末節→根本??



佐平:では続けるぞ。
福太郎:よろしくお願いします。
佐平:根本と末節は「根本→末節」の流れで決して「末節→根本」ではないと言ったな。
福太郎:ええ。末節は大切ですが、末節が根本より重視されると「末節が勝つ」という状況になり、天下に害が及ぶというのが儒教の考えでした。
佐平:そうだな。しかし今回は「末節→根本」の流れについて考えたい。
福太郎:それは邪道じゃないですか?
佐平:その可能性もある。儒教では本来あってはならない考え方かもしれない。邪道すれすれだ。
福太郎:そうでしょうね。
佐平:「末が勝つという邪道」と「末の有効活用」の境界線を探りたいのだ。
福太郎:一応聞いてみましょう。
佐平:孔子がこれを聞いたら異端として批判するかもしれない。
福太郎:はい。
佐平:例えば心臓マッサージだ。根本と末節の流れを書くぞ。「心臓が正常である」→「心臓が動く」→「血液が循環する」→「酸素栄養が全身にいきわたる」となる。
福太郎:はい。
佐平:「心臓が正常である」「心臓が動く」「血液が循環する」「酸素栄養が全身にいきわたる」はバラバラに存在している事象ではない。そこには根本と末節の連鎖がある。
福太郎:そうですね。



佐平:ここで何らかの理由で心臓が止まったとする。
福太郎:はい。
佐平:どうしたらいい?
福太郎:心臓マッサージという手段もありますね。
佐平:そうだな。心臓を外部の物理的な力で動かし心臓を正常な状態に戻す。
福太郎:はい。
佐平:「心臓が正常である」→「心臓が動く」が本来の根本と末節の流れだな。
福太郎:ええ。心臓が正常だから心臓が動きます。



佐平:しかし心臓マッサージは「心臓を動かす」→「心臓を正常にする」という「末節→根本」の流れになる。
福太郎:確かに。心臓マッサージは有益ですが、やや強引な方法なんですね。



佐平:人工呼吸も同じだ。肺に物理的に空気を入れることで肺を正常に戻す。
福太郎:なるほど。
佐平:他にも例を挙げよう。
福太郎:ええ。
佐平:バイクの「押しがけ」という方法がある。これも似ている。
福太郎:なんですか?「押しがけ」って?
佐平:エンジンが故障して動かなくなったとする。その場合、物理的に人の力でバイクを押してタイヤを動かす。タイヤを動かすことでエンジンを正常に戻すという本来と逆の方法。これを「押しがけ」というんだ。
福太郎:へえ。
佐平:本来の根本と末節の連鎖は「バイクのエンジンが正常」→「エンジンが動く」→「タイヤが動く」→「バイクが動く」→「目的地に到着」となる。



福太郎:ええ。
佐平:「バイクのエンジンが動く」→「タイヤが動く」という本来の「根本→末節」の流れに対し「タイヤを動かす」→「エンジンを動かす」という「末節→根本」の逆のパターンだ。






福太郎:なるほど。
佐平:心臓マッサージと押しがけの両方に共通しているのは、心臓が止まったりエンジンが止まったり危機的な状況に陥った時に一時的に「末節→根本」の流れによって危機を脱出するという点だ。
福太郎:分かります。
佐平:危機的状況で本来の道理からそれて事態を収拾するという考えは実は儒教にもあるんだ。「権」「権道」という言葉で示される。
福太郎:儒教にもあるということは「末節→根本」は必ずしも異端とは限らないんですか?
佐平:それが微妙なんだ。『孟子』離婁章句上に次の文章がある。引用するぞ。 孟子と淳于コンという人の会話だ。
淳于コン「男女が物のやり取りをするのに直接手渡しをしないのは礼儀ですか?」
孟子  「礼儀です。」
淳于コン「兄嫁が水に溺れていれば手をとって助けますか?」
孟子  「兄嫁が溺れているのに救わないような人は動物と一緒です。物のやり取りをするのに直接手渡しをしないのは礼儀ですが、兄嫁が水に溺れていれば手をとって助けるのは臨機応変のはからいである権道です。」
淳于コン「現在天下は溺れています。あなたがその権道をもって原則にこだわらず臨機応変の処置で天下を助けないのはなぜですか?」
孟子  「天下がおぼれれば道で助けます。兄嫁が溺れれば手でもって助けます。天下を助けるのに道ならぬ方法で助けよというのですか。」
佐平:「男女が物のやり取りをするのに直接手渡しをしない」というのはもちろん手渡しすると手と手が触れるから。それを避けるため。これが礼儀であり原則である。
福太郎:けっこう厳しいですね。
佐平:昔はな。しかし兄嫁が水でおぼれていればそんなこと言ってられないので手で兄嫁の手を引っ張って助ける。
福太郎:そりゃ当然です。
佐平:危機的状況では原則から外れても問題を解決する必要がある。これを「権」「権道」と述べているんだ。
福太郎:なるほど。すると儒教でもそのような臨機応変の「権道」を正しいとしているんですか?
佐平:それが微妙なんだ。臨機応変と邪道とのスレスレのような内容だ。そもそも「権謀術数」の「権」も同じ意味だからな。「権」は邪道になりかねないんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:淳于コンはなかなか鋭い。当時の中国は統一されておらず、天下が溺れている状況であった。しかし孟子は真面目な人で正道を守り正道からはずれてまで天下を救おうとはしない。孟子は偉大な人なので淳于コンは孟子の言う「権」によって天下を救えばいいではないかと言う。
福太郎:なるほど。確かに孟子ほどの偉大な人が当時臨機応変の処置をすれば天下を救えたかもしれません。
佐平:淳于コンの言い分にも一理ある。孟子も返答に困っているようにすら見える。
福太郎:ええ。
佐平:『三国志』からも例をとるぞ。
福太郎:はい。
佐平:劉備が益州を攻略する時の話はすでにしたけどもう一度簡単に述べとく。
福太郎:ええ。
佐平:劉備は荊州と益州の両方を支配した。荊州はもともと荊州を治めていた劉表という人の息子を担いでいたので荊州を平定する大義名分があった。
福太郎:そうでした。だから劉備の荊州制圧は電光石火の素早さだったんですね。
佐平:ああ。でも益州制圧は時間がかかっている。
福太郎:大義名分がなかったからでした。
佐平:そうだ。同時代の人々への信義と後世の君子たちの批評を畏れてだろう。
福太郎:実際『近思録』では荊州制圧は評価され、蜀攻略は批判されていると言ってましたね。
佐平:ああ。よく覚えているな。しかし当時は乱世であり、我々が生きている治世の時代とは違う。益州制圧も「権道」として正当化できる可能性がある。
福太郎:邪道すれすれですが、確かにそうですね。
佐平:『三国志』『蜀書』ホウ統引注の『九州春秋』から引用するぞ。劉備の参謀ホウ統が大義名分がないため益州攻略に動こうとしない劉備に対して言った言葉だ。
ホウ統が言った。今は臨機応変の手段をとらなければいけない権変の時です。正義だけを固く守っても物事を定められません。弱い者を併合し暗愚な者を攻めとるのは五覇のわざです。道義に逆らって武力で攻略し道義に従って道徳で治めれば十分であり、敵対する相手には道義で報い、事が定まった後大国に封じてあげれば信義に背くことにならないでしょう。ここで益州を取らなければ他人に取られるだけです。
佐平:ホウ統は「権変の時」と言っている。「権道」の「権」と同じだ。
福太郎:乱世だから臨機応変にやらないといけないという意味ですね。
佐平:正義だけを守ってもうまくいかないと少し衝撃的なことを言っている。
福太郎:乱世ですからね。我々の生きている治世とは違います。
佐平:当時益州を守っていた劉璋という人は非常に暗愚で頼りない人だった。ホウ統は「弱い者を併合し暗愚な者を攻めとるのは五覇のわざです。」と言っている。
福太郎:五覇とは?
佐平:春秋時代の五人の覇者だ。天下に一時的な平和をもたらした人たち。ホウ統は劉備に五覇に倣えと言っている。
福太郎:劉璋を攻め滅ぼしてその後領地を与えてやれば信義に背かないと言ってますね。
佐平:ああ。「ここで益州を取らなければ他人に取られるだけです。」とも言っている。益州を攻略しなければライバルの曹操に取られてしまうという意味だ。
福太郎:「権」という言葉が出てきてますね。『孟子』の「権」と一緒だ。
佐平:そうだ。心臓マッサージも押しがけも緊急時に一時的に「根本→末節」という本来の原則から外れて、「末節→根本」の手段をとる。劉備の益州攻略も乱世という緊急時に一時的に本来の道義からはずれた戦略をとることをさしている。
福太郎:なるほど。心臓マッサージはある意味「権道」なんですね。
佐平:そうだ。本来は「根本→末節」が原則なんだ。孟子は本来の原則に従ったんだ。「権道」を拒否した。
福太郎:ええ。
佐平:似たような例だが景気対策としての公共事業を取りあげるぞ。ここでの「根本→末節」の連鎖は以下の通りだ。「需要がある」→「生産供給が生じる」→「商品サービスが売れる」→「金が循環する」。



福太郎:経済学ですか。
佐平:基本中の基本だけだがな。
福太郎:ええ。
佐平:「需要がある」→「生産供給が生じる」→「商品サービスが売れる」という部分が実体経済が正常であるということだ。
福太郎:そうですか。
佐平:だから全体としては「実体経済が正常」→「金の循環」と言ってもいい。
福太郎:はい。



佐平:「実体経済が正常」が根本であり「金の循環」が末節だ。
福太郎:そうですね。実体経済が正常であれば自然と金が循環します。
佐平:ああ。しかし経済恐慌になった場合だ。この場合「実体経済」が正常ではなくなる。それで金が循環しなくなる。
福太郎:はい。
佐平:そこで公共事業を行う。これは「金の循環」を強制的に行うことで「実体経済の正常化」を行う手続きだ。
福太郎:通常の逆ですね。



佐平:そうだ。「金の循環」→「実体経済の正常化」で「末節→根本」という流れだ。
福太郎:これも「権道」かあ。
佐平:「実体経済が正常」→「金の循環」という「根本→末節」の流れはアダムスミス的な考え方なんだ。
福太郎:そうなんですか。
佐平:「需要がある」→「生産供給が生じる」→「商品サービスが売れる」→「金が循環する」というのは「根本→末節」の流れ。
福太郎:ええ。
佐平:すでに述べたように「根本→末節」の流れには「自然な力」が働く。儒教や老子はその自然な力を重視する。経済には自然な力が働き、あまり人の手により触らない方がうまくいくという考え方だ。
福太郎:何か聞いたことあります。
佐平:それに対し「金の循環」→「実体経済の正常化」という考え方はケインズ的な考えだ。「末節→根本」だ。突拍子もない考えだ。
福太郎:現在では景気回復のために公共事業やるというのは常識ですが。
佐平:そうだな。でも「根本→末節」の本来の流れに反する考え方のため最初に提唱されたときは恐らく突拍子もない考え方だったろう。
福太郎:そうかもしれませんね。
佐平:あるブログで誰かが経済学に関し次のように述べていた。
経済学ではいままで内容のある学説は二つしかない。ひとつは基本的には経済に手を加えないほうが良いという考え。もうひとつはたまには手を加えたほうがいいという考え。この二つだ。
佐平:非常に乱暴な説だが、一理ある。アダムスミスとケインズの学説が最も優れているという意味だ。
福太郎:なるほど。
佐平:他にも例を挙げるぞ。コメディをテレビで見る場合だ。「根本→末節」の流れはこうなる。「面白い」→「視聴者が笑う」→「視聴率が上がる」→「収入があがる」。
福太郎:ええ。
佐平:我々は面白いから笑う。「面白い」が根本で「笑う」が末節だ。
福太郎:そうですね。
佐平:でもドリフとかコメディではあらかじめ笑うべきところに笑い声が録音されている場合がある。
福太郎:ありますね。
佐平:我々視聴者は笑い声が入っているとより面白いと思う。これは「笑う」→「面白い」という流れであり「末節→根本」の流れになる。
福太郎:確かに。
佐平:これもある意味邪道である。面白さを追求する理想主義的な芸人は根本を重視するので、笑い声の録音には冷淡だろう。
福太郎:そういう人もいます。そういう人はコメディの「面白さ」を何より重視します。根本を重視する理想主義者ですね。
佐平:ああ。しかし視聴率を重視する現実主義者のプロデューサーは末節を重視し笑い声の録音に積極的かもしれない。そっちの方が「視聴率」が上がるから。
福太郎:プロデューサーは現実重視ですね。「視聴率」を重視します。「視聴率」を重視するのは「収入が上がる」からです。末節重視の現実主義者です。恐らくどっちもそれぞれ正しい。
佐平:ああ。他にも例を挙げるぞ。
福太郎:はい。
佐平:我々は悲しいから泣く。
福太郎:そうですね。
佐平:「悲しい」が根本で「泣く」が末節だ。
福太郎:はい。
佐平:でも心理学では「泣くから悲しい」と言われることがある。ジェームズ=ランゲ説という。
福太郎:そうですか。
佐平:あくまで本来は「悲しい」が根本で「泣く」が末節なのだが、泣くことで一層悲しくなるという「末節→根本」の流れもある程度ある。
福太郎:泣くとすっきりしますけど。
佐平:そうだな。でも泣くと悲しくなるというのも一理あるだろう。
福太郎:ええ。
佐平:さらに例を挙げる。「地位が人を作る」という言葉がある。高い地位につくと人格が修養されるという意味。
福太郎:そうですね。
佐平:本来であれば「立派な人格を持っているから高い地位につく」という流れになる必要がある。「立派な人格」→「高い地位」。「立派な人格」が根本で「高い地位」が末節だ。
福太郎:ええ。「地位が人を作る」は逆ですね。
佐平:そうだ。「地位が人を作る」は「高い地位」→「立派な人格」。「末節→根本」の流れだ。もちろん「地位が人を作る」は良いことで重要なのだが、高い地位につけば人格も良くなるのを当てにして変な人を高い地位につけるのは間違いだ。
福太郎:ええ。ある程度優れた人を今後の成長も期待して高い地位につけることはありますけどね。
佐平:そうだな。ただ本来はあくまで「立派な人格」→「高い地位」という「根本→末節」の流れが正しい。
福太郎:それは分かります。
佐平:もう一つ例を挙げる。スポーツの試合などで緊張する時がある。
福太郎:ええ。
佐平:「自信がある」→「本番でも平然としていられる」もしくは「自信がない」→「本番で緊張する」となる。
福太郎:分かります。これも「根本→末節」の流れですね。
佐平:ああ。では「自信がない」→「本番で緊張する」の場合に「末節→根本」は試せないか。
福太郎:具体的にはどうするんですか。
佐平:緊張しているときに平然を装ったり緊張を抑える。すると「自信は生じる」となるか。
福太郎:なんかダメっぽいですね。
佐平:ああ。逆に緊張を抑えれば抑えるほど緊張は高まっていく。
福太郎:でしょうね。
佐平:緊張を抑えるより緊張するに任せたほうがいい。そっちの方がまだましである。
福太郎:ええ。
佐平:逆に程よい緊張になって調子が良くなる可能性もゼロではない。
福太郎:ええ。
佐平:「末節→根本」の例を挙げてきた。コメディの笑いのようなそれなりに効果のあるもの、心臓マッサージや押しがけのように緊急時にのみ効果のあるもの、緊張の抑制のように悪影響のあるものなどがある。
福太郎:はい。
佐平:効果があるかどうかはケースバイケースと言うべきだ。全体に共通した基準などは発見できなかった。
福太郎:なるほど。
佐平:ただ最後に強調しておきたいのは「根本→末節」が本来のあり方であるという点だ。
福太郎:「末節→根本」は本来の流れではないんですね。
佐平:ああ。では休憩するぞ。

続きは君子器ならずをご覧ください。


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