末節が勝つ

佐平:では続けるぞ。以前の解説で「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」の根本と末節の階梯があると言ったな。
福太郎:ええ。
佐平:左のものほど物事の根本になりやすく、右のものほど物事の末節になりやすい。
福太郎:分かります。
佐平:これを念頭に置いて次の『近思録』克治の文章を読むぞ。
福太郎:はい。
現代語訳
天下の害はすべて末節が勝つことによる。贅沢な宮殿は普通の住居からはじまり、 酒池肉林は普通の飲食からはじまる。度の過ぎた残酷さは刑罰からはじまり、 やたらと武器を用いるのは軍備からはじまる。

書下し文
天下の害は末の勝つに由らざる無し。峻宇彫牆は宮室にもとづき、 酒地肉林は飲食にもとづき、淫酷残忍は刑罰にもとづき兵を窮め武を涜すは征討にもとづく。
佐平:根本は重要だ。でも末節も必要だ。でも末節が勝ちすぎると天下に害が及ぶと言うんだ。
福太郎:はい。
佐平:オレたちが生きていれば物質的生活がある。
福太郎:食べたり飲んだりですか?
佐平:そうだ。オレたちは人間だ。天使じゃない。地に繋がれているんだ。だから物質的生活は必要だ。
福太郎:もちろんです。
佐平:住む家も必要だし、食べ物も必要だ。
福太郎:それらが物質的生活ですね。
佐平:ああ。国が存在する以上刑罰も必要だし、軍備も必要だ。
福太郎:はい。
佐平:でもそれらは儒教的に言うと末節なんだ。
福太郎:安心して住める住居や健康でおいしい食べ物は人間の根本です。
佐平:オレもそう思うが儒教的には末節なんだ。とりあえず儒教の考えに沿って解説していくぞ。
福太郎:仕方ないですね。
佐平:末節である住居が行き過ぎると贅沢な宮殿となる。秦の始皇帝が贅沢な宮殿をつくって民衆をこき使ったのはこれだ。
福太郎:なるほど。住居と言う末節が勝ち過ぎると天下に害を及ぼすんですね。
佐平:そうだ。「天下の害はすべて末節が勝つことによる。」とある通りだ。
福太郎:権力者は自分のために巨大建築をつくりたがる傾向があると言います。
佐平:そうだな。それは「末節が勝つ」ということだ。
福太郎:ええ。
佐平:末節である飲食が行き過ぎると酒池肉林になる。殷の紂王が酒池肉林で贅沢三昧をして民衆を苦しめたのはそれにあたる。
福太郎:これも「末節が勝つ」と言うことですね。
佐平:ああ。末節が行き過ぎたんだ。
福太郎:分かります。
佐平:そして刑罰や軍備も必要だが儒教では末節と考える。
福太郎:ええ。
佐平:末節である刑罰が行き過ぎると残忍酷薄となる。
福太郎:やたらと人々を残酷に罰するんですね。
佐平:これも「天下の害はすべて末節が勝つことによる。」の一例だ。
福太郎:はい。
佐平:軍備も必要だが末節だ。軍備が行き過ぎるとやたら武力を振りかざすようになる。
福太郎:これも「末節が勝つ」ですね。
佐平:そうだ。末節が勝つと天下に害が及ぶ。
福太郎:分かりました。
佐平:同じ内容だが『近思録』克治に次の記述があるぞ。
現代語訳
人の欲の行き過ぎはすべて物質的生活に基づく。 それが行き過ぎると害をなす。 昔の偉大な王が定めたその根本は天理に由来し、 後世の人が末節に流れたのは人欲による。

書下し文
およそ人欲の過ぎたる者は皆捧養にもとづく。 その流れ遠きときはすなわち害をなす。 先王のその本を定むるは天理なり。 後人の末に流るは人欲なり。
福太郎:同じ内容ですね。
佐平:ああ。物質的生活という末節が勝ちすぎると害をなす。そしてそれは人の欲の行き過ぎなんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:「天→人間本性→道→仁徳→礼儀→法律→利益→武力→権謀」の根本と末節の階梯のうち右に行くほど末節なんだが、末節が行き過ぎるのは人欲の行き過ぎなんだ。
福太郎:権力者の大宮殿や酒池肉林は確かに人の欲の行き過ぎですね。
佐平:そうだ。そしてこの階梯のうち左に行くほど根本なんだが、根本は天理に近いと言うんだ。
福太郎:天理ですか。
佐平:物事の根本は最終的に天につながる。以前に解説したな。
福太郎:はい。
佐平:この階梯のうち根本に行くほど天に近くなる。
福太郎:そうでした。
佐平:自分自身を観察してもそれは言える。
福太郎:何のことですか?
佐平:おまえに良心はあるな。
福太郎:あります。
佐平:おまえに欲はあるな。
福太郎:あります。
佐平:良心は物事の根本で、欲が末節なんだ。おまえが欲に走って行動するとそれは「人欲に流れる」となり「末節が勝つ」ということなんだ。
福太郎:ええ。
佐平:欲よりも良心を優先させればそれは「根本が勝つ」ということだ。
福太郎:ええ。
佐平:そして儒教的には良心は実は天理の一部なんだ。
福太郎:天理ですか。おおげさですね。
佐平:普通の人の良心は天理がちょっと顔をのぞかせてる感じなんだ。孟子はそれを「四端の心」と呼ぶ。
福太郎:そうでした。
佐平:「四端の心」については以前解説したな。「四端の心」の「端」というのは「端っこ」という意味だ。天理が凡人である我々の心の中で端っこだけ顔をのぞかせてる感じなんだ。
福太郎:そうですか。
佐平:いずれにしてもオレたちにもある良心は本当は天につながっている。
福太郎:へえ。
佐平:聖人はその良心をさらに充実させて仁徳を体現するようになるんだ。
福太郎:聖人はもっと天に近くなるんですね。
佐平:そうだ。自分自身の内側を観察しても「昔の偉大な王がその根本を定めたのは天理により、後世の人が末節に流れたのは人欲による。」を「良心」と「欲望」によって確認できるんだ。
福太郎:はい。
佐平:「末節が勝つ」の具体例を追加するぞ。『論語』学而篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
孔子が言われた。言葉上手で立ち振る舞いが優雅な人には仁がある人は少ないものだ。

書下し文
子曰く。巧言令色鮮し仁。
佐平:「言葉上手で立ち振る舞いが優雅」というのはそれ自体悪いことではない。むしろ長所だ。
福太郎:そうですね。普通はそう思います。
佐平:しかしそれは末節だ。仁徳という根本があってこそそれは長所として働く。
福太郎:ええ。
佐平:「言葉上手で立ち振る舞いが優雅」という末節が充実している人は大概の場合根本たる仁徳が欠如していると孔子は言うんだ。
福太郎:そうですか。確かに思い当たります。そういう人いますよ。でも「言葉上手で立ち振る舞いが優雅」はやっぱり長所だと思います。悪いことではないです。
佐平:そうだ。孔子も「仁徳がある人は少ないものだ。」と「少ない」と言っているだけで仁徳ある人が全くいないとは言ってない。
福太郎:分かりました。末節が過度に充実するひとは根本が欠けてる場合があるんですね。そうなると「末節が勝つ」という状態になるんですね。
佐平:ああ。これと対照的と言われる言葉が『論語』子路篇にある。
現代語訳
孔子が言われた。剛毅で朴訥なのは仁に近い。

書下し文
子曰く。剛毅木訥仁に近し。
福太郎:確かに正反対ですね。質実剛健で寡黙な人は仁に近いという意味ですね。
佐平:ああ。さっきの「言葉上手で立ち振る舞いが優雅」と「質実剛健」は正反対だ。
福太郎:ええ。
佐平:末節があまり備わってない人は逆に根本が充実している場合があるというんだ。
福太郎:なるほど。心当たりのある人はいます。
佐平:そうだろう。さらに例を追加するぞ。『論語』為政篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
孔子が言われた。政治で導き、刑罰で統制していけば、人々は法律をすり抜けて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導き、礼儀で統制していくならば、恥を知り正しくなる。

書下し文
子曰く。これを導くに政を以てし、これを整えるに刑を以てすれば民免れて恥じること無し。これを導くに徳を以てし、これを整えるに礼を以てすれば恥有りてかつ正し。
福太郎:これは前回出てきましたね。
佐平:ああ。政治や刑罰はもちろん大事だ。しかし仁徳や礼儀よりは末節だ。
福太郎:ええ。
佐平:だから政治や刑罰で導くのは、そればかりに頼ると「末節が勝つ」の状態に近くなる。
福太郎:なるほど。刑罰も必要ですが、仁徳や礼儀で導くよりは劣るんですね。
佐平:そうだ。次も『論語』からだ。里仁篇だ。
現代語訳
孔子が言われた。利益重視で行動すると怨まれることが多い。

書下し文
利に由りて行えば怨み多し。
佐平:これも「末節が勝つ」だ。利益は末節だからだ。
福太郎:末節重視だとうまくいかないんですね。
佐平:刑罰で導くのも末節に依存する方法だが、利益によって行動するのも末節に依存する方法だ。
福太郎:根本によると自然にうまくいくけど、末節に依存しすぎると上手くいかなくなるんですね。
佐平:ああ。さらに例を追加するぞ。
福太郎:はい。
佐平:荀子について考える。荀子は礼中心主義だ。仁徳は礼儀によって生まれるとした。
福太郎:そうでしたね。
佐平:「礼儀」→「仁徳」だ。本末転倒だ。本来仁徳が根本で礼儀が末節だから、これも「末節が勝つ」ということだ。
福太郎:礼儀は末節ですか。根本だと思いますが。さっきの『論語』でも礼儀は根本として書かれてました。
佐平:確かに礼儀は物事の根本になりやすい。でも根本と末節は相対概念だと言ったろう。
福太郎:そうでしたね。
佐平:礼儀は物事の根本になりやすいが、仁徳に対しては末節なんだ。
福太郎:そうでした。
佐平:だから荀子の礼中心主義、「礼儀」→「仁徳」は「末が勝つ」の一例だ。
福太郎:なるほど。
佐平:オレは儒教が社会に与えた影響史を知らないが、荀子のような思想は礼儀でがちがちに固められた社会を作る危険性がある。
福太郎:葬式の時にわざと泣くような社会ですね。
佐平:そうだ。真心あっての礼儀なのに、真心より礼儀を優先する社会だ。
福太郎:ええ。
佐平:『近思録』総論聖賢に次の言葉がある。
現代語訳
荀子は才能が優れているので過ちも多い。揚雄は才能が足りないので、その過ちは少ない。

書下し文
荀子は才高ければ、その過ち多し。揚雄は才短ければ、その過ち少なし。
佐平:荀子は読んでいて「この人頭いいな・・!!」と感嘆してしまう箇所は非常に多いんだ。
福太郎:そうなんですね。
佐平:でも「この人間違ってるな・・」と思う箇所も結構ある。
福太郎:なるほど。
佐平:才能豊かなので影響力が大きい。影響力が大きいのに間違えている箇所もあるので害も大きいんだ。
福太郎:間違えた思想が大きい影響力を持つんですね。
佐平:そうだ。
福太郎:揚雄って誰ですか?
佐平:実はオレもよく知らないんだ。名前はしょっちゅう聞くんだが詳しく知らない。漢の時代の人だ。
福太郎:『近思録』は「揚雄は才能が足りない」と言ってますね。
佐平:ああ。才能が足りないと影響力も少ないから害も少なくなる。
福太郎:荀子の逆ですね。
佐平:そうだ。少し話がそれるがいいか。
福太郎:はい。
佐平:『中庸』に次の言葉があるぞ。
現代語訳
孔子が言われた。中庸は優れている。中庸を行う人は少ない。

書下し文
子曰く、中庸はそれ至れるかな。民よく久しくすること少なし。
現代語訳
君子は中庸を行う。

書下し文
君子は中庸す。
佐平:全ての場合ではないが多くの場合物事にちょうどいい中庸というものがある。
福太郎:そうですか。
佐平:多ければ多いほどいい、少なければ少ないほどいいという場合も時にはある。
福太郎:そうですね。
佐平:でも多くの場合ちょうどいい中庸があるんだ。
福太郎:はあ。
佐平:さらに『中庸』から引用するぞ。
現代語訳
孔子が言われた。中庸という「道」が世の中に行われないと私は知っている。知者は中庸を越えてやりすぎてしまい、愚者は中庸まで到達しない。中庸という「道」が世の中に明らかになっていないと知っている。賢者は中庸を越えてやりすぎてしまい、能力がない人は中庸まで到達しない。

書下し文
子曰く、道の行われざるや、我これを知れり。知者は之を過ぎ愚者は及ばざるなり。 道の明らかならざるや、我これを知れり。賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。
福太郎:なるほど。
佐平:荀子は知者の典型だ。中庸を越えてやりすぎてしまう。揚雄は愚者の典型だ。中庸まで及ばない。
福太郎:はい。
佐平:愚者は能力がないから何をやっても、世の中に対し少しプラスになるか少しマイナスになるかで終わってしまう。これは揚雄の場合だ。
福太郎:ええ。
佐平:知者は能力があるので、社会に対し大きいプラスをもたらすか逆に大きいマイナスをもたらす。これは荀子の場合だ。
福太郎:なるほど。中庸がとれればプラスが生じてマイナスは生じないんですね。
佐平:ああ。あと他にも「末節が勝つ」の具体例を挙げるぞ。
福太郎:はい。
佐平:ビジネスの例だ。ビジネスでは「良い技術・アイデアがある。」→「社会の役に立つ」→「商品・サービスが売れる」→「利益が上がる」という根本と末節の連鎖があるな。
福太郎:ありますね。
佐平:「社会に役立つ技術・アイデアがある」が根本なんだ。
福太郎:ええ。
佐平:「収益が上がる」が末節だ。
福太郎:はい。
佐平:金儲けは末節だが、ビジネスでは金儲けは重要だ。
福太郎:はい。
佐平:でも根本である「社会に役立つ技術・アイデアがある」を忘れ、金儲けだけに突っ走ると「末節が勝つ」という状態になり、害が生じる。
福太郎:なるほど。投機とか土地ころがしばかりして本業を忘れるのが「末節が勝つ」ですね。
佐平:ああ。他にも例を挙げる。アインシュタインの言葉だぞ。
異性に心をひかれるのは善いことだ。しかしそれが人生の目的になってはいけない。
佐平:おまえも異性には心ひかれるよな。
福太郎:はい。
佐平:それはいいんだ。でもそれは物事の末節だ。それが人生の目的になるのは「末節が勝つ」ということなんだ。
福太郎:たしかに本業以上に異性を追いかけるのを頑張るのはどうかと思います。
佐平:ああ。あと恋愛には性欲はつきものだが、真心が根本で性欲は末節だ。
福太郎:そうですね。
佐平:真心がなくて性欲だけに走るのは「末節が勝つ」ということになる。
福太郎:分かります。
佐平:他にも挙げるぞ。国にとって武力は必要だ。
福太郎:ええ。
佐平:でも国にとって根本は正義だ。武力は末節だ。
福太郎:分かります。
佐平:武力は正義のための武力だ。董卓のように武力だけに走り横暴になるのはこれも「末節が勝つ」という状況だ。
福太郎:ええ。
佐平:もう一度『近思録』の言葉を確認するぞ。
現代語訳
人の欲の行き過ぎはすべて物質的生活に基づく。 それが行き過ぎると害をなす。 昔の偉大な王がその根本を定めたのは天理により、 後世の人が末節に流れたのは人欲による。

書下し文
およそ人欲の過ぎたる者は皆捧養にもとづく。 その流れ遠きときはすなわち害をなす。 先王のその本を定むるは天理なり。 後人の末に流るは人欲なり。
佐平:企業の「金儲けのためだけの金儲け」「性欲のための性欲」「武力だけに走る横暴」は全て人欲の行き過ぎなんだ。
福太郎:そうですね。「末節に流れる」というわけですね。
佐平:ああ。そして「社会に役立つ技術アイデア」「恋愛の真心」「国の正義」は根本であり天理に近い。
福太郎:はい。
佐平:神や天を信じてなくても「社会に役立つ技術アイデア」「恋愛の真心」「国の正義」という根本を大事にして実践している人は、ある意味天理に従っているんだ。
福太郎:なるほど。
佐平:誰かの言葉で次の言葉があるぞ。
神を信じなくてもいい。しかし神に信じられる人になれ。
福太郎:「誰かの言葉」ってめっちゃアバウトですね。
佐平:誰の言葉だったか思い出せんのだ。
福太郎:はい。
佐平:Googleで検索しても出てこない。
福太郎:分かります。そういうケースあります。
佐平:「社会に役立つ技術アイデア」「恋愛の真心」「国の正義」など根本を大切にしてる人は「神に信じられる人」なのだ。
福太郎:たとえその人が神を信じてなくてもですか?
佐平:そうだ。
福太郎:分かります。
佐平:よし。では休憩にするぞ。

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