精神病は理解できるか

ユングの『個性化とマンダラ』から引用する。

精神病の患者は彼自身にも正常な人にも理解できない考えの洪水によって呑み込まれてしまう。それゆえにこそ我々は彼を「気が狂った」と呼び、彼の考えを理解できないのである。我々は理解のための前提を持つときにのみ少し理解できるにすぎない。

精神病者の考えはさしあたっては全く訳の分からない性質を持った産物である。それは神経症の作り出すものとはまるで異なっている。後者については全く訳が分からないとは言えない。神経症が作り出すものは人間的に理解できるが精神病の作り出すものはそういうわけにはいかない。

ユングは精神病者の妄想は普通は理解不能であり、神経症者の悩みは理解可能だと言う。ユング自身は精神病の妄想もある程度理解したかもしれないが。神経症に関しては前述の通りだがもう一度同じ例を書いておく。

ある女性が精神科医にかかった。その女性は美しい女性だったが自分が醜いという観念にとらわれていて他人と接することができないでいた。話を聞いてみると目の上の眉の近くに非常に小さな目立たない傷があった。それがあるから自分は醜いというのである。精神科医はその女性が美しいので「この人は何か嫌味でも言っているのか?」と疑った。しかし治療を進めていくうちにその傷に関する幼少期のある出来事が浮かび上がってくる。その女性が小さい頃彼女のことを巡って両親がかなりひどい夫婦喧嘩をした。父親が灰皿を母親に投げつけようとして手が滑って母親にあたらずに彼女の眼の上をかすめた。そしてその傷ができた。彼女は無意識では両親が喧嘩したのは自分のせいだと思い、自分をひどく責めていた。目の上の傷がその象徴だったのだ。その自責の念を催眠状態で十分に吐き出した後、彼女はその自責の念から解放され、心の傷は治癒して日常生活を問題なくおくれるようになった。

この女性の患者の悩みは我々にも理解できる。神経症の悩みはある意味合理的にできているからである。合理的なものが理解しやすいのは現代人である我々が合理的だからである。卑弥呼の時代の日本人であれば合理的ではないので精神病のほうが理解しやすい可能性もある。神経症の悩みは我々現代人の悩みの規模を大きくしたものである。それに対し精神病の悩みは卑弥呼の時代の日本人の悩みの規模を大きくしたものかもしれない。この点は後に詳述する。

岡田尊司の『統合失調症 その新たなる真実』から引用する。

精神病はしばしば幻覚や妄想を伴っていることも多い。例えば次のケースでは、本人にしか分からない独自の感覚的体験を伴っているため第三者には理解できない。

「みんなが見るんです。私のことを妬んで。そしたら飛ぶんです。頭が。すごく飛ぶんです。どうしたらいいんですか。もう嫌なんです。飛ばないようにしてください。」

言語として破綻しているわけではないが他の人には体験できない知覚や考えが混じっているため、聞く者はすんなりと理解できない。普通の常識からは、その意味を推しはかることができないのである。

この患者の言葉は確かに理解できない。私もわからない。続けて引用する。

次のケースのように明らかな幻覚妄想はないのだが、現実感が乏しい、つかみどころのない奇妙な内容を訴え続ける場合もある。

「なんかおかしくてね。ピコーンとくるんですよ。そしたら頭がバリバリして嫌な感じがするんです。風呂に入った日に食事をしたときになりやすいですね。骨がじんじんして疲れるんです。ガンマー毒素が増えるんです。寝ているしかないですね。」

これもやはり全く理解できない。岡田尊司の『統合失調症 その新たなる真実』からさらに引用する。

しかし一見、意味不明で不可解に思える言動も、もう少し立ち入って話を聴いたり事情が分かってくると、なるほどと腑に落ちたり、その背後にある気持ちに共感を覚えたりすることは少なくないのである。
ただ残念ながら、今日の精神医学はそうした意欲や関心を次第になくしているようだ。精神医学という名前をもちながら、精神に対する関心をなくしているのである。非現実的な言動や行動は病気の症状として捉えられ、薬物療法で消し去ることだけに関心を注ぎがちである。

岡田尊司氏は精神科医であり、珍しく患者の妄想も理解しようと努める医師である。twitterである人が現代の精神科医は薬の処方だけして患者の悩みには寄り添わないと嘆いていた。精神科医より新興宗教のほうがよっぽど人々の悩みに寄り添っているというのだ。すべての新興宗教が悪いとは言わないが一部の新興宗教はそれによって信者を食い物にするんだろう。さらに引用する。

まだ駆け出しだった頃、先輩医師の診察に付き添って訓練していたあるとき、保護室に長いあいだ閉じ込められている若い女性の患者の診察に立ち会うことがあった。黒く長い髪と真っ白な肌が印象的な、美しい女性だった。だが彼女の状態は悲惨なまでに纏まりを失っていた。限界量いっぱいまで安定剤を投与されていたにもかかわらず、言葉も支離滅裂に近く、幻聴も常に聴こえているという状態で、彼女がしゃべると二人が一度にしゃべっているようだった。医師との会話もとんちんかんなものにならざるを得なかった。
だが私はそばで話を聞いているうちに支離滅裂にしか聞こえない話ではあるが、彼女が心の中で何を思い、何を言いたいのか、なんとなく分かってきたのだ。しかしそれが医師にも看護師にも伝わらずに、彼女はもどかしげだった。私は思わず「お風呂上がりで気持ちいから外の風にあたってみたいんだよね。」と言った。彼女はうれしそうに私の顔を見てうなずいた。
先輩の医師は熱心な治療家で彼女を外に連れて出ようと言った。彼女は外の空気が気持ちよさそうでいろいろしゃべるのだがやはりなかなか話が通じない。彼女は通訳でも求めるように私のほうをちらちらみたり、私に向かって話しかけようとする。私がそれに応えると先輩の医師の顔が微妙に曇るのでひどく困った。

岡田尊司氏は患者の妄想がある程度理解できる医師のようである。しかし普通の医師は患者の内面には立ち入らない。そちらの方が治療方針を標準化できて確実だからかもしれない。

続きは精神病の妄想を理解できる場合をご覧ください。


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