これまでの天才研究

天才とは何か。この問題は長らく研究されてきているが最終的な結論は出ていない。ある程度の有効な予測は行われ、ある程度根拠ある予想は出ている。しかしそれらも決定的ではない。

すでに述べた通り天才は天才について語らない。天才について語るのは二流の人間だ。それが長らく研究されているにもかかわらず結論が出ていない一因なのかもしれない。

天才とは何かを知りたければ別に私のようにあれこれ考える必要などないのかもしれない。ベートーヴェンの第九の第四楽章を聴けば天才とは何かがすぐにわかる。圧倒的な迫力をもって天才の天才たる所以、天才の本質が伝わってくる。別に説明などいらないのだ。

しかしそれにも関わらず「天才たちに共通なものは何か」について多くの人が考えてきた。私も常に考えている。一定の意味がある。徐々に論じていく。

天才と性格

性格はどうだろうか。数多くの天才たちに共通する性格はあるだろうか。ランゲ=アイヒバウムの『天才 創造性の秘密』から引用する。

最初に取り上げるのは人間における最奥のもの、一番個人的なもの、つまり心情や徳性の方面であるが、その点で天才たちに一致点はあるだろうか。
情熱的で感情のうねりの強いゲーテとならんで、感情のうつろなニュートンがいる。冷たくて厳格な道徳家のカントに対し国庫の金を平然と着服して恥じる色のないベーコンがいる。キルケゴールのような禁欲家があるかと思えば、モーパッサン、ボードレール、オスカーワイルドといった放蕩者もいる。エーテルのように清純なヘルダーリンと卑猥なボッカチオとの間に何ひとつ似通った点がない。ヴォルテールは異常なくらい吝嗇であり、レッシングやリストは軽はずみと見えるほど浪費家であった。宗教的なダンテを皮肉な毒舌家のハイネと同列に並べるわけにはいかないし、快活なモーツァルトを胸いっぱいの悩みに引き裂かれたベートーヴェンやミケランジェロといっしょにすることはできない。国家第一の公僕と自称したフリードリヒ大王は無私の人だったが、ナポレオンは底なしの利己主義者で権力亡者だった。
天才たちの間には何ひとつ共通点がない。

ランゲ=アイヒバウムの結論は天才と性格には何の関係もないということだ。天才の性格は実にさまざまである。我々凡人の性格がさまざまであるのと全く同様である。

人は自分と同じ性格の人が優れていると思いがちである。真面目な人は天才は真面目な人だと思いたい。しかし実際には奔放な天才は数多くいる。奔放な人は真面目な人は大した仕事をしないと思いたい。しかし実際には真面目な天才は数多くいる。

結論は天才と性格の間には何の関係もないという点だ。それでは何も分からないじゃないかという人もいるかもしれないが、少なくとも「関係がない」ということが分かる。消極的な結論だ。一見大した収穫ではないようだが、しかしこれは天才の研究の中では珍しくはっきりした結論が出ている例と言って良い。これから述べるように天才論ははっきりした結論が出ない。非常に歯切れが悪いのである。

天才とIQ

性格は天才と関係がない。ではIQはどうだろうか。天才について研究したことがない人のほとんどは「天才とはIQの高い人だ」と考える。記憶力が抜群で優れた思考力を持つ、そういう人が天才だと通常思われている。要は学校の勉強ができる人だ。我々が日頃生活をしていて「あの人頭いいな」と思うのは知的能力すなわちIQが高い人だ。だから通常は天才とは知的能力が桁違いに優れている人だと思われている。

福島章『天才 創造のパトグラフィー』から引用する。

コックスという学者は、ゲーテが9歳でフランス語、イタリア語、英語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語を知っていたことから、彼の幼年期の知能指数を185と計算した。この方法によるとゲーテと肩を並べるのはJ.S.ミルとライプニッツ、少し落ちてIQ175と評価されたのがパスカル、ベンサム、シェリングらで、IQ165がヴォルテールである。
ニュートンやルソーやロックは意外に低くIQ125で、カーライル、大デューマ、ケプラー、ルーベンス、カント、ワットはIQ135と評価されている。

IQ125だと20人に一人くらいの知的能力である。天才とはIQのことだとすると、ニュートンはIQ125なのでニュートンクラスの天才が現代日本にも600万人いる計算になる。しかしニュートンほどの天才は日本に一人もいないだろう。

宮城音弥の『天才』から引用する。

学校成績の悪い天才としてニュートンが挙げられる。彼はクラスの中でもっとも成績が悪かった。しかし機械的なおもちゃを巧みに作ったし、知能指数はこども時代にも130と推定されるから決して能力がなかったわけではない。

やはりニュートンは知能指数がそれほど高くなかったようである。しかし彼は当然天才である。

福島章『天才 創造のパトグラフィー』から引用する。

天才といわれる人々のなかにはきわめて高い知能の人が多いことは事実であるが知能指数がそれほどでない人も多い。ただし山下清のようなきわめて例外的なケースを除いて、知能が平均以下とくに精神遅滞といわれるような人々にはあまり見られない。

天才研究の結論の歯切れの悪さがすでにここに現れている。「天才は大雑把に言って知能指数が高い人が多い。しかし知能指数が高いからと言って天才であるとは限らない。IQが高くても天才ではない場合が圧倒的に多い。そしてまれに知能指数の低い天才もいる。」という結論だ。天才はIQが高いのかそうでないのかよく分からない。「天才はIQの高い人」という結論なら一貫する。逆に「天才とIQは一切関係ない」という結論でも一貫する。しかし天才学の結論は非常にあいまいである。「関係はあるが絶対的ではない」となる。「一体どっちなんだよ」と言いたくなるだろう。この歯切れの悪さは今後も出てくる。

続きはこれまでの天才研究2をご覧ください。


■上部の画像はゴッホ

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