天才とカオスの縁

天才もクラス4的である。クレッチマー『天才の心理学』から再度引用する。

確信をもって言い得ることは天才、少なくとも特定の型の天才の間には、普通人の間におけるよりも、精神病なかんずく精神病質的中間状態の者が圧倒的に多く見られるということである。

天才は健康と精神病の間、精神病質的中間状態が多い。この時点で勘のいいひとは気づいただろう。天才もクラス4なのだ。

健康な人間はクラス2である。単調な生活を送る。「起床」→「朝食」→「通勤」→「仕事」→「帰宅」→「夕食」→「趣味」→「就寝」と同じ周期を繰り返す。堅固な常識に守られて外面的にも内面的にも単調な日々を送る。

それに対し完全な精神病はクラス3である。クラス3では完全にランダムな状態になったが、精神病も重度の場合は常識という秩序が崩壊する。無意識に翻弄される。

それに対して天才は明らかにクラス4である。健康人と精神病者の間であるからだ。クレッチマーの『天才の心理学』から引用する。

天才には単なる才能のほかになおダイモニオンが加わらなければならない。そしてこのダイモニオンこそ、まさしく精神病質的要素と内的に密接な関連をもつもののように思われる。このデーモニッシュなものが、外見上説明しがたいものや、精神的特殊能力や、非凡な思想や情熱など天才の本質と見なされるべきものすべてを包括しているのである。

「単なる才能」が「合理的能力」であり「秩序」である。「ダイモニオン」が「インスピレーション」であり「カオス」に近い。その両方を備えた天才はクラス4と言っていい。

wikipediaの「セルオートマトン」の項目でクラス4は「規則的なパターンとランダムなパターンが共存し、複雑なパターンを形成する。」とある通りだ。天才によって複雑で精巧な作品ができるのはそのためだ。「合理性=常識という規則的なパターン」を大切にしながら、「インスピレーションによる常識にとらわれないランダムなパターン」が共存する。

天才は「合理性×インスピレーション」であり「合理性+インスピレーション」ではない。言葉で説明ができない。クラス4は「合理性×インスピレーション」でありこの図を見ると直感的に分かる。規則的なパターン=合理性とランダムなパターン=インスピレーションが単純に併存しているのではなく、複雑に融合している。

精神病質ではなく完全な精神病であってもその初期においては適度なインスピレーションに一時的になる場合がある。健康な時は合理性はあるがインスピレーションが不足し、完全な精神病になるとインスピレーションが多すぎ合理性が崩壊する。しかし精神病が進行する時にその初期であればインスピレーションがちょうどいい瞬間が一瞬だけ訪れる。クレッチマー『天才の心理学』から再度引用する。

疾病の初期、例えば急性の精神分裂病などの初期の病相を、深い理解を以って観察することのできる人は、たちまちにして来たりたちまちにして去る、あらゆる概念を超越した威力と、充実感と、宇宙的緊張の体験とを、取るに足らない病人の中に発見して瞠目するにちがいない。かかる体験は、全くの凡人を、ごく稀に、また一時的ながら、はるかに彼以上のものにまで高めることがある。この種の軽度で崩壊にまで立ちいたらない精神病者の法悦は、健康人の理路整然たる思考過程よりも、むしろある種の天才的な霊感的体験、ことに宗教方面におけるそれに、心理学的にはるかに著しく類似している。

wikipediaで「カオスの縁」とは「振る舞いが秩序からカオスへ移るようなシステムにおいて、秩序とカオスの境界に位置する領域」とあるが、精神病初期は明らかに「秩序からカオスへ移る」瞬間であり「カオスの縁」である。一時的に天才的になるのは分かる気がする。しかしこれは一瞬だけである。クレッチマーも「たちまちにして来たりたちまちにして去る」と言っているのはそれが一瞬の出来事である点を指摘している。「全くの凡人を、ごく稀に、また一時的ながら、はるかに彼以上のものにまで高める」とある通りだ。「ごく稀に」と言っているが、福島章氏によるとけっこうな頻度であるようだ。福島章『天才の精神分析』から引用する。

分裂病にかかった青年の多くは急に多産となり、夜を徹して哲学的手記や小説などを書き始め、治療が始まると医師などのもとに彼らの膨大な創造物を持ち込んで、鑑賞や批評を乞うことが稀ではない。また彼の語る世界や自己の内面の光景も、きわめて新鮮な発見と驚きに満ちていることが多い。青年期の精神病の精神療法にあたる医師はしばしば新鮮な感動を覚えるものである。

天才の創造の方法は我々には分かりづらい。しかし似たような方法があり、我々にも分かる。夢の活用である。我々は覚醒時はクラス2的な活動をしている。合理的で堅固な常識に従う。しかし夢の中ではクラス3になる。夢の中では大真面目に行動しているつもりでも、起きた後に夢の中でなぜあんな行動をとったのか思い出すと「俺って頭おかしいのかな?」と愕然とする。夢は一種のカオスでありクラス3的なのだ。

しかしクラス3的な夢において我々が覚醒時に思いつかないような良いアイデアを思いつくことがたまにある。それを覚醒時にも覚えていて、手を加えてやれば面白い発見や創造につながることもある。ポールマッカートニーの『イエスタデイ』は夢の中で思いついたという。

wikipediaの「セルオートマトン」の項目でクラス4は「規則的なパターンとランダムなパターンが共存し、複雑なパターンを形成する」とあるが、天才においては規則的な思考とランダムなインスピレーションが同時に作用する。これは凡人には出来ない。しかし時間をずらせば凡人にも多少は可能である。夢の中でランダムなインスピレーションを得て、それを起きた後に規則的な思考によって作品に仕上げる。時間をずらせば「規則的なパターンとランダムなパターンが共存し、複雑なパターンを形成する」ことが可能である。

ただ個人的には夢の中でいいアイデアを思いつくことは少ない。一番多いのは寝る前、ベットに入ってリラックスしているときだ。覚醒時はクラス2的であるのに対し、夢のなかはクラス3的であり、寝る前の状態はおそらくクラス4的である。天才も健康と精神病の中間であるクラス4的な精神病質の人が多いというのは我々にも直感的に理解できる。なぜなら我々も寝る前に少しだけクラス4になり天才に近づくからだ。リンクのサイトが面白い。引用する。→リンク先

人間の創造力が一気に解放され「ゾーン」状態に突入するのは、眠りに落ちる直前なのだそうだ。科学的根拠もある。ゾーンは、正確にはノンレム睡眠の「N1ステージ」と呼ばれる。この状態は、眠りと覚醒のちょうど狭間にあり、冴えたアイデアを閃くための鍵を握っているという。悲しいことに、そのまま眠りについてしまえば起きた時にはゾーンは終わっている。だが、起きた時もゾーン状態を保つ方法があるという。この方法はエジソンが実践したものだ。その方法とは手に物を持ちながら眠りにつくことだ。アメリカの発明王、トーマス・エジソンは、手にボールを持ったまま居眠りをしたという有名なエピソードで知られている。うとうとと微睡んでいると、手の力が緩んでボールが落ちる。その拍子にはっと目が覚める。すると同時に素晴らしいアイデアが湯水のように浮かんだという。フランス、パリ脳研究所のデルフィーヌ・ウディエット氏は、実際にその発想法を試してみることにした。まず参加者に数学の問題に挑戦してもらう。それから20分間の休憩を与える。ただし普通に休むのではなく、手に物を持ちながら、リクライニングシートでリラックスしてもらうのだ。うとうとして物を落としたら、そのときに何を考えていたのか実験者に伝えてもらい、再度数学にチャレンジしてもらった。 その結果、確かに創造性が高まるゾーンがあるらしいことが確認された。N1ステージに入った人は、そうでない人に比べて、問題の正解率が3倍も高かったのだ。だが面白いことに、ぐっすり眠ってしまってはダメであるようだ。より深い眠りのステージ(N2)まで進んだ人は、N1ステージで目が覚めた人に比べて、正解率が6分の1でしかなかったからだ。ウディエット氏によると、エジソンの発想術は、アレキサンダー大王やアインシュタインも実践していたフシがあるのだという。「偉大な発見につながった夢は、真夜中の夢ではなく、夢うつつの体験だったのかもしれません」と彼女は語る。エジソンやアインシュタインにあやかりたいと思ったら、ボールを片手に夢の世界を覗いてみるといいかもしれない。起きているときには思いもしなかった、目が覚めるようなアイデアがあなたを待っているかもしれない。この研究は『Science Advances』(21年12月8日付)に掲載された。

寝る前の状態がクラス4である。だからといって日中もずっとうつらうつらとしていれば天才になれるかと言うとそんなことはない。日中の覚醒時にそのことについて徹底的に考えて、その後に寝る前のクラス4の状態に入ることで良いアイデアを思いつくのだ。引用の実験でも覚醒時に数学の問題を必死に解いてもらっている。その段階も必要なのだ。我々凡人は時間をずらすことで「規則的なパターンとランダムなパターンが共存」する疑似的天才になることが可能なのである。これが以前紹介すると言っていた疑似的天才になる方法だ。wikipediaで「カオスの縁」とは「振る舞いが秩序からカオスへ移るようなシステムにおいて、秩序とカオスの境界に位置する領域」とあると述べた。寝る前は「覚醒から睡眠に至る瞬間」であるから「秩序からカオスへ移る」瞬間なのである。

「天才=合理暦能力+インスピレーション」ではなく「天才=合理暦能力×インスピレーション」と言った。足し算ではなく掛け算。この方法を試すとそれが少しわかる。うつらうつらとしているときのインスピレーションがその後覚醒した時に合理的能力によって整理され洗練され自分の精神のうちで作品に仕上がるのを観察すると、確かにインスピレーションと合理的能力が互いに助け合い、足し算ではなく少しだけ掛け算になっているのが直感的に理解できる。インスピレーションと合理性があっても別々に存在していれば足し算だが、互いに協力していれば掛け算である。もちろん天才においては我々凡人よりもっと圧倒的に大きいスケールで生じるわけだが。

覚醒時に数学の問題を必死に解いたのはクラス2である。そしてうつらうつらとしているときは凡人は少しだけクラス4になる。ここでもう一度覚醒して合理的能力でインスピレーションを整理すると掛け算になる。しかし完全に寝てしまうとクラス2の合理的能力とクラス4のインスピレーションが別々に存在し互いに助け合わない。足し算になる。

精神病質者はたくさんいるがそのほとんどは天才ではないのは、恐らく足し算になっていて掛け算になっていないからだと述べたが、こういう意味である。

ちなみにこのエジソンの方法は私は実践していないが、寝る前にいいアイデアを思いつくというのは以前から気づいていたため、寝る前は必ずメモ帳を準備している。また机に座って考えて、いいアイデアがでないときは、わざと一時的にソファーなどに横になって目をつぶって考える。もしくは散歩をしてみる。合理性優位から少しだけインスピレーション優位に変える。するといいアイデアを思いつくことも多い。次に合理性優位が必要になると机に戻る。このようにして合理性優位とインスピレーション優位をその時その時で微調整することでブログの記事がはかどるようにしている。脳科学によると脳の状態を変えるには、体を動かしたり逆に休めたりするのが一番簡単で確実な方法だと言う。

私は自称思想家だ。思想の場合はこの方法はそこそこうまく行く。上の例では数学が取りあげられていたが、もしかすると数学とかもっと論理的な分野のほうがこの方法は効果あるのかもしれない。文化とかビジネスのような分野でも効果があるかは私は知らない。

続きは失敗からの創造をご覧ください。


■上部の画像はゴッホ

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