礼儀と仁

佐平:根本と末節の例をもう一つ書いておく。真心と礼儀についてだ。
福太郎:はい。
佐平:『論語』八イツ篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
林放が礼儀の根本を尋ねた。孔子が言われた。重要だね、その質問は。礼儀は華美であるよりむしろ質素にし、 弔いは形式を万事正しく行うよりは、むしろいたみ悲しむことだ。

書下し文
林放礼の本を問う。子曰く。大なるかな問うこと。礼はその奢らんよりはむしろ倹せよ。 喪はその易めんよりはむしろ悼め。
佐平:真心が根本であって礼儀は末節だと孔子は言っているんだ。
福太郎:礼儀があっても真心がないと虚礼になりますね。
佐平:そうだ。同じく八イツ篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
孔子が言われた。人として仁徳がなければ、礼儀を備えていても何になるだろうか。 人として仁徳がなければ、音楽があっても何になるだろうか。

書き下し文
子曰く、人にして仁ならずんば礼を如何。人にして仁ならずんば楽を如何。
佐平:儒教は礼儀と音楽で人々を導くという思想がある。
福太郎:そうですか。
佐平:音楽で人々が和合して、礼儀でけじめをつけるというんだ。
福太郎:なるほど。確かに音楽で人の心はひとつになります。礼儀で適切な距離を保てますね。
佐平:音楽が「和」=「調和」で礼儀が「敬」=「尊敬」なんだ。音楽と礼儀をまとめて礼楽というんだ。『礼記』楽記篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
音楽は人々を和合させ、礼儀は人々の間にけじめをつける。 和合すれば互いに親しみ合い、けじめをつければ互いに尊敬しあう。 音楽が勝てば人々は流れてしまい、礼儀が勝ては人々は離れてしまう。

書下し文
楽は同じくすることを為し、礼は異にすることを為す。同じければ則ち相親しみ、異なれば相敬す。楽勝てば則ち流れ、礼勝てば則ち離る。
福太郎:なるほど。この文章から考えると礼儀と音楽は補いあうものということですね。
佐平:そうだな。音楽と礼儀という二つの理念のバランスが大事だと言っている。和合が行き過ぎると和合に流れて無秩序になり、けじめが行き過ぎると人の心が離反する。
福太郎:ええ。
佐平:だが音楽も礼儀もその根本には仁徳という人間性が必要というわけだ。
福太郎:人間性が根本で礼儀と音楽は末節なのですね。
佐平:そうだな。同じく『論語』八イツ篇から引用するぞ。
現代語訳
子夏が質問した。「詩経に『笑顔はかわいく、目元は美しい。紅白粉でさらにきれいに。』とありますがどういうの意味でしょうか。」 孔子が言われた。「絵を描くときに最初色彩をつけてその後白粉で仕上げるようなものだ。」 子夏が言った。「礼は後ということでしょうか。」 孔子が言われた。「子夏は私を啓発してくれるな。それでこそいっしょに詩を語ることができるね。」

書下し文
子夏問ひて曰く。巧笑倩たり美目ヘンたり。 素をもって絢となす。とは何の謂ぞやと。 子曰く、絵事は素を後にすと。 曰く、礼は後なるかと。子曰く、予を起こす者なり。 商や始めて共に詩を言うべきのみと。
福太郎:分かりにくい。
佐平:そうだな。
福太郎:「詩経」って何ですか?
佐平:中国上古の詩集だ。
福太郎:そうですか。
佐平:『笑顔はかわいく、目元は美しい。紅白粉でさらにきれいに。』を 解説すると、美人はもともと顔が美しい。そして化粧をしてさらにきれいになる。
福太郎:ええ。
佐平:だから「美人であること」が根本で、「化粧」が末節なんだ。
福太郎:なるほど。やっと分かりました。次の「絵を描くときに最初色彩をつけてその後白粉で仕上げるようなものだ。」って何ですか?
佐平:これはよく分からない。中国古代の絵のかきかただからな。
福太郎:そうですか。
佐平:最初に色彩をつけて、その後仕上げに白粉で完成させるという描き方をしていたんだろうな。
福太郎:そうでしょうね。色彩が美人と同じく根本で、白粉が化粧と同じく末節ですか。
佐平:よく分からんけども、そうらしい。
福太郎:「礼は後ということでしょうか。」とは?
佐平:「美人であること」が根本であり先で、「化粧」が末節であり後だったように、真心が先で礼儀は後という意味だ。
福太郎:真心が根本で礼儀は末節なんですね。
佐平:そうだ。子夏が打てば響くように返答したのを孔子は褒めたんだ。
福太郎:ええ。
佐平:これに関してさらに解説する。綾小路きみまろという漫談家がいるが知ってるか。
福太郎:知ってます。
佐平:日本の中高年のスターだ。
福太郎:はい。
佐平:漫談の会場には中高年のおばちゃんたちがたくさん来る。彼は漫談を始めるに当たりおばちゃんたちを歓迎する。その口上が面白い。
福太郎:なんて言うんですか?
佐平:「よくぞいらっしゃいました。そんな顔に化粧して。」
福太郎:・・・(笑)。
佐平:日本のおばちゃんたち大爆笑だ。
福太郎:・・ええ(失笑)。
佐平:彼はおばちゃんたちは美人という根本が欠けているのに化粧という末節が充実しているのを冗談にしているんだ。
福太郎:・・悪ふざけが過ぎますよ。
佐平:すみません。冗談です。
福太郎:はい。
佐平:いずれにしても真心が根本で礼儀は末節というのが儒教の正統思想だ。
福太郎:はい。
佐平:それに反する思想もある。荀子だ。『荀子』性悪篇から引用するぞ。
現代語訳
人間の本性は悪であり、善は後天的な教育から生まれる。

書下し文
人の性は悪にしてその善なる者は偽なり。
福太郎:これが性悪説ですか。
佐平:そうだ。さらに引用するぞ。
現代語訳
人間の本性は悪である。教え導く教師と守るべき規範によってはじめて矯正され、礼儀によってはじめて善になるのである。

書下し文
人の性は悪にして必ず師法を待ちて然る後に正しく、礼儀を得て然る後に治まる。
福太郎:確かに性悪説ですね。
佐平:儒教の正統思想は「仁徳」→「礼儀」の順番だ。仁徳が根本で礼儀が末節なんだ。
福太郎:ええ。
佐平:でも荀子は「礼儀」→「仁徳」とする。礼儀が根本。仁徳は末節。荀子は礼中心主義だ。
福太郎:なるほど。荀子にも一理ありますがでもやはり異端ですね。
佐平:そうだ。『近思録』に次の言葉があるぞ。
現代語訳
荀子は極端に偏っている。人の本性は悪だと述べたその一言で根本が失われているのが分かる。

書下し文
荀子は極めて偏駁なり。ただ一句の性悪、大本すでに失えり。
佐平:荀子には一理ある。でも異端なのだ。根本が失われている。
福太郎:先輩は『荀子』は読まないんですか?
佐平:読む。
福太郎:異端なのに?
佐平:そうだ。
福太郎:なぜ?
佐平:荀子は正しいことを言う時と間違えたことを言う時があるんだ。
福太郎:はい。
佐平:「ここは正しいな。ここは間違いだな。」と取捨選択して読めば大丈夫だ。
福太郎:なるほど。
佐平:偉い人が言っているからと書いてあることを信じてしまう人は読まないほうがいい。
福太郎:分かりました。
佐平:オレは中国思想をする前に西洋思想を何年かしてたから古典であっても多少は批判的に読む癖がついている。「批判する前に理解しろ」と言うのも一理あるけどな。
福太郎:ええ。
佐平:これから『荀子』からは多数引用する。今回の性悪篇以外は基本的に正しいことを言っている箇所のみを引用するつもりだ。
福太郎:分かりました。
佐平:『近思録』では荀子は「根本が失われている」と書いてある通り、荀子は根本と末節を正しく理解していないところがある。
福太郎:ええ。
佐平:でも部分的には正しく理解している場合もある。
福太郎:そうなんですか。
佐平:『荀子』強国篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
君主たる者が、礼儀を重視して賢者を尊重すれば王者になれる。 法律を重んじて民を愛すれば覇者になれる。 利益を好んでいつわりが多いのであれば国は危うい。 権謀術数をめぐらし陰険であれば国が亡ぶ。

書下し文
人君たる者、礼を貴び賢を尊べばすなわち王たり。 法を重んじて民を愛すればすなわち覇たり。 利を好みて詐多ければすなわち危うく、 権謀傾覆幽険なればすなわち亡ぶ。
福太郎:王者って何ですか。
佐平:道徳で人々を心服させる人だ。
福太郎:覇者って何ですか?
佐平:道徳も持っているが王者ほどではないので人々を完全には心服させられない。そこである程度武力なども背景にしながら人々を正しい方に導く人だ。
福太郎:なるほど。王者のほうが偉いんですね。
佐平:単純化するとそうなる。この引用では四つのケースが書いてあるけどこれは根本と末節について書いてあるんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:「礼を重視し賢者を尊重」→「法律を重んじて民を愛す」→「利益を好んでいつわりが多い」→「権謀をめぐらし陰険」となっていて、左のほうが物事の根本を重視しているんだ。そして右のほうが末節を重視している。
福太郎:確かにそうですね。
佐平:礼儀→法律→利益→権謀という根本と末節の階梯がある。
福太郎:ええ。
佐平:根本をおさえる人のほうが偉大だし、物事はうまくいくと荀子は指摘している。
福太郎:そうですね。
佐平:だから荀子はある意味根本と末節を理解しているんだ。
福太郎:分かりました。
佐平:前回の解説も総合すると儒教の正統思想では次の根本と末節の階梯があると思う。
天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀
福太郎:なるほど。なんとなく分かります。
佐平:この階梯は今後も参照していくぞ。
福太郎:はい。
佐平:では休憩だ。

続きは王道と覇道をご覧ください。


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■上部に掲載の画像は山下清。

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