精神病の妄想を理解できる場合1

岡田尊司の『統合失調症 その新たなる真実』からさらに引用する。

精神病性の症状が起きているときは患者は幻聴に対して耳を澄ませたり、応えようと大声をあげたり、幻聴が命じるまま窓から飛び出そうとしたりということが起きる。周囲から見ればその行動は全く不可解である。理由を聞いても聞けば聞くほど不可解な答えが返ってくる。
例えばある女性は、布団を何枚も重ねて敷きマスクをして寝た。理由を問うと「一階に新しい住人が越してきて窓を開けるのでスースーして仕方がない。おまけにタバコをぷかぷか吸うので煙たくてたまらない。」とこぼした。もちろん一階と二階では、完全に仕切られているから階下の住人が窓を開けようがタバコを吸おうが影響はないはずである。だがその女性にはそれがありありと感じられ苦痛でたまらないのである。
この女性が感じているものを通常の常識で納得したり共有したりすることはできない。ヤスパースはこうした状態を「了解不能」と呼んだのである。

岡田尊司氏は精神科医であり専門家である。しかも普通の専門家と違い患者の妄想にもある程度立ち入って理解しようとする人だ。そのような人でもこの患者の気持ちを理解できないと言うのは意外である。なぜなら私にはこの患者の気持ちが理解できるからだ。一見理解不能に見えるがきちんと説明されると8割の人は理解すると思う。以下説明する。

まずタバコの件から述べる。この患者は一階の人がタバコを吸っているので煙たくてしょうがないと言ってマスクをして寝ているのだ。女性患者をAさんとする。確かに彼女の発言は一見訳が分からない。が、分かるように説明する。

私はタバコを吸わない。しかし他人が近くてタバコを吸っていてもあまり気にならない。しかし本当にタバコが嫌いな人は世の中にたくさんいる。そういう人が二階に住んでいたとしよう。Bさんとする。Bさんはタバコ嫌いだがAさんと違い完全に健康な人であるとする。そして一階の住人がヘビースモーカーだとする。もちろん一階と二階は壁や床で区切られていて煙は二階には入ってこない。しかし頭で分かっていてもほんの2メートルしか離れていないすぐ近くでタバコを吸われているのは不快だという人はいるかもしれない。自分が寝ている二階の床の20センチメートル下は一階の天井なので煙はすぐ近くにあるのだ。そう思っただけで不快な人は少数ながら恐らくいるだろう。

我々は日頃意識による理性的な側面と無意識による非合理的な側面の両方を持っている。タバコ嫌いの二階の住人Bさんは「煙が二階に上がってこないのは分かっているけど、なんとなく嫌なんだよね。」と思う。この時理性では「煙は二階に上がらない」と認識している。しかし無意識では「タバコを近くで吸われているのは嫌だ」と思っている。もっと言えば無意識では「タバコが煙たい」と思っているのだ。

映画『恋愛小説家』のセリフをもじって「健康人から合理性と責任能力をさっぴくと精神病者になる。」と前述した。この健康な二階の住人Bさんは合理性と無意識両方を持っている。
合理性 = 煙は二階に上がらないと認識
無意識 = タバコが煙たいという感情
という精神の構造だ。ここから合理性をさっぴく。「煙は二階に上がらない」という合理的認識をさっぴくと先ほどの女性患者Aさんになる。「タバコが煙たい」という感情だけが残るのだ。

重度の精神病者は合理性が欠落し無意識の非合理性だけがあるため「煙は二階に上がらない」という認識は欠落し「タバコが煙たい」という感情だけが残るのだ。さらに健康者よりも無意識の働きが大きくなるので「タバコが煙たい」というのがよりリアルに感じられる。「その女性にはそれがありありと感じられ苦痛でたまらないのである。」と引用文にある通りだ。だから「煙たくてしょうがない」と言いマスクをして寝てしまうのだ。

「精神病者 = 健康人 - 合理性」なのだが厳密に言うと違う。精神病者は健康人から合理性をひいてさらに豊かな無意識の働きを足す必要がある。だから「精神病者 = 健康人 - 合理性 + 豊かな無意識の働き」が正確だ。

これは我々が寝ているときに見る夢と同じだ。ほとんどはあまり価値のない夢であるのに対し、たまに価値ある夢を見る。ポールマッカートニーの『イエスタデイ』は夢の中で思いついたと言われる。フロイトの『夢判断』から引用する。

アリストテレス以前の人たちは警告したり予言したりしようとして眠っている人に贈られる、本当に価値ある夢と、その人を惑わし堕落させようとする意図を持った、価値のないまやかしの下らない夢とを区別していた。

夢と同じように精神病者の妄想もそれなりに価値があるものとほとんど価値のないものがある。価値のないものが実際には多い。しかし上にあるゴッホの夜空の絵は明らかに価値あるインスピレーションである。精神病者のもつ圧倒的なインスピレーションが描かれている。私はゴッホように夜空を眺めたことはない。

話は戻る。Aさんはさらに布団を何枚も重ねて寝る。一階の住人が窓を開けているからスースーするのだと言う。これも同じ内容だ。我々も例えば近所の人が冬に窓を開けっぱなしにしているのを見ると「寒そうだな。」と思う。そして自分まで少し寒くなった気がする。「見てて寒いよ」と言ったりする。この時の健康な人の心理構造は以下の通り。
合理性 = 自分は寒くならないと認識
無意識 = 自分まで寒くなった気になる
ここから合理性をさっぴくと精神病のAさんになる。一階の住人が窓を開けていると自分まで寒くなるのだ。それで布団を何枚も重ねて寝る。

寒そうな写真を載せておく。画像リンク元:https://girlschannel.net/topics/992974/ 

この写真を見ると少し自分も寒くなった気にならないだろうか。恐らく8割の人は少し寒くなったと思う。それは無意識が自分まで寒くなった気になっているからだ。しかし超合理主義者はそう思わない。河合隼雄の『ユング心理学入門』に面白い女性が出てくる。

この女性は典型的な思考タイプで、何かの時に筆者が「それでどんなふうに感じられましたか」と尋ねたら「わかりません。私は考えられるけれど、感じられないのです」と答えたことのあるほどの人である。

この女性のような超合理主義者はこの寒そうな写真を見ても何も感じないに違いない。無意識の「感じ」は意識から完全に遮断されていて、「寒そうだ」と一切思わないのだ。

しかしほとんどの人はこの写真から寒さを感じる。そういう人は私の説明で精神病者の考え方の一端を理解いただけたと思う。超合理主義者の人には恐らく伝わらなかったと懸念する。

要は精神病者はこの寒そうな写真を見て「寒そう」とは言わず、「寒い!寒い!」と言うのである。

続きは精神病の妄想を理解できる場合2をご覧ください。


■上部の画像はゴッホ

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