劉備と鍾会


佐平:じゃあ続けるぞ。三国志の話だ。
福太郎:三国志かあ。よく分かりませんよ。
佐平:なるべくわかるように説明する。
福太郎:三国志オタクの人って熱っぽく話すけど何言ってるかわけわかんないんですよ。
佐平:そうだろうな。
福太郎:分かりやすくお願いします。
佐平:できるだけやってみる。
福太郎:ええ。
佐平:今回は劉備と鍾会の話だ。
福太郎:劉備は聞いたことあります。鍾会って・・?
佐平:劉備は三国志の魏呉蜀のうち蜀を建てた人だ。
福太郎:ええ、知ってます。
佐平:鍾会はそれから50年くらい後の人だ。二人とも益州を支配した。
福太郎:益州・・?



佐平:地図の左下緑色の部分だ。
福太郎:はあ。
佐平:結果から言うと劉備は成功した。劉備が益州に立てた蜀という国は数十年益州を支配した。
福太郎:はい。
佐平:そして鍾会は失敗した。益州で独立しようとしたがみんなにそっぽ向かれて自滅した。
福太郎:ええ。
佐平:二人の決定的な違いは人心を重んじたかどうかという点だ。
福太郎:そうなんですね。
佐平:劉備は人心を重んじた。劉備は荊州と益州を支配した。
福太郎:益州はさっき聞きました。荊州ってどこですか?
佐平:地図の青いところだ。
福太郎:はい。
佐平:劉備が荊州を攻略したのは大義名分があった。以前に荊州を治めてた劉表という人の息子を擁立していたから。
福太郎:失地回復ですか。
佐平:そうだ。もともとの領主劉表の息子のために失われた領地を取り戻すという大義があった。だが益州への侵攻は大義名分がなかった。益州を治めていた劉璋という人は何も悪いことしていない。だから単なる侵略戦争と言われても仕方がない。
福太郎:ええ。
佐平:大義名分があれば正義のための戦いになる。
福太郎:はい。
佐平:大義がないと私欲のための侵略と言われる。
福太郎:そうですね。でもその大義というものがあてにならないんですけどね。
佐平:それも一理ある。立場によって大義はどうしても違ってくる。しかしだからといって大義が何かを考えるのを完全に放棄するのも違うと思うぞ。
福太郎:そうですね。
佐平:『近思録』については何度か紹介したな。
福太郎:宋の時代の書物ですね。三国志の千年以上後ですか?
佐平:そうだな。その『近思録』に総論聖賢第十四という章があってそこで孔明に関して次のように書いてある。
現代語訳
劉表の子の劉琮を曹操が併合しようとしたとき、孔明が荊州を奪って劉表の失地を回復しようとしたのはよい。

書下し文
劉表の子の琮、まさに曹公の併す所と為らんとせし時、取りて劉氏を興すが如きは可なり。
福太郎:孔明は劉備の家臣ですよね。
佐平:そうだ。孔明の主導で劉備は荊州を奪い取った。
福太郎:劉表はたしか以前に荊州を治めてた人ですね。『近思録』は孔明たちが荊州を取ったのを正しいと認めてますね。
佐平:そうだな。大義名分があったからだ。続いて引用するぞ。
現代語訳
孔明は王者の補佐役に相応しい人物だったが、 道義に関しては足りない点もあった。 王者は私心のない天地と同じで、 不正を行って天下を手に入れようとはしない。 孔明は何としてでも成功しようとして、 益州を攻め劉璋を捕らえたけれど、 聖人であればそのような成功は捨てただろう。 益州侵攻はしてはいけなかったのだ。

書下し文
孔明は王佐の心有りしも道はいまだ尽くさず。 王者は天地の私心なきが如し。 一の不義を行いて天下を得るは為さず。 孔明は必ず成すあるを求めて劉璋をとりしも、 聖人は寧ろ成す無きのみ。これなすべからざるなり。
福太郎:今度は様子が違うぞ。
佐平:そうだな。益州侵攻は大義がなかった。だから『近思録』は批判しているんだ。
福太郎:たしかに我々の生きている現代は平和ですから他国を侵略するのは論外ですが、当時は乱世です。早めに益州に攻め込まないと曹操に取られちゃうんじゃないですか。
佐平:そこだ。確かに迷うところなんだ。劉備も相当迷ったようだ。劉備にホウ統という家臣がいて、益州を奪うようにと劉備に進言する。三国志の『蜀書』ホウ統伝引注の『九州春秋』という本に、その時の劉備の言葉が残っている。
現在、私と水と火のような対立関係にあるのは曹操だ。 曹操が厳格にやれば私は寛大にやる。 曹操が暴力に頼れば私は仁徳に頼る。 曹操が詐謀を行えば私は誠実を行う。 いつも曹操と反対の行動をとって初めてことは成就されるのだ。 いま益州を取るという小事のために天下に対し信義を失うのは私のとらない態度だ。
佐平:劉備は「天下に対し信義を失う」という理由で最初は益州を攻めるのを断っている。
福太郎:はい。劉備は確かに人心を重視してますね。天下の人たちに対する信義を重んじてます。
佐平:そうだ。しかしホウ統は次のように述べたんだ。劉備達の時代は乱世であり、道義も重要だが、臨機応変さも必要だと。ホウ統は「道義に逆らって軍事力で益州を奪い、道義に従って仁徳で統治すれば十分だ」と述べて益州攻略をすすめたんだ。
福太郎:ふ~ん。
佐平:そこで劉備は重い腰を上げる。
福太郎:そして益州の劉璋を攻撃したんですか。
佐平:いやすぐには攻撃しない。ホウ統は劉璋をすぐに捕らえるように進言するけど、「他国に入ったばかりで恩愛や信義は人々に伝わっていない。だから攻撃してはいけない。」と述べた。そして益州の人民たちをいたわって人心を得るように努力したんだ。
福太郎:けっこう慎重ですね。人心をとても重視してる感じします。
佐平:そうだ。だから大義名分があった荊州制圧は非常に速く電光石火だったが、益州制圧は非常に時間がかかっている。
福太郎:なるほど。
佐平:しかし劉備は内心では益州が欲しくてたまらなかったようだ。最終的に益州の劉璋を劉備は攻撃し始める。そして連戦連勝だ。その時の記述が『蜀書』ホウ統伝にあるぞ。
劉備は益州の首都である成都に進軍し行く先々で勝利を収めた。 ある場所で、酒を盛り音楽を鳴らして大宴会を催した。 宴席で劉備がホウ統に「今日の宴会は実に楽しい」と言うと、 ホウ統は「他人の国を征伐してそれを喜んでおられるとは仁者のいくさではありません。」と言った。 劉備は酔っぱらっていたので腹を立て「周の武王は殷の紂王を征伐した時、歌を歌い踊りを舞う者がいたが、 仁者のいくさではなかったのか。君の言葉は的外れだぞ。出ていくがよかろう。」と言った。 そこでホウ統は宴席から出ていった。劉備はすぐ後悔して戻ってくるようにと頼んだ。 ホウ統は元の席に戻ったが、まったく素知らぬ顔で陳謝せず、平然と飲み食いを続けた。 劉備がホウ統に向かって「さっきの議論は誰が間違えていたのかね」と言うと、 ホウ統は「君臣ともに間違えておりました。」と答えた。 劉備は大笑いしてはじめと同じように酒宴を楽しんだ。
福太郎:最後のホウ統の機転は面白いですね。
佐平:そうだな。益州侵攻はそもそもホウ統が強く勧めたんだが、しかし大義名分は無く道義にもとる。臨機応変の仕方がない処置なんだ。なのに劉備はつい「楽しい」と発言してしまった。
福太郎:つい本音が出たんでしょうね。
佐平:ああ。
福太郎:周の武王って誰ですか?
佐平:周の文王の息子で暴虐な殷の紂王をいくさで倒した人だ。
福太郎:正義の戦を行った人ですか。
佐平:そうだ。
福太郎:劉備は自分を周の武王になぞらえてますね。これはよくない。
佐平:この箇所について裴松之という人の注釈がある。
益州の劉璋を襲撃するという計画と策略はホウ統が提案したものであるが、 しかし道義にそむいた功業であって本来邪道である。 良心の呵責を覚えていたならば喜びの感情はおのずとしぼむものなのに、劉備はつい「楽しい」と発言してしまった。 ホウ統の劉備への反論は思わず口をついて出てしまった正しい言葉だ。 劉備の酒盛りはタイミング的に間違っており、その宴会は他人の災禍を楽しむ態度と言うべきだ。 自分自身を周の武王になぞらえて少しも恥じる様子がなかったのは、 これは劉備が悪いのであって、ホウ統には何の過失もない。 ホウ統が「君臣ともに間違っておりました」と言ったのは恐らく、 喧嘩両成敗としてその場を収めようとした発言であろう。
福太郎:劉備は益州攻略をしたかったのにずっと我慢してて宴会の時に緊張が緩んだのでつい本音が出たんでしょうね。
佐平:そうだな。習鑿歯という人の注釈も残っているぞ。
そもそも王者や覇者は仁愛と正義を自分自身に体現することを根本とし、 信頼と道理に依ることを根本とするのであって、 そのうちのひとつでも欠けるならば、王者、覇者の道からはずれるものである。 劉備が劉璋の領土を襲って奪い取り、臨機応変の非常手段で自分の勢力を拡大したのは、 信義に背き正しい心情に反する行為であって、道徳、正義に照らして間違いである。 これで劉備の勢力が盛んになったとしても、その不道義を傷むのが当然である。
佐平:「仁愛と正義を自分自身に体現することを根本とし」とあるな。
福太郎:はい。
佐平:昔の歴史家にとっては根本と末節という考え方は常識だったのが分かる。
福太郎:現代では忘れられてますね。
佐平:ああ。『論語』為政篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
孔子が言われた。人の行いを視て、そのよって立つところを観て、その安んじるところを察すれば、 どうして人は隠し通せようか。どうして隠し通せようか。

書下し文
子曰く。其の為す所を視て、其の由る所を観て、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ隠さんや。人焉んぞ隠さんや。
佐平:これは『論語』の名言のひとつだ。
福太郎:どういう意味ですか?
佐平:まずはその人の言葉ではなく、その行動を見る。「人の行いを視」る。
福太郎:そうですね。ヒトラーですら言葉上は「平和、平和」と言っていました。ヒトラーの行動はその逆です。
佐平:そしてその人のよって立つところを観る。
福太郎:よって立つところ?
佐平:その人の行動の源泉となる根本的な信念であり根本的な動機だ。
福太郎:なるほど。確かにそれを見るとさらに深くその人がよく分かります。人は行動でうそをつくこともあります。動機のレベルまで見るとその人がよく分かる。
佐平:そして「安んじるところ」というのは解説がいるな。
福太郎:ええ。
佐平:我々は他人の眼があると緊張感があって自分を律して正しく振舞う。
福太郎:そうですね。
佐平:でも緊張感が抜けた時に素が出るよな。
福太郎:はい。
佐平:緊張感が抜け本人にとって居心地の良い状態というのがある。
福太郎:はい。
佐平:それがその人の「安んじるところ」というべきだ。
福太郎:なるほど。
佐平:何をするのがその人にとって居心地の良い状態かということだ。それが本人の素だ。
福太郎:それを見ればその人の素が分かるんですね。
佐平:そうだ。本心は隠し通せないものだ。「人の行いを視る」→「そのよって立つ動機を観る」→「その安んじる素を察する」と段階的に深く人を理解している。
福太郎:なるほど。この三段階をとれば人の本心は隠せないんですね。
佐平:ああ。『論語集注』からもう一度引用するぞ。
現代語訳
動機が善であっても心からこれを楽しんでいなければまだ本物ではない。どうして長い間変わらずにいられようか。

書下し文
由る所善なりと雖も、心の楽しむ所の者ここに在らざれば則ちまた偽のみ。豈に能く久しくして変わらざらんや。
福太郎:何を楽しんでいるかを見るのが、人に対する最も深い観察なんですね。
佐平:ああ。劉備の場合も、戦の時の宴会で「楽しい」と発言したのは、酒宴の席で緊張感がほぐれ、つい本音が出てしまったんだろう。
福太郎:本心は隠し通せないものですね。
佐平:ああ。でもそうは言っても劉備は人心を非常に重視してはいた。そして劉備は偉大な人物だ。
福太郎:ええ。
佐平:劉備が気にしてたのは二点ある。
福太郎:というと?
佐平:一つ目は同時代の人たちへの信義と人心だ。
福太郎:はい。
佐平:同時代の天下の世論と心ある人たちの心をつかんでこそ、根本が確立し、物事が自然とうまくいく。
福太郎:ええ。
佐平:劉備は功業の成功だけではなく、道義や道徳においても曹操や孫権と争っているんだ。
福太郎:はい。
佐平:もう一つは後世の評価だ。
福太郎:ええ。
佐平:同時代人は権力者が間違えていても恐れたり遠慮したりして直言しない場合も多い。
福太郎:そうですね。
佐平:でも後世の歴史家は過去の権力者を恐れたりしない。公平に道義的判断を下す。
福太郎:ええ。
佐平:だから劉備もホウ統も後世の判断を畏れている。
福太郎:我々一般人とは違うところです。国際世論と500年後の評価を畏れるんでした。
佐平:実際、裴松之、習鑿歯、『近思録』などで道義的に正しくなかったと判断を後世の人に下されている。
福太郎:そうですね。
佐平:ただ大雑把に言うと、劉備は確かに「楽しい」という失言はあったけども、根本である道義や人心を大切にしたからこそ、多くの人材が集まり、功業を成し遂げたと言っていい。
福太郎:ある程度成功したんですね。
佐平:そうだ。それに対して益州を一時的に占拠したが最終的に失敗した人に鍾会という人がいる。
福太郎:鍾会・・。聞いたことないな。
佐平:劉備より五十年ほど後の人だ。
福太郎:そうですか。
佐平:魏呉蜀の地図を載せておいたぞ。



福太郎:劉備は蜀ですね。魏は曹操。
佐平:そうだ。そして鍾会は魏の将軍だった。とても有能な将軍だ。
福太郎:ふ~ん。
佐平:魏の将軍として魏の軍隊を率い蜀を討伐した。そして蜀を滅ぼした。当時蜀は劉備の息子の劉禅という人の代だ。もちろん孔明も亡くなっている。
福太郎:なるほど。
佐平:そして蜀、益州を占拠した後、鍾会は魏に反逆するんだ。
福太郎:どうして反逆したんですか。
佐平:鍾会は魏から連れてきた強力な軍隊と蜀に残った軍隊を指揮下に収めた。軍事力を持っていたんだ。
福太郎:ええ。
佐平:そして益州は非常に経済的に豊かだった。だから経済力も得た。
福太郎:はい。
佐平:そして益州は山に囲まれた地形で攻め込むのが難しく防御しやすい土地だ。地の利も得たんだ。
福太郎:なるほど。
佐平:軍事力と経済力と地の利を得た。だから魏にそむいて独立してもやっていけると思ったのだ。『魏書』鍾会伝に次の鍾会の言葉がある。
事が成功すれば天下を手に入れることができるだろうし、 成功しなくても退いて益州を保持すれば、 間違っても劉備くらいにはなれるだろう。
福太郎:なるほど。うまくいくと思ったんですね。
佐平:そして自分の信頼できる者を権力の座につけて、そうでない人たちを幽閉したんだ。
福太郎:そりゃひどい。
佐平:道義も人心も考えない何の大義名分もないただの反逆だ。
福太郎:自分の権力だけを考えた暴挙ですね。人心を重視した劉備とはえらい違いだ。
佐平:そうだ。鍾会は結局彼に従わない群衆に殺される。
福太郎:当然の結果ですね。
佐平:軍事力、経済力、地の利はとても重要だ。でもそれは末節なんだ。道義や人心が根本だ。
福太郎:ええ。
佐平:劉備はそれを認識していた。だから成功したんだ。鍾会はそれを認識しなかった。
福太郎:その通りです。
佐平:だから一時的にうまくいっても長続きしないんだ。
福太郎:私利私欲を求める人はたしかに私利私欲を得る場合ありますよね。
佐平:そうだ。でもそれは一時的な成功で最終的には失敗するんだ。一時的にうまくいくというのが天の老獪さだ。
福太郎:なるほど。でも最終的に失敗するのも天の意思で、天の老獪さですね。
佐平:そうだ。鍾会はただのいくさ上手で本当の智者ではなかったんだろう。
福太郎:韓信と同じですかね。
佐平:そうかもな。劉備ぐらいにはなれるだろうと言っているけど、なれるはずもなかったんだ。
福太郎:分かります。
佐平:仁徳、大義、人心と大業は「仁徳」→「大義」→「人心」→「大業」という根本と末節の連鎖になっている。
福太郎:仁徳があるから大義が信じられ、大義があるから人々が心を寄せ、人々が心を寄せるから大業がなるんですね。
佐平:よく分かったな。
福太郎:だんだんわかるようになってきました。
佐平:西洋には根本と末節という考え方は明示的には出てこない。しかし軍事力だけの支配は長続きしないという考え方はある。モーゲンソーの『国際政治』から引用するぞ。
軍事帝国主義は非軍事的方法の支援がなくても征服することができるが、軍事力にのみ基礎を置いた支配は長続きしない。だから征服者は経済的、文化的浸透によって軍事的征服の下地をつくるだけではないのである。征服者は軍事力の上にだけではなく、何よりもまず被征服者の生活の統制と彼らの心の支配を基礎にして自らの帝国をつくろうとするだろう。ローマは別として、アレキサンダー大王からナポレオンおよびヒトラーに至るすべての帝国主義者たちが失敗したのはまさしくこの最も微妙でしかも最も重要な仕事のおいてであった。
佐平:モーゲンソーは在る国が他国を支配する帝国主義的方法として三つ挙げている。軍事的方法と経済的方法と文化的方法だ。軍事的方法は文字通り軍事的に征服して従わせる。経済的方法は相手国を経済的に自分の国に依存させることで従わせる。文化的方法は自分の国の文化や理念に共感させることで相手国を従わせる。通常はこの三つを組み合わせて帝国主義的支配を行う。
福太郎:なるほど。
佐平:「軍事帝国主義は非軍事的方法の支援がなくても征服することができるが、軍事力にのみ基礎を置いた支配は長続きしない。」とあるだろう。「非軍事的方法の支援」とは経済的方法もしくは文化的方法の支援という意味だ。要は軍事力だけで征服は出来てしまうという意味だ。でもやはり軍事力だけだとその支配は長続きしないと言っている。
福太郎:我々の考えと一致しますね。
佐平:ああ。「征服者は軍事力の上にだけではなく、何よりもまず被征服者の生活の統制と彼らの心の支配を基礎にして自らの帝国をつくろうとするだろう。」とある。「被征服者の生活の統制」が経済的方法で「彼らの心の支配」が文化的方法だ。
福太郎:ええ。
佐平:ナポレオンや多くの征服者が失敗したのは軍事的方法のみに頼ったからだと述べている。
福太郎:人の心を重視するのは忘れられがちなんですね。
佐平:続けて引用するぞ。
彼ら征服者たちが人々を他の方法ではすでに征服していたにもかかわらず、これらの人々の心の中を征服できなかったことが、その帝国の破滅のもとになったのである。ナポレオンに対抗して繰り返しつくられた同盟、19世紀を通じてロシアに対してなされたポーランド人の反乱、ヒトラーに対する地下組織の闘争、イギリス支配からの解放を求めるアイルランドやインドの戦いは ほとんどの帝国主義的政策が解決しえなかった、近代におけるあの究極の問題の代表的事例である。
佐平:「彼ら征服者たちが人々を他の方法ではすでに征服していたにもかかわらず、これらの人々の心の中を征服できなかったことが、その帝国の破滅のもとになったのである。」とある。「他の方法」とは軍事的方法のことだ。軍事的には征服したが人々の心を捉えなかったためその征服は長続きしなかったと言っている。
福太郎:ええ。
佐平:大義と人心に関してもうひとつ三国志から例を挙げるぞ。
福太郎:はい。
佐平:その前に三国志における大義と理念について解説する。
福太郎:ええ。
佐平:三国時代の前に中国を治めていたのは何という王朝か知っているか?
福太郎:漢ですね。
佐平:そうだ。でも三国時代の直前になると漢は中国を正しく統治できなくなり中国は混乱に陥った。
福太郎:ええ。
佐平:そこで登場したのが曹操だ。曹操は漢に代わって中国の北部に平和をもたらした。魏の国だ。
福太郎:はい。
佐平:魏の国の理念はどうしようもなくなった漢に代わって、魏の国が天下に平和と安定をもたらすという理念だ。
福太郎:なるほど。漢は滅びてもいいと考えるのですね。
佐平:そうだ。それに対して蜀の理念、劉備の理念は漢の復興だ。漢にとって代わろうとする魏は逆賊で、漢を復興させ天下に平和をもたらすべきだと考えるのが劉備の理念。
福太郎:分かりました。
佐平:趙雲って知ってるか?
福太郎:聞いたことあります。
佐平:劉備の部下だ。孫権が劉備から荊州を奪った時に劉備が孫権を征伐しようとする。その時に趙雲が劉備を諫めた。
福太郎:何言ってるか全然分からん。
佐平:孫権は呉の国の主君だ。
福太郎:それは知ってます。
佐平:そして孫権はある時、突然荊州を劉備から奪ったんだ。
福太郎:それは劉備は怒りますね。
佐平:そうだ。劉備は怒って孫権を討伐しようとする。
福太郎:当然ですね。
佐平:その時、趙雲が劉備を諫める。『趙雲別伝』という書物に記載があるぞ。
孫権が荊州を襲撃したので、劉備は非常に怒り孫権を討とうとした。 趙雲は諫めて「逆賊は曹操です。孫権ではありません。しかもまず魏を滅ぼせば、呉は自然と屈服するでしょう。 曹操は死にましたが、息子の曹丕は漢を滅ぼし皇帝の座を簒奪しました。 それを怒る人々の心に沿いつつはやく長安を攻略し、 黄河の上流を根拠として逆賊曹丕を討伐すべきです。 魏にも漢を想う正義の士はたくさんいます。 我々が軍隊を進めれば彼らは我々を歓迎し味方につくでしょう。
福太郎:孫権が荊州を奪ったなら取り返すのは当然じゃないですか?
佐平:まあそうだ。でも劉備の理念は何だった?
福太郎:たしか漢の復興。
佐平:そうだ。当時魏をつくった曹操は死んでおり息子の曹丕が跡を継いだ。そしてちょうどその頃、曹丕は漢を滅ぼして魏の皇帝の座についたんだ。
福太郎:漢は滅んだのか。
佐平:そうだ。だから劉備の理念からいうと滅ぼすべきは魏の曹丕であって呉の孫権ではない。
福太郎:確かに。
佐平:当時漢が滅びて、漢を滅ぼした曹丕に怒りの気持ちを抱く人も多かったはずだ。そういう人たちの心に沿って魏を討伐すべきだと趙雲は言っている。
福太郎:なるほど。
佐平:漢の復興という大義、理念があって、そして人々の心が得られる。
福太郎:「大義」→「人心」という根本と末節の連鎖ですね。
佐平:そうだ。そして魏にもいる漢を思う正義の士たちを味方につければ大業がなると趙雲は主張している。
福太郎:「人心」→「大業」の根本と末節の連鎖ですね。
佐平:ああ。この趙雲の発言はちゃんと読むと「大義」→「人心」→「大業」という根本と末節の連鎖を述べているのが分かる。
福太郎:そう言われてみればそうですね。
佐平:趙雲の言うように魏を討伐しうまくいったかどうかは確かに分からない。でも漢に忠誠心を持つ人々の心に沿うことで大業を成し遂げるための「自然な力」が働くんだ。
福太郎:ええ。
佐平:この「自然な力」こそが儒教の思想の本質のひとつだ。大義が世の中にその働きを及ぼす仕方の本質だ。川の流れに従うように自然な力が作用し大業を助けるというわけだ。
福太郎:はい。
佐平:漢の復興を劉備が信じるのであれば、この趙雲の言葉に従うべきだっただろう。
福太郎:結局どうなったんですか。
佐平:劉備は趙雲の諫言を無視して孫権を討伐した。そして負けてしまった。
福太郎:あちゃ~。
佐平:趙雲は大義とは何かを深く理解していた。ただの武辺者とは言えないな。
福太郎:そうですね。
佐平:宮川尚志氏の『諸葛孔明』にこの趙雲の意見に関して次の記載があるぞ。
この趙雲の意見は、新たに興った蜀漢のまさに進むべき国策を明確に認識したもので、 後漢を滅ぼした魏こそ、後漢を継ぐ精神によって立つ蜀漢の敵である。 ことに新たに名実ともに魏の領土となった華北を久しく放置すれば、 民心はいつとはなしに漢の故土であったことを忘れ、魏政権を正しいものと見なしてしまうだろう。 民心なおひそかに漢を思う間にこそ、堂々と実力に訴え、名分を正し漢の正統の権利を主張すべきである。
福太郎:なるほど。
佐平:宮川尚志氏も人心の重要性を指摘しているな。「民心なおひそかに漢を思う間にこそ」魏を征伐すべきと述べている。時間がたてば人々は漢を忘れてしまうと述べて趙雲の意見を補強しているのだ。
福太郎:はい。
佐平:言うまでもないが宮川氏も「大義→人心→大業」の本末の連鎖を深く認識していたと言えるな。
福太郎:そうですね。
佐平:では休憩するぞ。

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