自然の道理

佐平:根本と末節の連鎖だが、すまんもう一つ例を足すぞ。
福太郎:いいですよ。
佐平:おまえ丸内郷太先輩知ってるか?「まるのうちごうた」先輩だ。
福太郎:知ってますよ。
佐平:なら井頭駒男先輩も知ってるな?「いのがしらこまお」先輩だ。
福太郎:知ってます。オレたちと同じ部活の先輩ですね。会ったことありますよ。
佐平:この前二人と会ってきた。就職活動を終えて二人とも第一志望の会社に入社したんだ。
福太郎:良かったですね。
佐平:その時就職活動の感想を聞いてきた。
福太郎:どうでした?
佐平:対照的な二人の性格だ。対照的な就職活動の感想が聞けた。
福太郎:なるほど。
佐平:まず郷太先輩からだ。
福太郎:はい。
佐平:おまえ第一志望の会社は受かりやすいと思うか。
福太郎:ん~受かりにくいですね。
佐平:ふつうはそう思うよな。でも郷太先輩が言うには第一志望が一番受かりやすいんだそうな。
福太郎:そうですか?
佐平:まず第一志望の会社は一番情熱をもって就職活動に臨めるだろう。当然非常に興味を持って深くその会社のことを研究するわけだ。
福太郎:そうですね。
佐平:第一志望でかつ深い研究をしていれば当然その会社が好きだと言う熱意も面接官に自然と伝わる。
福太郎:そうか。
佐平:そして深く企業研究しながらそのうえで「やはりこの会社に就職したい」と思ったなら、性格的な相性も非常に良く、能力的な適性も合っているはずなんだ。自分のやりたいことと会社でできる仕事が一致する可能性が高い。
福太郎:なるほど。
佐平:だから第一志望の会社が一番受かりやすいというのだ。
福太郎:当たってますね。でも本当にそうかなあ。
佐平:疑う気持ちは分かる。確かに給料や知名度で会社を選んだ場合は、確かに第一志望の会社は入りづらいだろうからな。
福太郎:そうですよね。
佐平:でも会社の中身と自分がしたいことで選ぶなら第一志望の会社がもっとも受かりやすい。
福太郎:そうか。分かります。
佐平:郷太先輩はそう言って、第一志望以外の会社は全て落ちるという荒業をやってしまった。
福太郎:なるほど。でも郷太先輩は当り前のこと言ってますよね。
佐平:例えば?
福太郎:「第一志望の会社は自然と非常に深く研究する。」というのは自然な結論で当たり前です。
佐平:そうだな。
福太郎:「深い企業研究をすれば熱意が自然と伝わる」というのも当たり前です。
佐平:その通りだ。
福太郎:「深い企業研究したうえでなお第一志望なら恐らく相性もいい」というのも当り前です。
佐平:そのような当たり前を積み重ねて「第一志望の会社が一番受かりやすい」という必ずしも当たり前ではない結論を導き出しているよな。
福太郎:儒教の考えに通じるものがあるのか・・。
佐平:そういうことだ。「第一志望」→「深い興味」→「深い企業研究」→「面接官に熱意が伝わる」→「受かる」という根本と末節の連鎖になっているのが分かるな。
福太郎:ええ。「自然な力」が働いています。



佐平:根本と末節の連鎖は物事に内在する自然の道理なんだ。これを十分に理解して物事を行えば物事は自然とうまくいく。自然の道理、自然の力を利用しているからだ。
福太郎:なるほど。郷太先輩は自然の力を借りているのか。
佐平:そうだ。ノートを見返すぞ。『大学』の言葉だ。
現代語訳
物事には根本と末節があり、事柄には最初に生じることと最後に生じることがある。何が先であり何が後であるかを知れば、道を知ったのに近い。

書下し文
物に本末あり、事に終始あり、先後する所を知れば則ち道に近し。
福太郎:郷太先輩はこの言葉を本能的に理解しているんですね。
佐平:郷太先輩の就職活動は特別なことは何もしていない。ただ深い興味をもって詳細に企業研究をして、自己分析をして、面接でその結果を熱意をもって伝えただけだ。
福太郎:そうですね。
佐平:「自然に」「無理なく」「当たり前に」「正攻法で」第一志望の会社に受かったのだ。就職活動の王道のような方法を実践していたわけだ。
福太郎:これが儒教の考えにかなり近いんですね。
佐平:そういうことだ。『近思録』の道体篇に次の言葉がある。ノートに書いておくぞ。
現代語訳
物事に内在するのが自然の道理で、自然な道理に従って物事に当たるのが正しい対処である。

書下し文
物に在るを理と為し、物に処するを義と為す。
福太郎:郷太先輩の場合、「第一志望」→「深い興味」→「深い企業研究」→「面接官に熱意が伝わる」→「受かる」という根本と末節の連鎖が「自然な道理」ですか?
佐平:そうだ。それが物事に内在する自然の道理だ。
福太郎:その自然な道理に従った郷太先輩の就職活動が「正しい対処」なんですね。
佐平:そういうことだ。正しい対処だから物事は自然にうまくいっている。
福太郎:ええ。
佐平:次は駒男先輩の就職活動だ。
福太郎:はい。
佐平:おまえも知っている通り駒男先輩は嘘をつくのがうまい。就職活動で面接官に嘘をつくと百戦錬磨の面接官にばれてしまう場合がほとんどだ。しかし駒男先輩は嘘をつきとおした。
福太郎:あの先輩ならできそうですね。
佐平:彼はほとんどの会社で内定を得ていた。この前会った時は「たくさん嘘ついてやったぜ!!」と豪語していたぞ。
福太郎:彼らしいですね。
佐平:確かに希望通りの会社に就職できたし、郷太先輩より知恵を働かせているようにも見える。
福太郎:一見そうですね。
佐平:でもこんなやりかたは一時的にはうまくいっても最終的に正しい人生になりづらいと思う。
福太郎:直感的に言ってもそうですね。
佐平:『近思録』致知篇に次の言葉があるぞ。
現代語訳
自然な道理がはっきり分かりさえすれば、それに従うのが自然に楽しくなる。 自然な道理に従って物事を行うのは、そもそも自然な道理に従うのだから、本来難しくない。 自然な道理を知らずに、いきなり勝手なことを始めるので難しいと考えてしまう。

書下し文
ただ理を照らすこと明らかならば、自然に理に順うを楽しむ。理に順いて行うはこれ理に順う事なれば、本より難からず。ただ人知らず、旋として安排著するが為に、則ち難しと言うなり。
福太郎:郷太先輩は「第一志望」→「深い興味」→「深い企業研究」→「面接官に熱意が伝わる」→「受かる」という自然の道理をよく理解していたんですね。
佐平:そうだ。そして企業研究を誰よりも楽しんでいた。「自然な道理がはっきり分かりさえすれば、それに従うのが自然に楽しくなる。」というのはまるで郷太先輩のことを述べているようだ。
福太郎:ええ。郷太先輩は何も難しいことはしてないですね。
佐平:たしかに彼ほど深い企業研究はなかなか他人にはできないけど、難しいこと特別なことは何もしてない。
福太郎:そうですね。
佐平:「自然な道理に従って物事を行うのは、そもそも自然な道理に従うのだから、本来難しくない。」というのも郷太先輩の就職活動そのものだ。
福太郎:はい。それに対して駒男先輩の就職活動は嘘をつきとおすという難しいことをしてますね。
佐平:そうだ。駒男先輩はある意味才能がある。嘘をつきとおすのはある意味非常に難しい。それをやってのけたのだ。
福太郎:ええ。自然な道理を無視するから難しいことをする羽目になるんですね。
佐平:「自然な道理を知らずに、いきなり勝手なことを始めるので難しいと考えてしまう。」というのは駒男先輩の就職活動そのものだ。「嘘をつく」というのは「勝手なことを始める」に相当する。
福太郎:『近思録』出処偏に次の言葉があるぞ。
現代語訳
賢者は自然な道理に従い、心安らかに行動する。

書下し文
賢者は理に順いて安らかに行う。
福太郎:わかった。郷太先輩は自然な道理に従ったので心安らかに就職活動をしたんですね。
佐平:そうだ。彼は就職活動をとても楽しんでいた。
福太郎:それに対して駒男先輩の就職活動は自然な道理を無視して嘘をつくのでいつもハラハラしてないといけない。
佐平:そういうことだ。もっとも彼はそのスリルが好きだったようだが。
福太郎:それは重症ですね。嘘つき体質が体に染み込んでます(笑)。
佐平:いままでたくさんの根本と末節の連鎖の例を挙げてきたが、それらすべてに今回の「自然の道理」という法則が当てはまる。
福太郎:「自然の道理に従う正しい対処を行うと難しくないし自然と楽しくなる」という法則ですね。
佐平:そうだ。「スズメバチの巣がある」→「家の近くにスズメバチがいる」というのも非常に単純な例だが自然の道理だ。だから巣を駆除するという根本的な対策をするのが「正しい対処」だ。
福太郎:はい。
佐平:他の例もノートを見返して、「ああ、これが自然の道理だな。これが正しい対処だな。」と確認しておけよ。
福太郎:分かりました。
佐平:儒教は「自然に」「無理なく」「当たり前に」「正攻法で」物事を行うんだ。だから儒教的な聖人が大事業を成し遂げた場合、人々はそれは自然と行われたのだと考える可能性がある。
福太郎:そうですね。
佐平:『老子』第十七章から引用するぞ。
現代語訳
功績があがり事業が完成すると、人々は「オレたちは自然と物事を完成させたんだ」と言う。

書下し文
功成り事遂げて百姓皆我自ら然りと謂う。
福太郎:どういう意味ですか?
佐平:自然の道理については覚えているな。
福太郎:はい。
佐平:聖人は自然な道理に基づいて物事を行うと言うのが老子の考えだ。
福太郎:はい。
佐平:だから聖人が大事業を行うと自然に物事が行われる。人々は自然にそうなったと考える。
福太郎:なるほど。たしかに郷太先輩の就職活動も、何も知らない人がはたから見たら、自然に第一志望に受かったとしか考えないですね。
佐平:そうだな。郷太先輩の就職活動はこの老子の言葉に通じるものがある。
福太郎:郷太先輩の英知に気づく人は少ないでしょう。
佐平:『老子』第三十五章から引用するぞ。
現代語訳
道が言葉として表されると、淡々として味気がない。 これを視ようとしても見えず、 これを聴こうとしても聞こえない。 しかし道の働きはいくら用いても尽き果てない。

書下し文
道の口より出づるとき、淡として其れ味無し。 之を視れども見るに足らず、之を聴けども聞くに足らず。 之を用いれば尽くすべからず。
佐平:儒教の教えは淡々としていて当り前ばかり述べる。
福太郎:はい。
佐平:あっさりしていて平凡であり、味気がないんだ。
福太郎:なるほど。多くの人は儒教の英知に気づかないんですね。
佐平:そうだ。儒教の英知は視ようとしても見えない。聴こうとしても聞こえないんだ。
福太郎:自然に物事を動かすからですね。
佐平:そうだ。儒教的聖人の働きは自然に世の中を動かすから、その働きはいくら用いても尽き果てない、と老子は言うんだ。
福太郎:郷太先輩の就職活動も同じですね。ただ熱意をもって企業研究をしてそれを面接で伝えただけです。淡々として味気がないというのは当てはまります。
佐平:そうだな。
福太郎:でも思ったんですけど、淡々とした文化も大事ですけど、魅力的な文化も大事ですよね。
佐平:例えば?
福太郎:千利休的な枯淡の文化も大事ですが、豊臣秀吉的な豪華な安土桃山文化も必要ですよね。
佐平:そうだな。
福太郎:モーツァルトみたいな魅力にあふれた文化も大事だと思います。
佐平:その通りだな。それぞれに意義がある。どちらをとるかは個々人が決めることだ。
福太郎:そうですね。
佐平:儒教の言葉が淡々としているのは儒教の長所だが同時に短所だとも言えなくもない。
福太郎:確かに読んでて眠くなります。
佐平:どんなに偉大な人物でも人間だ。神ではない。必ず短所はある。だから儒教にも短所はある。
福太郎:「どんなに偉大な人物でも人間だ。」と仰いますが、イエス=キリストは神だと考える人もいますよ。
佐平:仮に彼が神だとしよう。それでも彼の神性はイエスという人間の器に入っている。人間性から完全には脱しえない。だから限界はある。
福太郎:なるほど。どんな思想も短所を免れ得ないんですね。
佐平:「淡白:魅力」の割合でいうと儒教は「10:0」だ。非常に淡白だ。魅力や刺激も必要だという指摘は分からんでもない。いやよく分かる。
福太郎:「道が言葉として表されると、淡々として味気がない。」と言ったのは老子でした。老子はどうですか。
佐平:老子は「2:8」だと思う。彼の言葉は深遠で時に刺激的だ。「淡々として味気がない。」とは逆なのだ。
福太郎:老子はある意味言行不一致なんですね。
佐平:ああ。『老子』から引用するぞ。
現代語訳
大道が廃れて仁義が興った。知恵が生まれて大きな偽りが生じた。一族が不和になったので親孝行者が生まれた。国家が混乱して忠臣が現れた。

書下し文
大道廃れて仁義有り。智恵出でて大偽有り。六親和せずして孝子有り。国家混乱して忠臣有り。
福太郎:意味は?
佐平:大道にもとずく人間の自然な在り方が廃れて、仁義を称揚するという人為的な道徳が生じたという意味だ。大道が存在していると自然と人々は正しい生き方を保つが、大道が廃れると人為的に仁義を称揚して人々の生き方を正しく方向づけなくてはならなくなる。一族が和合していた時代は親孝行など当たり前だったが、一族が不和になると親孝行が称賛されるようになる。
福太郎:なるほど。意味は分かりました。
佐平:この言葉のどこが「淡々として味気がない」だろうか(笑)。
福太郎:確かに刺激的ですね。挑発的でさえある。
佐平:この言葉には一理あるし『老子』が古典だから我々は受け入れるが、隣のやつがこんな言葉をいいだしたら大問題になるような言葉だ。
福太郎:確かに。
佐平:老子は非常に偉大だ。オレも深く尊敬している。でも言行不一致なところが時々ある。
福太郎:ええ。
佐平:オレはピアノ協奏曲をよく聞く。
福太郎:ええ。
佐平:モーツァルトは「淡白:魅力」の割合は「5:5」じゃないかな。非常に魅力的だけど素直な音楽でもある。
福太郎:なるほど。
佐平:ベートーヴェンは「7:3」だと思う。骨太で質実剛健だ。サンサーンスは「3:7」かな。非常に華やか。
福太郎:「淡白:魅力」の割合はどれが正しいとかないんですね。
佐平:ああ。例えば野球のピッチャーの投球フォームは絶対に正しい投球フォームは無い。それぞれの投球フォームに利点と欠点がある。それと同じで絶対に正しい割合はないと思う。
福太郎:ええ。
佐平:正しさの基準があるとすれば「その割合が自分らしいかどうか」という点くらいかな。
福太郎:なるほど。佐平先輩自身は割合はどうですか?
佐平:おれは「7:3」くらいで行こうかと思っている。
福太郎:そうですか。
佐平:これから解説するのは「10:0」の儒教の思想についてだ。「10:0」の儒教には儒教にしかない長所と利点を持つ。それを解説していく。だからと言って他の思想がダメだとか言うつもりはない。儒教に欠点が無いわけでもない。野球のバッティングフォームで言えば儒教という一本足打法がいかに有利かを解説するようなものだ。だからと言って他のバッティングフォームが悪いとはならないだろう。それと同じだ。
福太郎:はい。
佐平:それじゃ儒教の話に戻るぞ。『中庸』に『詩経』の引用が載っている。
現代語訳
天の働きは声もなく匂いもない。

書下し文
上天の載は声もなく臭いも無し。
福太郎:なんのこっちゃ。
佐平:道は自然だからその働きは声もなく匂いもない、視ようとしても見えず、聴こうとしても聞こえないという意味だ。
福太郎:誰も気づかないんですね。
佐平:『中庸』第十九章に次の言葉があるぞ。
現代語訳
君子の道は人目をひかないのに、 日に日にその真価が表れてくるが、 普通の人間の道ははっきりと人目をひきながら、 日に日に消え失せてしまう。

書下し文
君子の道は闇然として而も日々章かに、小人の道は的然として而も日々に亡ぶ。
福太郎:どういう意味ですか?
佐平:君子の行いは一見平凡に見える。でもその効果は徐々に表れてくると言うんだ。そして普通の人の仕事は多くの人の注目を集めるが、一時的な効果しかなく、日に日にその効果は消え失せていく。
福太郎:例が欲しいですね。
佐平:郷太先輩の例が当てはまる。郷太先輩の就職活動は一見すると人目をひかないけれど、会社と自分の相性をきちんと把握して入社しているだろう。
福太郎:深い企業研究してるから当然ですね。
佐平:だから単に面接に通るという短期的な利点だけではなく、郷太先輩自身の将来にとっても会社の将来にとってもプラスになるんだ。長期的にも利点がある。
福太郎:「日に日にその真価が表れてくる」というわけですか。
佐平:そうだ。君子の道はボディーブローのように徐々に効いてくる。
福太郎:長期的に見てもプラスになるんですね。
佐平:逆に駒男先輩の就職活動ははっきりと人目をひく。巧妙に嘘をつきとおすのだからある意味凄い。
福太郎:たしかに。
佐平:でも嘘をついて就職しているから長期的に見て本人のためにならないし、当然会社のためにもならない。
福太郎:嘘をつくような就職活動は一時的な効果しかないんですね。
佐平:そうだ。「普通の人間の道ははっきりと人目をひきながら、日に日に消え失せてしまう。」というのは駒男先輩の就職活動をさしている。
福太郎:ええ。
佐平:『言志四録』のうち『言志晩録』の249に次の言葉があるぞ。『中庸』と同じことを述べている。
現代語訳
小さな知恵は目の前の問題を見事に解決するが、大きな知恵は後から効果が現れてくる。

書下し文
小智は一事に輝き、大智は後図に明らかなり。
福太郎:解説をお願いします。
佐平:小さな知恵は駒男先輩だ。たしかに目の前の会社に受かるという問題は、彼の方法で確かに見事に解決する。
福太郎:そうですね。
佐平:でもそれは一時的な効果しかない。
福太郎:はい。
佐平:それに対し郷太先輩は大きな知恵だ。長期的に見ても会社や本人にとってプラスになる。
福太郎:ええ。目の前の問題も解決しますが、その後のいい意味での余波が生じるんですね。
佐平:ああ、大きな知恵は「なんか会社うまくいってるな。なぜだっけ?」と社員が過去を見返した時に「ああ、あれが原因か!」と思うような仕事をする。
福太郎:なるほど。後から効いてくるんですね。
佐平:そうだ。『言志四録』の『言志録』百八十に次の言葉があるぞ。
現代語訳
部分的な道理をみて全体の道理を見ない。一時の利害を考慮して永久の利害を察しない。 政治をする場合にこのようであれば国は危険である。

書下し文
一物の是非を見て大体の是非を問わず。一事の利害に拘りて久遠の利害を察せず。 政を為すにかくの如きは国危うし。
佐平:駒男先輩の就職活動は一時の利害しか考慮していない。しかし郷太先輩の就職活動は長期的な利害にもかなっている。
福太郎:ええ。
佐平:営業でも同じだ。正しい営業は商品の長所を伝え場合によっては短所も伝える。そしてお客さんのニーズとあっているかをきちんと確認する。だから長期的に見てもお客さんのためになり会社のためにもなる。
福太郎:ええ。
佐平:お客さんのニーズとあってないとあとから「この会社の商品は使えない」と口コミされたりtwitterに書かれたりする。
福太郎:はい。お客さんを騙して商品を売りつけるのは一時的な利でしかないんですね。
佐平:ああ。「小さな知恵は目の前の問題を見事に解決する」だ。
福太郎:正しい営業は長期的に見て会社にもプラスになる。
佐平:ああ。「大きな知恵は後から効果が現れてくる。」とある通りだ。
福太郎:はい。ノートを見返しますよ。確か・・。
現代語訳
水源のある川はこんこんと水が湧き出てきて昼も夜も流れて海にたどり着く。根本があるものはこのように尽きることがない。もし根本が無かったら、例えば梅雨の時期に雨が降り続くと田んぼの水路はたちまち水でいっぱいになるが、雨が降りやめばすぐに涸れてしまう。
福太郎:これだ。『孟子』でしたね。郷太先輩の就職活動は水源のある川のようですね。
佐平:よく気が付いたな。そうだ。長期的に田畑に水を供給し続けるように善いことが継続的に生じる。
福太郎:そして駒男先輩の就職活動は梅雨時の雨のようです。
佐平:その通り。よく分かったな。面接には通るけど一時的な効果しかないのだ。
福太郎:だんだん知識がつながってきました。
佐平:『老子』第二十七章に次の言葉があるぞ。
現代語訳
優れた車の運転をするものは轍の跡を残さない。

書下し文
善く行く者は轍迹無し。
福太郎:なんのこっちゃ。
佐平:車の運転したら車輪の跡が残るな。轍の跡だ。
福太郎:舗装されてないとそうですね。
佐平:しかし「優れた車の運転をするものは轍の跡を残さない。」と言うんだ。
福太郎:意味が分からない。
佐平:意訳すると「優れた仕事をするものはその功績が歴史には残らない。」となる。
福太郎:はあ。
佐平:儒教的聖人が事業を行う時、自然に物事を動かすから、その仕事は功績として歴史には残らないと言うんだ。
福太郎:なるほど。誰も気づかないんですね。
佐平:実際には歴史書を読んでいくと半分残って半分残らないという場合が多い。
福太郎:そうですか。
佐平:原始仏典の『サンユッタ・ニカーヤ』に次の言葉があるぞ。
現代語訳
この道は行きがたく険しいのです。 聖者たちは行きがたき険しい道をも進んでいきます。 聖者ならざる人は険しい道において頭を下にして倒れます。 聖者の道は平らかです。聖者は険しい道においても平らかに歩むからです。
佐平:解説しなくてもわかるだろう。
福太郎:ええ。郷太先輩の就職活動ですね。
佐平:学生にとっては就職活動は険しい道だ。
福太郎:郷太先輩はその険しい道も平らかに歩んだんですね。
佐平:そうだ彼にとっては就職活動という道も平らかだった。当り前を当たり前に行い。就職活動を楽しんだ。
福太郎:彼は聖者ではないですけどね。
佐平:そうだな。でも彼は賢いと言っていい。
福太郎:駒男先輩は険しい道を険しい道として歩きましたね。
佐平:彼は険しい道を歩き切った。嘘をつき続けた。
福太郎:そうですね。「頭を下にして倒れ」ませんでした。
佐平:その点はすごいな。
福太郎:ええ。でもそういう人は最終的にはうまくいかない気がしますね。
佐平:『老子』第五十三章に次の言葉があるぞ。
現代語訳
正しい知恵のある人は、大きな道を行き、わき道に入り込むのを恐れる。 大道は平らかであるのに、多くの人は小道を好む。

書下し文
我をして介然として大道に知行すること有らしめば、唯施をこれ恐る。 大道は甚だ夷なるも而も民は径を好む。
福太郎:これも同じですね。自然な道理に従う人は平らかで大きい道を行く。自然な道理から離れてしまう人は小道を行き物事を難しくしてしまう。
佐平:そうだな。
福太郎:郷太先輩は大きい道を行きました。そして駒男先輩は小道を行きました。
佐平:『葉隠』聞書第一に次の言葉があるぞ。
現代語訳
主君や上司の機嫌を伺いながら自分自身の私欲のために奉公する者は、仮に十回上司の機嫌を推測して当ててうまくいったとしても、一度推測を外したら破滅してみっともなく転落するものだ。自分自身に定まった忠心がなく、私欲邪知が深いからそうなるのだ。

原文
主君頭人の気風をはかり我が為に勤る者は、仮に十度はかりて当たるとも、一度はかり外したる時滅亡してきたな崩しをするなり。手前に一定したる忠心なく、私曲邪知の深きよりする事なり。
福太郎:駒男先輩の就職活動のようですね。彼みたいにうそをつき続けたらどこかで破滅しそうな気がします。
佐平:駒男先輩も話してみると人間臭いというか魅力もある人なのであまり文句を言いたくないけどな。
福太郎:ええ。分かります。でも彼を動かしているのは紛れもなく私利私欲ですね。
佐平:そうだな。それは間違いない。
福太郎:郷太先輩のように良心に従って行動していれば、仮に何か疑いをかけられたとしても弁明して誤解を解く余地がありますよね。佐平先輩も誤解されやすいんじゃないですか。
佐平:ああ。最近は誤解を解くのも面倒になってきた。
福太郎:誤解される側にも問題あるかもしれませんよ。
佐平:そうかもな。ここで休憩するぞ。

続きは中国思想の根本と末節をご覧ください。


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