王道と覇道

佐平:今回は王者と覇者について解説していくぞ。
福太郎:前回最後に出てきましたね。
佐平:今回は本格的に解説する。
福太郎:はい。
佐平:王者は道徳で人々を従わせて正しい方へ導くのだったな。
福太郎:ええ。悪い奴らはみな感化されて回心するんですね。
佐平:そうだな。これが王道だ。
福太郎:はい。
佐平:それに対して覇者はある程度武力を背景としてそれに頼りながら人々を正しい方向へ導く。
福太郎:悪い奴らは懲らしめるんですね。
佐平:そうだ。これが覇道だ。
福太郎:はい。
佐平:荀子はさらに強者という概念を持ち出す。
福太郎:それは何ですか?
佐平:権力を用いて私利私欲をみたす者だ。
福太郎:なるほど。
佐平:子供だった頃の先生たちを思い出すんだ。
福太郎:はい。
佐平:子供たちは「この先生は正しいか」と本能的に気づくものだ。
福太郎:たしかに。今思い返せば気づいてましたね。
佐平:そうだろう。道徳的に正しい先生で「この先生に従おう」と思ったことはないか?
福太郎:あります。
佐平:その先生は生徒たちを心服させたんだ。生徒たちを感化させた。王者に近い。
福太郎:なるほど。
佐平:怖い先生もいただろう。昔は体罰もあった。怖いけれど生徒を正しい方向に導く先生はいなかったか。
福太郎:いましたね。
佐平:これは覇者に近い。
福太郎:ええ。分かります。
佐平:先生の中には自分の行いを正当化しているけど、実は私利私欲のために生徒を叱ったり威圧したりする先生もいただろう。
福太郎:いましたね。
佐平:これが強者に近い。生徒は子供とはいえ教師が私利私欲のために怒っているのか生徒のために怒っているのか本能的に気づくものだ。
福太郎:子供でしたが確かに気づいてましたね。
佐平:『孟子』公孫丑章句上に次の記述がある。
孟子が言った。武力で道徳の代用をするものは覇者である。覇道は必ず大国でないとできない。 道徳によって仁政を行うのが王者である。王道は大国である必要ない。湯王はわずか30キロ四方。 文王はわずか40キロ四方。そこから始めて王者となった。武力で人民を服従させるのは、表面だけの服従で心からの服従ではない。力が足りないのでやむなく服従しただけだ。道徳によって人々が服従するのは、心の底からよろこんで本当に服従するのである。孔子の七十人の弟子たちが孔子に心服したのがそれである。詩経に「西からも東からも南からも北からも人々がやってきて武王に心服しない者はなかった」というのはこのことを言ったものである。
福太郎:「武力で道徳の代用をする」って何ですか?
佐平:覇者のことだ。覇者も道徳の威厳を持っているが不足している。だから他人を十分に心服させられない。だから道徳の威厳の足りない分を武力の威厳で代用しているんだ。
福太郎:道徳の威厳プラス武力の威厳ですね。それで世の中を良くする。
佐平:そうだ。だから覇道は大国でないとできないんだ。
福太郎:武力が必要なんですね。
佐平:ああ。
福太郎:それに対して王者は道徳の威厳だけで世の中を良くするんですね。
佐平:そうだ。
福太郎:次に出てくる「湯王」って何ですか?「ゆおう」?
佐平:「とうおう」だ。殷という王朝を始めた人だ。その前の夏という王朝にとんでもない桀という暴君がいた。その桀を倒して天下に太平をもたらした人だ。それが湯王だ。偉い人だぞ。王者の典型だ。
福太郎:文王は?
佐平:周という王朝の創始者だ。彼の息子武王は殷の紂王という暴君を倒して天下に太平をもたらした。でも文王がその基礎を築いたんだ。彼も王者の典型だ。偉大な人物だ。
福太郎:二人とももともと領土がせまかったんですか?
佐平:そうだ。でも王者は武力による威厳を必要としないから大国でなくてもできるんだ。
福太郎:書いてありますね。武力によるいやいやながらの服従じゃなくて心からの服従だって。
佐平:そうだ。
福太郎:「西からも東からも南からも北からも人々がやってきて武王に心服しない者はなかった」とありますけど道徳があるから、自然に四方から人々が集まってくるんですね。小国からスタートしても自然と大国になった。
佐平:ああそうだ。そして孔子の弟子たちが孔子に心服したのは道徳による服従の最も典型的な例だ。
福太郎:はい。
佐平:王者と覇者の区別は実は根本と末節の思想が背景にある。
福太郎:そうですか?
佐平:王者は道徳が充実しているため根本がより充実している。
福太郎:そうですね。
佐平:覇者にも道徳の威厳があるが不足している。だから末節の武力によって威厳を補わないといけない。
福太郎:なるほど。覇者は根本たる道徳が王者より足りないんですね。
佐平:ああ。強者は根本たる道徳がない。末節の武力だけ持っていて私利私欲をみたす。



福太郎:そう言われてみればこれも根本と末節なのか。
佐平:『荀子』王制篇に次の記述がある。
王者は人心を得て、覇者は同盟国を得て、強者は領土を得る。 人心を得るとは諸侯を臣下にすることであり、 同盟国を得るというのは諸侯を友とすることであり、 領土を得るというのは諸侯を敵とすることである。 そこで諸侯を臣下とする者は王者になれるし、 諸侯を友とする者は覇者になれるが、 諸侯を敵とする者は危険である。
福太郎:まず王者は人心を得て諸侯を臣下にするとあります。どういう意味ですか?
佐平:王者は道徳によって人々を心服させる。だから人々の心を得るんだ。
福太郎:はい。
佐平:そして心服させるから諸侯は臣下になる。
福太郎:ええ。
佐平:決して武力を背景としで直接的に間接的に脅して臣下とするのではないし、利益で釣って臣下とするのでもない。
福太郎:ええ。分かります。
佐平:ここは誤解されやすいので強調しておく。
福太郎:はい。王者は道徳で心服させるんですね。
佐平:そうだ。逆に言うと道徳が本当に充実してないと王者にはなれない。たぶん表面だけ模倣しても駄目だ。
福太郎:ええ。続けて覇者は同盟国を得て諸侯を友とするとあります。どういう意味ですか?
佐平:覇者は諸侯と信頼関係を築き同盟を結んで世の中を平和にするんだ。
福太郎:それで諸侯を友にするとなるんですね。
佐平:そうだ。信用を重視するんだ。
福太郎:最後に強者は領土を得て諸侯を敵とするとあります。
佐平:強者は他の国に攻め込んで領土を取ろうとする。道徳を捨てて信用も捨てて領土を取ろうとする。私利私欲を追うんだ。
福太郎:これは危険ですね。
佐平:ああ。やはり王者は根本が充実していて、覇者がそれに次ぎ、強者は根本を備えてないのが分かるだろう。
福太郎:ええ。
佐平:『荀子』の王覇篇に次の記載がある。
国家を治める者は道義を第一にすれば王者となり、信用を第一にすれば覇者になり、権謀を第一にすれば亡君となる。
佐平:これも似たような内容を述べている。道義、信用、権謀のうち、道義が物事の根本に近く、信用がそれに継ぎ、権謀が末端だ。
福太郎:そうですね。
佐平:荀子の言葉は次のように続く。
孔子は錐の先ほどの土地も持たなかったが、その精神を道義で誠実にし、その行いも道義で正しくし、その道義を言葉で表したために、その道徳が完成した後には隠れようもなくその名声は後世に伝わった。
佐平:孔子は現実では失敗者だった。でも何の権力も持っていなかったのに後世の多くの人々を心服させた。
福太郎:そうですね。
佐平:その原因は何だ?
福太郎:孔子のもっていた道徳と道義です。
佐平:そうだ。その原因は孔子の権力ではない。孔子の力はその道徳のみに由来する。
福太郎:ええ。孔子は権力を持ちませんでした。
佐平:現実世界では王者になれなかったが、王者に近いと言える。
福太郎:ええ。
佐平:荀子の言葉はさらに続くぞ。
湯王は亳という土地から事業を始め、武王は鎬という土地からから事業を始めた。二人とも始めは百里四方の小いさい国だったが、最終的に彼らによって天下は統一された。そして当時の諸侯たちは彼らに心服し臣下となった。天下の人々がすべて服従したのは他でもない、道義を行ったからである。・・道義を第一にすれば王者となるというのはこれを言ったのである。
佐平:湯王や武王も小国からスタートし王者になった。先の孟子の「王道は大国である必要ない」という言葉と荀子の言葉は一致しているな。
福太郎:ええ。それができるのは道義が充実しているからですね。
佐平:そうだ。荀子はつづいて覇者について次のように述べている。
その国は仁徳は確かに十分ではなく、道義を完全には行えない。しかし天下の道理はほぼその国に集中し大義を確かに持っており、その賞罰や判断は正しいものとして天下に信じられ、その国の臣下はみなはっきりと主君が仕えるに足る信頼できる人物と知っている。国内で法がすでに定められたからには、利害を見ても利害に従って民衆を欺いたりはせず、正しく法に従う。条約がすでに定められたからには、利害を見ても利害に従って同盟国を欺いたりはせず、条約を正しく守る。もしそのようであれば、兵は強く城は固く、敵国も畏れ、国は統一され、その国の掲げる根本原則も明白で同盟国もその国を信頼し、たとえ辺鄙な国であってもその威厳は世界を動かすだろう。五覇がそれである。 ・・信用を第一にすれば覇者になるというのはこれを言ったのである。
福太郎:五覇って何ですか。
佐平:中国の春秋時代に天下に一時的に平和をもたらした覇者たちだ。斉の桓公とか聞いたことないか?
福太郎:なんとなく。
佐平:分からないなら曹操でもいい。
福太郎:曹操は少しわかります。五覇って言うのは覇者と思えばいいんですね。
佐平:ああ。孟子は覇者は「武力の威厳で道徳の威厳を代用する」と述べたな。
福太郎:ええ。荀子も「兵は強く城は固く」と書いてます。覇者には武力が必要なんですね。
佐平:そうだ。荀子と孟子はこの点では意見が一致してるな。
福太郎:はい。でも辺鄙な国でもいいんですか?「たとえ辺鄙な国であってもその威厳は世界を動かすだろう。」って書いてありますけど。
佐平:恐らく。天下の信用と武力があれば覇者になれると荀子は言っている。
福太郎:覇者は目先の利害より国内と国外の信用を重視すると荀子は言ってますね。信用はそれほど大事なんですか?
佐平:もちろんだ。カリエールという18世紀初頭のフランスの外交官に『外交談判法』という著作がある。岩波文庫で出てるぞ。
福太郎:はあ。
佐平:その本に次の言葉があるぞ。
交渉家は自分の交渉の成功を、偽りの約束や約束を破ることで達成してはいけない。俗に「腕利きの使者はペテンをかける名人でなければならない」と言うけれど、そのように考えるのは間違いである。 たしかにペテンによって成功することがしばしばある。しかし、ペテンを使わない場合に比べればその成功は長続きしない。なぜならだまされた人の心に怨みと復讐心を残すからだ。 交渉家として考えてみなければならないのは、一生の間には一回だけでなく何回も交渉を行うだろうし、嘘をつかない人間だという定評ができることが彼にとっての利益であり、この評判を彼は本物の財産のように大切にすべきであるということである。 というのはこうした評判があれば、今後行う他の交渉の成功は容易になり、彼のことを知っているどこの国へ行っても、彼は尊敬をもって喜んで迎えられるからである。
福太郎:なるほど相手をだます交渉は長続きしないんですね。
佐平:そうだ。騙せるのは最初の一回だけだ。
福太郎:騙すより信用を得るほうが長期的に見て交渉家としても国としてもプラスになるんですね。
佐平:そうだ。だから覇者は信用を利害より大切にする。
福太郎:分かりました。
佐平:荀子は続いて強者について次のように述べている。
国民のすべてに利益を第一のこととさせ、自分の道義を高めて自分の信用を築くことには努めないで、ただ利益のみを求め、国内では小さな利益を求めて、その民衆をだまし、外では大きな利益を求めて同盟国をあざむき、財産を得るための正しいまっとうな方法を修めることを好まないで、いつもがつがつして他人の財産を欲する。このようであれば臣下、民衆もいつわる心で高い地位の人々に対するようになる。高い地位の人が下の人々をいつわり下の人々が高い地位の人をいつわるというのは上下が分離することである。もしそのようであれば敵国もその国を軽視し、味方の国もその国を疑い、盛んに権謀が行われて国家も危うくなり勢力が削られることを免れず、これの行きつく先は国が亡ぶことになる。斉の閔王と薛公がこれである。
福太郎:利益だけを追い求めると国が亡ぶんですね。
佐平:そうだ。
福太郎:資本主義ですか?資本主義は金が重要です。
佐平:確かに資本主義では金が大事だな。
福太郎:ええ。
佐平:でも会社に入るとわかるけど、会社では金だけが重視されるのではない。人格がそれと同じくらい重視される。
福太郎:そうですね。会社では人格のある人は必ず尊敬されます。
佐平:現代日本の資本主義は金も大事だが人間性も大事にされるから問題ない。
福太郎:ほどんどの会社はそうですね。
佐平:ああ。「財産を得るための正しいまっとうな方法を修める」と書いてあるだろう。
福太郎:ええ。
佐平:正しいビジネスをして社会貢献をすることが「財産を得るための正しいまっとうな方法」なんだ。
福太郎:はい。正しい方法で財産を得るのはいいんですね。
佐平:もちろんだ。日本の資本主義は全部ではないが多くの会社は大雑把に言ってある程度正しいビジネスをしている。
福太郎:正しいビジネスをしないで、人間性をそっちのけにして利益を追い求めると会社や国が亡ぶんですね。
佐平:そうだ。末節の利益だけを重視すると根本が徐々に崩壊していく。
福太郎:「高い地位の人が下の人々をいつわり下の人々が高い地位の人をいつわる」と書いてあります。これが社会の信頼と言う根本が崩壊していく様子ですね。
佐平:そうだ。
福太郎:「斉の閔王と薛公」って誰ですか?
佐平:知らん。
福太郎:知らんのかい(笑)。
佐平:知らんな。仕方ないから董卓と袁術のことにしておく。
福太郎:ええ。分かりました。
佐平:『論語』為政篇から引用するぞ。
現代語訳
孔子が言われた。政治で導き、刑罰で統制していけば、人々は法律をすり抜けて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼儀で統制していくならば、恥を知り正しくなる。

書下し文
子曰く。これを導くに政を以てし、これを整えるに刑を以てすれば民免れて恥じること無し。これを導くに徳を以てし、これを整えるに礼を以てすれば恥有りてかつ正し。
佐平:道徳と礼儀で導くのが王者の政治だ。そして政治と刑罰で導くのは覇道に近い。
福太郎:さっきの孟子で「武力で人民を服従させるのは、表面だけの服従で心からの服従ではない。力が足りないのでやむなく服従しただけだ。道徳によって人々が服従するのは、心の底からよろこんで本当に服従するのである。」とありました。それと同じですね。
佐平:ああ。「道徳と礼儀で導く」のは根本が充実しているからだ。すると人々は心からしたがう。人々は本当に正しくなる。「政治と刑罰で導く」のは根本が足りないからだ。すると人々はやむなく服従する。本当の意味では正しくなっていない。
福太郎:なるほど。
佐平:該当箇所の『論語集注』に次の言葉があるぞ。
現代語訳
「法律をすり抜けて恥ずかしいとも思わない」とは、その場かぎり刑罰を逃れて恥じること無いのを言う。悪を行わないけれど悪を行おうという心は無くなっていないのである。

書下し文
免れて恥無しはかりそめに刑罰を逃れて羞愧する所無きを謂う。蓋し敢えて悪を為さずと雖も、しかれども悪を為すの心、未だ嘗て滅びざるなり。
佐平:「政治で導き、刑罰で統制」した場合、人々は悪いことをしたとしてもその場限りで刑罰を逃れて、悪いことをしたのを恥ずかしいと思わない。全く反省していない。だから次も悪いことをする可能性がある。
福太郎:ええ。
佐平:さらに引用するぞ。
現代語訳
政策や刑罰は人々を罪から遠ざけることができるだけである。

書下し文
政刑は能く民をして罪より遠ざけしむるのみ。
佐平:だから政治や刑罰では人々を罪からやや強引に遠ざけているだけであって、本当の意味で善に導くことはできていない。
福太郎:なるほど。
佐平:さらに引用するぞ。
現代語訳
仁徳と礼儀の効果は、人々を知らず知らずのうちに日々善に移らせることにある。ゆえに人々を治める者は末節に頼っているだけではだめで、根本を深く大切にするべきである。

書下し文
徳礼の効は則ち以て民をして日々善に遷らせて自ら知らざらしむるにあり。故に民を治むる者は、徒だに其の末を恃むべからず。又た当に深く其の本を探るべきなり。
佐平:王道は人々を感化すると今回の最初に言ったな。
福太郎:ええ。
佐平:仁徳と礼儀で導くのがその場合だ。人々を感化し知らず知らずのうちに善に導く。
福太郎:そうですか。
佐平:おまえは誰かに感化されたことないか?我々は他人を感化したことはないが、感化されたことはあるだろう。
福太郎:あります。孔子みたいに偉い人にはあったことないですが、それでも立派な人に感化されたことはあります。
佐平:その時のことを思い出せ。その時の自分の感覚を思い出せ。知らず知らずのうちに善に導かれなかったか?
福太郎:あっ!そう言われてみればそうですね!
佐平:その感覚だ。まさにその感覚だ。その感覚こそが、この『論語』の意味であり、王道政治の本質だ。
福太郎:なるほど。それが物事の根本なんですね。
佐平:ああ。そうだ。
福太郎:分かりました。
佐平:少しくどくなるが、ノートを見返すぞ。
現代語訳
君子は根本を大切にする。根本が充実すれば物事は自然にうまくいく。

書下し文
君子は本を務む。本立ちて道生ず。
福太郎:『論語』の言葉です。これは何度も出てきましたね。
佐平:根本が充実した人が仁徳と礼儀で導くと物事は自然とうまくいく。
福太郎:なるほど。これは実はさっきの「仁徳と礼儀で導く」と全く同じ内容を述べているんですね。
佐平:そうだ。くどくなるが再度『老子』第十七章から引用するぞ。
現代語訳
功績があがり事業が完成すると、人々は「私たちは自然と物事を完成させたんだ」と言う。

書下し文
功成り事遂げて百姓皆我自ら然りと謂う。
福太郎:これも同じかあ。根本が充実すると人々を自然に感化して、人々は「自然に物事がうまくいった」と考えるんですね。
佐平:その通りだ。
福太郎:分かりました。
佐平:くどいのを承知でさらに引用するぞ。中国思想入門だから丁寧に説明する。
現代語訳
優れた車の運転をするものは轍の跡を残さない。

書下し文
善く行く者は轍迹無し。
福太郎:これも以前出てきた老子の言葉ですね。
佐平:ああ。立派な人に感化されたときのことを思い浮かべるんだ。その人はおまえを善い方向に導いただろう。
福太郎:ええ。
佐平:でもその働きは何か跡が残ったか?
福太郎:確かにその働きは無形です。言葉や行動として何か有形なものとして記録されたり残ったりしないですね。
佐平:そうだろう。「轍の跡を残さない」とある通りだ。
福太郎:分かります。
佐平:さらに引用するぞ。
現代語訳
天の働きは声もなく匂いもない。

書下し文
上天の載は声もなく臭いも無し。
福太郎:これも以前出てきましたね。『詩経』の言葉でした。
佐平:そうだ。おまえが立派な人に感化されたとき、その感化の働きには声もなく匂いもなかっただろう。
福太郎:そうか。そうですね。
佐平:感化は天の働きに似てるのかもしれない。自然に人々を導く。
福太郎:ええ。
佐平:さらに引用するぞ。『論語』為政篇からだ。
現代語訳
政治をするのに道徳によっていけば、北極星がその場所にいて、多くの星がその周りを巡るようなものだ。

書下し文
子曰く。政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰の其の所にいて、衆星之に向かうが如し。
佐平:「政治をするのに道徳による」というのは当然王道政治のことだ。
福太郎:そうでしょうね。
佐平:仁徳があれば人々を自然に感化し、特別なことをしなくても自然と物事が治まる。
福太郎:なるほど。これも同じことを述べてますね。感化による王道政治ですね。
佐平:ああ。『言志四録』の『言志耋録』から引用するぞ。
現代語訳
教え諭すには三つの段階がある。第一は心による教えだ。これは心により感化する。第二は行動による教えだ。行動によって手本を示す。第三は言葉による教えだ。孔子が言われた。「私は言葉で教えるのを止めようと思う。」と。これは心による教えを最高の教えとするという意味だろう。

書下し文
教えに三等有り。心教は化なり。躬教は迹なり。言教は則ち言に資す。孔子曰く。「予言う無からんと欲す」と。蓋し心教を以て尚と為すなり。
福太郎:なるほど。人を教える方法が三あるのか。
佐平:そうだな。やはり人を感化する方法がもっとも優れていると佐藤一斎は述べている。
福太郎:分かる気がします。『論語』の言葉と相通じますね。これも王道政治か。
佐平:何か質問はないか?
福太郎:覇者はよく歴史上に出てきます。織田信長とか項羽、劉邦とか。強者もよくでてきますね。でも王者ってあまり見ない気がします。
佐平:その点だが『孟子』梁恵王章句上に次の記述があるそ。
たった40キロ四方の国でも王者となることができます。 梁の国の王様であるあなたがもし仁政を行って刑罰を軽くし、税金の取り立てを少なくし、 田地を深く耕し草取りを早めにさせ、若者には農事のひまなときに孝悌忠信の徳を教え込み、 家庭ではよく父兄に仕え社会ではよく目上に仕えるようにさせたなら、ただのこん棒だけでも 堅固な鎧兜、鋭利な武器で身を固めた大国である秦や楚の精鋭にも勝てるでしょう。 彼ら秦や楚は時をかまわず人民をこき使い農耕に精を出して父母を養うことも 出来ぬようにさせています。父母は飢え凍え妻子兄弟は離散しています。 いわば彼らは人民を穴に突き落とし水に溺れさすような虐政をしています。 そのときに王様がこれを征伐したならば誰がはむかうでしょうか。 仁者に敵はないのです。
佐平:これは梁と言う国の王様に対して孟子が助言している場面だ。地図を載せるぞ。



福太郎:梁?
佐平:魏とも言う。曹操の魏とは時代が違う別の国だ。曹操より500年ほど前。戦国時代だ。
福太郎:地図の真ん中にある国ですね。
佐平:ああ。この魏の国が秦や楚という大国に圧迫されていた。
福太郎:秦は左にありますね。楚は下に書いてあります。両方とも魏より大国のようですね。
佐平:魏の王様が秦や楚に圧迫されて悔しいのでなんとかやり返したいと言った。それに対して孟子は魏の王様に王者になれば秦や楚に勝てると述べた場面だ。
福太郎:国全体で道徳を修めたら小国でもこん棒だけで大国の精鋭に勝てると言ってます。
佐平:ああ。
福太郎:可能ですか?
佐平:そりゃ無理だな。
福太郎:「仁者に敵はないのです。」と言ってますが。
佐平:原文は「仁者無敵」だ。
福太郎:本当ですか?
佐平:もちろん大げさだ。
福太郎:さらに誰でも王者になれるとも言ってます。本当ですか?
佐平:無理だな。おまえ今日から王者になれるか?おまえが善行を積んだら天下は心服するか?
福太郎:できないですね。孟子は理想主義的に過ぎませんか?
佐平:その通りだ。そうだ孟子は現実無視だ。現実を無視すると現実で成功しない。だから孟子は現実で失敗者だった。
福太郎:ええ。
佐平:しかし恐らく孟子は魏の王様を「仁者無敵」と述べて励ますことで少しでも道義を実現させようと考えたのだと思う。
福太郎:孟子自身大げさと分かっていたんですね。世の中を良くするためだったんですね。
佐平:多分な。若干現実無視になってもそれで世の中が良くなればいいという考えだと思う。『危機の二十年』に次の記載があるぞ。
もし宗教のもつ理性を超えた願望とか情熱というものがないならば、どんな社会も絶望に打ち克って不可能なことを試みる勇気を持つことなどありえない。なぜなら正義の社会というヴィジョンは、もともと実現不可能なものだが、しかし、それを不可能と考えない人たちだけがそこに近づくことができるからである。そして、それを毅然として信じることによって初めて、一部これを実現することができるのである。
福太郎:なるほどこの言葉は孟子の気持ちを代弁しているかもしれませんね。
佐平:ああ。
福太郎:さっき現実を無視すると現実世界でうまくいかないと言いましたよね。でもここでは現実無視があるからこそ一部の成功が達成されると述べてます。どっちが正しいんですか?
佐平:難しい問題だな。両方の側面があるとしか言えない。ただどっちかと言うとオレは現実無視はやめたほうがいいと思っている。
福太郎:そうですか。
佐平:これに関連して『春秋左氏伝』の昭公二十年に次の記載があるぞ。子産という政治家の言葉だ。
有徳者なればこそ寛大な政治で民を服従させられるのであり、次善の場合は厳格なほうがいい。火は烈しいから民は遠くから眺めて恐れ、従って焼け死ぬものは少ない。ところが水は柔弱だから、民は軽んじて玩び、そこで水死者が多く出る。だから寛大な政治は難しいのだ。
福太郎:根本たる道徳が充実していると寛大な王道の政治でうまくいくんですね。
佐平:ああ。
福太郎:次に優れている人は人徳とさらに厳格さを伴う覇道の政治がいいんですね。
佐平:ああ。火は烈しくて厳格だ。覇者の場合だ。人々は覇者を畏れて悪いことをしないようにする。畏れて近づかない。だから焼け死ぬ人は少ない。
福太郎:なるほど。
佐平:しかし水は一見怖くない。徳が十分でないのに厳格にしなかった場合だ。そのような人は怖くないので皆近づいてくる。そして好き勝手に振舞い罪を犯す。だから最終的に処罰される。だから水死者が多く出てしまう。
福太郎:なるほど。
佐平:孟子の言うように誰でも王者になれると考えたらどうなる?人徳が足りてないのに王者の真似をする人がたくさん出るだろう。すると「水」のようになる。本当に道徳が足りていれば寛大な政治でもうまくいくんだ。でも誰にでもできるわけではない。ある程度の厳格さは必要なんだ。政治家の子産のほうが思想家の孟子より現実的だと言っていい。
福太郎:そうですか。
佐平:話が戻るぞ。孟子の言うようにこん棒だけで大国に勝つのが王者とすると、完全な王者は存在しない。
福太郎:だから歴史を読んでも王者は出てこないんですね。
佐平:そうだ。
福太郎:周の文王でしたっけ。王者の典型とされてますが。
佐平:周の文王ですらその息子の周の武王が武力で殷の紂王という暴君を討伐したんだ。周の文王ほどのものすごく偉大な王ですら軍事力を必要とした。
福太郎:なるほど。厳密な意味での王者は存在しないんですね。
佐平:ああ。ただもちろん周の文王は王者に非常に近い。多くの人々が彼に心服したんだ。それは事実だ。王道が9割、覇道が1割だろうな。
福太郎:王道がほとんどで覇道で少し補ったんですね。
佐平:逆に覇道の典型とされる曹操だって王道の側面はあった。
福太郎:民の生活を安定させたんですね。
佐平:そうだ。さらに荀彧、荀攸、程昱、郭嘉、陳登たち心ある人々が曹操の道義に共感して従ったんだ。彼らは曹操に半ば心服したと言っていいかもしれない。
福太郎:王者の側面もあったんですね。
佐平:王道3割、覇道7割くらいかな。
福太郎:なるほど。
佐平:みな王道と覇道が混在するんだ。そして王道の要素が大きい人ほど後世の評価は高くなる。たぶん後世の評価は大雑把に言って正しくなる傾向にある。
福太郎:世界史で王道に一番近い人は誰ですか?
佐平:ムハンマド、イエス、仏陀だ。
福太郎:そうですか。
佐平:過去から現在に至るまで何十億もの信者がいて信者たちは彼らに心服している。
福太郎:ええ。
佐平:この「心服」だ。実にこの「心服」だ。まさにこの「心服」こそが王道の本質なんだ。徳と道義で人々を心服させる。
福太郎:ええ。
佐平:先の『孟子』公孫丑章句上で「徳によって人々を服させるのは心の底からよろこんで本当に服従するのである。孔子の七十人の弟子たちが孔子に心服したのがそれである。」ってあったろう。
福太郎:はい。
佐平:ムハンマド、イエス、仏陀の信者たちは彼らに心服しているんだ。
福太郎:彼らは完全な王者と言っていいんではないですか?
佐平:彼らですら違う。
福太郎:なぜです?
佐平:イエスですらイエスを理解しないパリサイ人がいた。
福太郎:そうでした。
佐平:ムハンマドですら彼を弾圧した人たちと戦わなければならなかった。
福太郎:ええ。
佐平:だから完全に道徳だけですべての人を心服させるというのはできないんだ。
福太郎:なるほど。
佐平:でも王道の割合が大きい人ほど偉大とされる。ムハンマド、イエス、仏陀が偉大とされるのは彼らが何十億の人々を心服させ最も王道に近いからなんだ。それは非常に偉大なことだ。根本が最も充実しているからなんだ。 福太郎:ええ。分かりました。
佐平:王者になるのは非常に難しい。『言志四録』の『言志晩録』百十一に次の言葉があるぞ。
現代語訳
人間の本質を知る者は覇者になることができる。 天の奥義を窮める者は王者になることができる。

書下し文
地道の秘を窃む者は以て覇を語るべく、 天道の蘊を極める者は以て王を言うべし。
福太郎:書下し文では「地道」と書いてるのに現代語訳では「人間の本質」と人間になってますが。
佐平:講談社の久須本文雄訳に従った。『言志四録』の訳ではこれが一番いいと思う。
福太郎:なるほど。いずれにしても王者になるのは大変なんですね。天の奥義を知るまでにならないといけない。
佐平:ああ。では休憩するぞ。

続きは末節が勝つをご覧ください。


■このページを良いと思った方、
↓を押してください。

■上部に掲載の画像は山下清。

関連記事