根本と末節の具体例4

佐平:では続けるぞ。根本と末節という考えは儒教のいたるところに出てくる。根本と末節という言葉を使ってなくても、根本と末節という言葉が背景にある場合は多い。
福太郎:たしかにさっきの天爵と人爵もそうですね。根本と末節という言葉は出てきませんでしたが、紛れもなく根本と末節が主題でした。
佐平:まだまだ例を挙げていくぞ。例がたくさんあったほうが分かりやすいからな。
福太郎:はい。
佐平:また『大学』から引用だ。ノートに書いておくぞ。
現代語訳
君子はまず徳を充実させる。徳があれば自然に有能な人々が帰服し、有能な人々が帰服すれば領地が得られる。領地が得られれば財物が豊かになり、財物が豊かになれば大業が起こる。徳が根本であり、財物は末節である。

書下し文
君子は先ず徳を慎む。徳あれば此に人あり、人あれば此に土あり、土あれば此に財あり、財あれば此に用あり。徳は本なり、財は末なり。
福太郎:何ですかこれ?
佐平:帝王学だ。
福太郎:帝王学?
佐平:昔の帝王になる人が学ぶ学問だ。
福太郎:そうですか。我々に関係ありますか?
佐平:必ずしも関係ないな。
福太郎:ですよね。
佐平:でも物事の順番を学ぶにはこの文章は外せない。それにこれは儒教の基本の考え方でもある。勉強しておいたほうがいい。
福太郎:はい。
佐平:帝王になる人はまず自分の徳を充実させる。すると有能な人たち、知者たちがその徳を慕って自然と集まってくる。
福太郎:なるほど。徳を慕って人が集まるというのはあります。ただ現代日本では教育自体が能力偏重ですよね。仁徳はそんなに重んじない気がします。
佐平:そうだ。能力のある人のほうが評価される場合もある。特に学校ではな。でも社会では徳を慕って人が集まるというのも現代でも当てはまるだろう。
福太郎:ええ。
佐平:そして有能な人たちが集まってくると領地が得られる。
福太郎:領地ですか。
佐平:現代では国が領地を広げるというのは国境変更でナンセンスだが、昔の春秋戦国時代とか三国時代ではもちろんあった。
福太郎:たしかに有能な人たちがたくさん集まる集団は現在にもありますよね。優れた会社とか。そんな集団はすごい力を発揮する。こんだけの人たちが集まれば何でもできそうな気になる、という集団はあります。現代の会社では領地ではなく会社の規模が大きくなるとかですけど。
佐平:そうだな。そして人材が集まって領地が得られれば自然と財物が集まる。財産と物資だ。
福太郎:これは当然ですね。土地があれば年貢と税金が上がってきますから。
佐平:そして財産と物資が集まればそれを用いて民の生活を救うことができる。大業が起こるのだ。
福太郎:これも物事の順番、根本と末節の連鎖ですね。
佐平:そうだ「仁徳→人材→土地→財力→大業」の順番になる。



福太郎:何か具体例ないですか?
佐平:三国志の曹操を例に取ろう。
福太郎:三国志か・・。
佐平:おまえ三国志は読まなかったっけ?
福太郎:読まないっすね。曹操とか名前は聞いたことありますけど。
佐平:男で三国志を読まないなんて珍しいな。
福太郎:珍しくありませんよ。読まない方が普通です。
佐平:いや男なら誰しも一度は通る道だ。
福太郎:三国志マニアはすぐそう言う。実際はそんなに読んでる人いませんよ。
佐平:確かに中学、高校の時、三国志に詳しいのは同じクラスでオレ含めて4人くらいだったかな。
福太郎:そんなもんですよ。
佐平:計算するぞ。クラス40人で男子生徒が20人。三国志に詳しいのは4人とすると、クラスの男子の5分の1だ。単純計算するぞ。日本人の男性が5000万人とすると三国志に詳しい日本人の男性は・・・たったの1000万人か!!
福太郎:多いですよ。そんなにいるんだ。本当かな?たぶん500万人くらいじゃないですか。ちゃんと調べてないけど。
佐平:まあいい。おまえは三国志知らないんだな。しかたない。できるだけわかりやすく説明するからな。
福太郎:頼みますよ。
佐平:曹操は人間的な魅力にあふれた人だった。あまり行儀のいい人ではなかった。若い頃は不良だ。でもスケールの大きい人で、そして世の中が乱れているのを憂えている人だった。「仁徳」のある人と言っていい。
福太郎:そうなんですね。
佐平:そしてその人間性を慕って有能な人たちがたくさん集まった。「人材」だ。そしてその結果領土が広がった。「土地」だ。そして税収が上がった。「財力」だ。それで民の暮らしを安定させた。「大業」だ。当時民衆の生活は度重なる戦乱で無茶苦茶だった。食べ物が無くなると、よそから略奪し、腹いっぱいになると余った食べ物を捨てていたらしい。それを曹操がみなをきちんと農業に従事させ、長期的な食糧計画も行い暮らしを安定させたのだ。
福太郎:へ~冷酷な人だと聞いてましたが、いいやつなんですね。
佐平:彼は英雄だ。
福太郎:でもたしかに「仁徳→人材→土地→財力→大業」の順番になってますね。
佐平:そうだろう。これは古代から近世において将来帝王になる人物がほぼ必ずたどる順番なのだ。三国志以外の他の時代でも優れた人間的魅力をもつ人の周りに有能な人が数多く集まる集団が形成されることがある。そしてその集団の領土は拡大し最終的に多くの民の生活を救われた。周、漢、唐、明など長い平和をもたらした王朝ほどその創業者は人間的魅力を持っていて多くの有能な人が集まったんだ。周の文王も漢の劉邦も三国志の曹操、劉備、孫権も唐の李世民も明の朱元璋もみなこの道をたどった。
福太郎:ふ~ん。
佐平:それと対照的なのが董卓だ。
福太郎:董卓って確か横暴な人じゃなかったっけ?
佐平:そうだ。三国志の人物で曹操より30歳くらい年上だが、ろくでもないやつだ。強力な軍隊を手に入れ権力を手に入れ暴虐のかぎりをつくした人物だ。
福太郎:「仁徳→人材→土地→財力→大業」という根本と末節の連鎖のうち最初の仁徳が欠如してますね。そもそも根本を備えてないんじゃないですか?
佐平:その通り。ただ彼は少しは良心というものがあったらしく、部下に命じて優秀な人物を積極的に登用したんだ。
福太郎:おおっ!いいね。いいとこあるじゃん!
佐平:でも抜擢された人たちはみな董卓を裏切り反董卓陣営に参加してしまう。
福太郎:なんだそりゃ(笑)
佐平:仁徳が根本で人材が末節だな。仁徳があるからそれを慕って人材が集まる。「仁徳」→「人材」の順だ。
福太郎:そうですね。
佐平:しかし董卓は仁徳が無い。だからせっかく優秀な人材を登用したのにみな背いてしまうんだ。仁徳がないから次の人材の段階に進めない。
福太郎:笑えますね。
佐平:董卓主演の喜悲劇だ。事実なだけに下手な小説より面白い。
福太郎:そうですね。
佐平:三国志では戦乱を生き延びたのは魏呉蜀の三国だ。
福太郎:それは知ってます。
佐平:魏呉蜀の創始者たちはそれぞれ仁徳を備えていた。そして優秀な人材がたくさん集まった。
福太郎:なるほど。根本があったんですね。
佐平:人材と言っても文の人材と武の人材がいる。
福太郎:何のこと?
佐平:文の人材は賢者だ。頭がいい人。武の人材は武闘派。豪傑。
福太郎:なるほど。
佐平:三国志を読んでいると武の人材は仁徳のない人にでも仕える場合がけっこうある。それに対して文の人材は仕える相手が仁徳があるかをよく見極めて仕えている場合が非常に多い。例外はいくつかあるが多くの場合はそうだ。そして知者たちはみな魏呉蜀のいずれかに仕えている。あと袁紹という表面的には仁徳を持っていた人もいてその人に仕えた知者も多いけど。
福太郎:ふ~ん。
佐平:やはり「仁徳」→「人材」の順番になっている。『荀子』不苟篇に次の言葉があるぞ。
君子はその行いを清廉にして、同じように清廉な人々がその人の周りに集まり、その言葉を正しくして、同じように正しい言葉を述べる人々がその人に応じる。一匹の馬がいななくと他の馬もそれに応じていななくのと同じであり、それは知的な計算にもとづいてそうなるのではなく、自然の勢いでそうなるのである。
佐平:人徳ある人に優秀な人材が集まるのは「自然の勢い」だと述べている。「自然な力」なんだ。
福太郎:儒教は「自然な力」を重視するんですね。
佐平:そうだ。さらに『荀子』勧学篇に次の言葉があるぞ。
草木も同じ種類ごとに生え、動物も同じ種類ごとに群れを成す。人も生き物もそれぞれ自分の同類に従うのだ。
佐平:やはり「仁徳」→「人材」という流れは自然な流れだとわかるだろう。
福太郎:そうですね。同じ志を持った人たちが集まるんですね。確かにそれは自然な流れだ。三国志でもそうなっているんですか。
佐平:そうだ。三国志でも魯粛が徳なき袁術を去り孫権に仕え、張紘が孫策の真心を知って初めて仕官し、陳珪、陳登が粗暴な呂布を嫌い徳ある曹操に心を寄せ、田疇、程昱が曹操に出会うまで誰にも仕官せず、賈クや荀彧が袁紹を避けて曹操に仕え、趙雲が公孫サンを避けて劉備に従い・・例を挙げると限りないほどだ。心ある人々は董卓、袁術、呂布のような徳なき者には使えず、徳ある曹操、劉備、孫権に仕えたんだ。
福太郎:オレは人名は全く知りませんが・・(笑)。
佐平:まあそれはいい。歴史上の人物は数百年という時間がたつと大雑把に言って正しい評価が下されるようになる。あくまで大雑把だが。そして三国時代で最終的な名声を得たのは魏呉蜀の三国だ。
福太郎:そうでしょうね。
佐平:董卓や袁術、呂布という仁徳が無い君主たちは一時的には栄えても最終的な名声は得られなかった。
福太郎:たしかに董卓なんて後世の人たちの間で名声はないだろうな。
佐平:当然だ。おまえは知らないだろうけど袁術とか呂布とかいう仁徳のない君主もいた。彼らも一時的に栄えたが最終的な名声は得られなかったんだ。
福太郎:でも一時的に栄えることはできたんですね。それがなあ・・。
佐平:そこだ。利害で動く人は実際に非常に多い。だから董卓や袁術に従う同時代の人も実際多かったんだ。
福太郎:なるほど。
佐平:弱い人は力で脅せば横暴な人に対しても従うだろう。
福太郎:はい。
佐平:欲が深い人は利益で釣れば大義なき人にも従うだろう。
福太郎:そうですね。
佐平:しかし道義を重視する人は大義を持たない人には従わない。利益で釣っても力で脅しても従わない。
福太郎:分かります。
佐平:大義を重視する人は同じく大義を重視する人に従うんだ。荀子の「同類に従う」とはこのことだ。大義のない強者には平凡な人は従うが、心ある人々が離れていくんだ。そして最終的に滅びる。
福太郎:ええ。
佐平:オレたちは歴史の結果を知っているから董卓や袁術の記述を読むときも「どうせこいつらは滅びるんだよな」と思いながら読む。
福太郎:そうですね。
佐平:同時代の人々は歴史の結果を知らないので、董卓、袁術の勢力のことを非常に強大に感じていたはずだ。従う人も多かったんだ。でも荀彧たち心ある人々が去っていくことで董卓たちの勢力は縮小していき最終的に滅んだ。
福太郎:ええ。ヒトラーも同じですか?その最盛期には非常に大きな勢力を持ってました。しかしここでも心ある人チャーチルの選択により最終的に滅んだと思います。
佐平:そうか。
福太郎:ヒトラーの野望が実現するかどうかはイギリスがドイツにつくかアメリカにつくかによって決まったんです。キャスティングボートを心ある人チャーチルが持っていたと言えないですか。
佐平:なるほど。その通りだな。繰り返すが、歴史上の人物は数百年という時間がたつと、大雑把に言って正しい評価が下されるようになる。
福太郎:はい。
佐平:『言志録』に次の言葉があるぞ。
現代語訳
同時代の人たちからの褒め言葉や非難の言葉は恐れるに足りない。 しかし後世の人たちからの褒め言葉や非難の言葉は恐ろしい。

書下し文
当今の毀誉は恐れるに足らず。後世の毀誉は恐るべし。
佐平:同時代の人に褒められたりけなされたりしても必ずしも一喜一憂しなくてもいい。同時代人の評価は一時的だし正しいとは限らないからだ。しかし五百年後の世論の評価は恐ろしい。大雑把に正しい評価になるし、それが最終的な評価になるからだ。
福太郎:なるほど。
佐平:E.H.カーの『危機の二十年』からの引用だ。
世界史は世界の法廷である。
福太郎:どういう意味ですか。
佐平:五百年後の国際世論が最終的な評価になる。世界史が出す結論が最終的な道義的な結論という意味だ。
福太郎:そうですか。
佐平:同時代人は権力者が間違えていると思っていても、 恐れたりもしくは遠慮して直言しない場合も多いだろう。
福太郎:ええ。
佐平:でも後世の歴史家や国際世論は過去の権力者を畏れたり遠慮したりしない。常に公平に道義的な判断を下す。同時代人はおべっかを使ってくれるからと言って、董卓のように調子に乗ってやりたい放題だと、確実に後世に汚名を残す。
福太郎:そうか。同時代人は恐怖や利害や洗脳で動きますからね。後世の歴史家や世論はそれでは動かない。理性的に判断します。
佐平:そういうことだ。
福太郎:歴史に残る人たちが考慮すべき点ですね。
佐平:ジェームズ・ミルという思想家に次の言葉があるぞ。『危機の二十年』からの孫引きだ。
理性を持つすべての人は、証拠の信憑性を比較考量してその証拠の説得力の大きさに従って結論に導かれていくという習性がある。様々な結論が証拠とともに提示され、それぞれの結論が同じくらいの丁寧さと説明技術で提示されたとしよう。少数の人はあるいは間違えた方向に導かれるかもしれないが、大多数の人は正しく判断するだろう。どんな証拠であろうと、その証拠が大きな説得力を持っていればそれに応じて大きな影響力を生むだろうからだ。そのような道徳的必然性が厳然として存在する。
佐平:この考え方には世論に対する信頼がある。長期的に見れば世論は正しい方向に動いていくという信頼だ。
福太郎:「理性を持つすべての人は、証拠の信憑性を比較考量してその証拠の説得力の大きさに従って結論に導かれていくという習性がある。」とは?
佐平:歴史に残る出来事、例えば曹操の業績を例にとろう。「曹操は正義だ。」という主張をするAさんがいるとする。そして「曹操は暴君だ」と主張するBさんがいたとする。誰が正しいか判断するにはどうしたらいい?
福太郎:AさんとBさんが言っている主張の根拠である「証拠」を検討します。
佐平:そうだな。理性がある人は、Aさんの主張と証拠とBさんの主張と証拠を比較して、より説得力のある方に従って結論していく。「理性を持つすべての人は、証拠の信憑性を比較考量してその証拠の説得力の大きさに従って結論に導かれていくという習性がある。」という文章はそういう意味だ。
福太郎:なるほど。「様々な結論が証拠とともに提示され、それぞれの結論が同じくらいの丁寧さと説明技術で提示されたとしよう。」というのはAさんとBさんの主張と根拠がそれぞれ十分な仕方で提示された場合を言うんですね。
佐平:ああ。
福太郎:「少数の人はあるいは間違えた方向に導かれるかもしれないが、大多数の人は正しく判断するだろう。」とは?
佐平:曹操が正義か悪かについて、たくさんの意見が出されて時間がたつにつれ理性を持つ人々によってその根拠が検討されていくと、少数の人は間違えた結論に至るが、多くの人は正しい結論に至るという意味だ。世論は多数の意見だから、長期的に見ると世論は正しくなる。
福太郎:なるほど。「その証拠が大きな説得力を持っていればそれに応じて大きな影響力を生むだろうからだ。」とある通りですね。説得力ある根拠ほど大きな影響力を持ち、時間が経てばそれによって世論が作られていく。
佐平:ああ。ジェームズ・ミルは世論には理性が存在すると考える。時間の経過とともに世論に存在する理性によって正しい結論が自然と導かれる。国際世論への信頼は国際世論のもつ理性への信頼と言ってもいい。
福太郎:なるほど。個々人を超えた理性が国際世論に内在するというのですね。
佐平:ああ。「集合理性」というべきか。「そのような道徳的必然性が厳然として存在する。」とある通り、この世論の理性による結論は「道徳的な必然性」だと彼は考えている。
福太郎:それは本当ですか?
佐平:わからない。世論が間違えることは実際よくある。でも長期的には正しい結論になると思う。
福太郎:そうですか。
佐平:第一次世界大戦の時のアメリカの大統領ウッドロー・ウィルソンはその世論の正しさ、世論のもつ理性を信頼しすぎて部分的に失敗したと言われている。実際に信頼してよい程度以上に信頼しすぎると失敗する。
福太郎:と言うと?
佐平:例えば実際には世論を5だけ信頼していいとする。しかしウィルソンは例えば7信頼したとする。するとウィルソンは2だけ現実より過剰に世論を信頼している。すると2の分だけ現実を読み誤っている。だから2の分だけウィルソンは現実で失敗する。
福太郎:なるほど。
佐平:ウィルソンは信頼しすぎて失敗したが、長期的に見れば世論は大雑把に言って確かに正しい方向に向かう傾向にある。
福太郎:ええ。だからこそ「世界史は世界の法廷である」と言うんですね。
佐平:ああ。「後世の人たちからの褒め言葉や非難の言葉は恐ろしい。」と佐藤一斎が言う通りだ。それが人類の理性が降す最終的な道義的結論だからだ。
福太郎:なるほど。西洋の人間理性への信仰みたいな考えってこういうことなんですね。
佐平:ああ。おまえ進化論の「適者生存」って知ってるか?
福太郎:知ってますよ。環境に適応した生物が生き残り、適応できない生物が滅んでいくという意味ですよね。ダーウィニズムです。
佐平:そうだな。『危機の二十年』からの引用だ。
適者生存の論理は、生存者が実際生存するのに最も適していることを証明している。
福太郎:え~と・・。
佐平:我々人間は生存してるな。
福太郎:はい。
佐平:ナイル川にいるワニも生存してるな。
福太郎:ええ。
佐平:日本にいる熊は生存してるな。
福太郎:はい。
佐平:「生存している」ということは「生存に適している」ということを証明している。
福太郎:なるほど。確かに。
佐平:恐竜は存在しているか?
福太郎:存在していません。
佐平:それは恐竜が生存に適していなかったことを証明している。
福太郎:なるほど。
佐平:それと同じように歴史において正義として残った人は、実際に正義の人だったと証明されたことになる。
福太郎:ああ。なるほど。面白いですね。孔明は正義の人として歴史に残ったから実際正義の人なんですね。そして董卓は悪として歴史に残ったから実際悪の人。
佐平:そうだ。
福太郎:曹操はどうですか?正義か悪か結論が出てない気がします。
佐平:そうだな。「曹操はどっちつかずの人」と言うのが世論がそして歴史が出した結論かもしれない。
福太郎:実際英雄的側面と暴君的側面の両方を持っていたんですね。
佐平:ああ。そうかもしれない。でもそれは小説で曹操が悪役として描かれているからみんなそれに影響されてるだけかもしれないな。本当は英雄だったという気がする。
福太郎:なるほど。
佐平:でもどっちつかずの人として歴史に残った人は非常に多いと思う。『三国志』だと袁紹とかだな。
福太郎:ええ。そういう人は多いです。
佐平:西洋の国は一定の期間が経つと政治外交文書を公開する。
福太郎:ええ。
佐平:それも世論の理性による判断に善悪の判断をゆだねようという考えだと思う。国際世論のもつ「集合理性」にゆだねるんだ。
福太郎:なるほど。面白いですね。でも本当に全部公開しているんでしょうか。
佐平:それは分からない。
福太郎:ええ。
佐平:そしてアメリカ人は現代におけるアメリカの影響力を非常に大事に思っている。
福太郎:ええ。
佐平:それは恐らく「その証拠が大きな説得力を持っていればそれに応じて大きな影響力を生む」とあった通り、影響力が道義的な意味を持つからだ。
福太郎:なるほど。アメリカの影響が大きいほどアメリカの道義性が正しいという証明になるんですね。世界の歴史によって証明される。
佐平:ああ。
福太郎:先輩はアメリカの正義に賛成ですか。
佐平:アメリカの正義は一部正しいと思う。しかしアメリカはアメリカの価値観以外は全て不要だと思っている。それは間違いだとオレは思う。アメリカの正義と同じくらい大切な価値観はたくさんある。それらの価値観も人類にとって偉大な遺産だ。現代はアメリカが優勢で他の価値観は忘れられているが、いずれはそれらも復活するだろう。もし国際世論に内在する理性が本当に信用できるのならだが。
福太郎:中国思想も復活すべき思想の一つですね。
佐平:ああ。
福太郎:話おもいっきり戻りますけど個人的には董卓みたいな人が一時的にでも栄えることができるというのが納得いかないんですよ。
佐平:そこが天の老獪さだ。天は仁徳ない者でも一時的には栄えることができるようにしている。しかし時代を越えた最終的な名声は仁徳や大義という物事の根本を備えた者にしか与えられないんだ。最終的な名声は五百年後の世論で決まる。ごまかしは効かない。
福太郎:董卓が一時的に栄えたのは孟子の言う梅雨の雨と同じか。
佐平:そうだな。根本がなかったから一時的にしか栄えなかった。武力で脅したり利益で釣ったり洗脳したりしても一時的な効果しかない。長期的に見ると世論の理性によって淘汰されていく。
福太郎:そうですね。
佐平:孔明が時代を超えた名声を得たのは根本を備えていたからだ。
福太郎:ええ。
佐平:根本を備えた人が長期的に見て国際世論の理性によって評価され正義の人として歴史に残る。
福太郎:分かる気がします。
佐平:よしここでまたいったん休憩にするぞ。

続きは還元主義と複雑系をご覧ください。


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■上部に掲載の画像は山下清。

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