仕える前だ。張繍という弱小勢力に仕えていた。その時は曹操は敵だ。曹操が攻めてくる。
福太郎:はい。
佐平:しかし曹操はなぜか戦わずして退却を始める。張繍はそれを追撃しようとするんだ。以下ノートに書くぞ。
張繍「退却する相手を追撃するのは定石だ。いくぞ。」
賈ク「やめたがいい。」
張繍「いや行ってくる。」
→張繍は負けて戻ってくる。
張繍「お前の言ったとおりだったな。」
賈ク「もう一度追撃しなさい。」
張繍「え?マジ?じゃあ行ってくる。」
→張繍は大勝。
張繍「最初なんで負けたの?2回目何で勝ったの?訳わかんないんだけど。」
賈ク「曹操が戦わずして退却したのは国元で何かあったから。退却するとは言っても曹操ほどのいくさ上手なら、精鋭を率いてしんがりをしている。だから最初は負けた。しかし曹操は急いでるから一度追撃を退けたら備えをしないで急いで帰る。だから2回目は勝てた。」
張繍は感服したという。
福太郎:なるほど。これも鮮やかですね。読みが深い。
佐平:賈クの智謀はたしかに鋭い。こんなに読みが正確な人物が会社に一人いたら重宝するだろう。
福太郎:そうですね。面接には受かるでしょうね。
佐平:だからこそ曹操は賈クを重用したのであり、劉邦は陳平を重んじたんだ。
福太郎:実際必要だったんですね。
佐平:ああ。賈クに関する『三国志』『魏書』の記述は熟読に値する。その鋭い読みは読んでいて非常に勉強になる。
福太郎:ええ。
佐平:しかし尊敬は出来ない。長い目で見れば悪影響が多い。
福太郎:それもわかります。
佐平:「小人の道ははっきりと人目をひきながらその効果は日に日に消え失せてしまう」という『中庸』の言葉は賈クのためにある言葉だ。
福太郎:はい。
佐平:『言志四録』の『言志録』百八十をもう一度引用するぞ。
現代語訳
部分的な道理をみて全体の道理を見ない。一時の利害を考慮して永久の利害を察しない。 政治をする場合にこのようであれば国は危険である。

書下し文
一物の是非を見て大体の是非を問わず。一事の利害に拘りて久遠の利害を察せず。 政を為すにかくの如きは国危うし。
佐平:賈クの知恵は「部分的な道理」であり「一時の利害」だ。「全体の道理」と「永久の利害」を考察しない。
福太郎:なるほど。賈クみたいな人がはびこりすぎると危険なんですね。
佐平:ああ。『言志晩録』の249を再度引用するぞ。
現代語訳
小さな知恵は目の前の問題を見事に解決するが、大きな知恵は後から効果が現れてくる。

書下し文
小智は一事に輝き、大智は後図に明らかなり。
佐平:賈クの知恵は鋭い。非常い頭がいい。しかし彼の知恵は「目の前の問題を見事に解決する」知恵であり長い目でみると良い効果をもたらさない。
福太郎:ええ。
佐平:賈クは読みが鋭く、徹底的に物事を考えそれがことごとく適中する。
福太郎:はい。
佐平:その点を覚えておいてくれ。
福太郎:というと?
佐平:これが次回の伏線になる。
福太郎:分かりました。
佐平:では休憩するぞ。

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