中国思想における「本」と「末」

『老子』第十七章から引用する。

書下し文
功を為し事を遂げて百姓皆我自ら然りと謂う

現代語訳
功績が上がり事業が完成して人民はみな我々は自然と事業を完成させたと言う

自然の道理に従う方法で大事業がなされるため人々は自然にそうなったのだと考えるのである。 A君の就職活動も、何も知らない人がはた目から見れば、自然に受かったのだと結論するであろう。

『老子』第三十五章に次の言葉がある。

書下し文
道の言を出だすは淡乎として其れ味無し
是を視れども見るに足らず
是を聴けども聞くに足らず
是を用うれども尽くすべからず

現代語訳
道が言葉に表されると淡々としていて味がない 
これを視ようとしても見えず 
これを聴こうとしても聞こえない 
しかし道の働きはいくら用いても尽き果てない

儒教の教えは淡々として当たり前ばかり述べる。あっさりとしていて平凡であり、多くの人はその英知に気づきもしない。それは見ようとしても見えず、聴こうとしても聞こえないのである。料理でいえば味がしないのである。しかし儒教的聖人の働きは自然に世の中を動かし、その働きはいくら用いても尽き果てない、と老子は言う。A君の就職活動も、当たり前を当たり前にしているだけである。彼の知恵に気が付く人は少ない。

念のため述べておくが、淡々としている文化が魅力的な文化より優れているかと言うと必ずしもそうとは限らない。 私たちはモーツァルトやベートーヴェンのような魅力的な文化に非常に大きな意義があると知っている。 しかし確かに儒教的な淡々とした「道」にも大きな意義があるというべきである。どちらをとるかは個々人が決めることである。

『中庸』第十九章に次の言葉がある。

書下し文
君子の道は闇然として而も日々章かに、
小人の道は的然として而も日々に亡ぶ

現代語訳
君子の道は人目をひかないのに 日に日にその真価が表れてくるが、
普通の人間の道ははっきりと人目をひきながら 日に日に消え失せてしまう

君子の行いは一見平凡に見えながら、徐々にその効果が表れてくると言う。普通の人間の仕事は多くの人の注目を集めるが、一時的効果しかなく日に日にその効果は失せていくのである。

A君の就職活動も一見「人目をひかない」ようだが、会社と自分の相性をきちんと確認して入社しているので、A君自身の将来にとっても、会社の将来にとっても長い目で見てプラスになり、「日に日にその真価が表れてくる」のがわかる。それに対してB君の就職活動は、巧妙に嘘をつきとおすためある意味凄いのであり、一見「はっきりと人目をひく」。しかし嘘をついて入社した以上、長い目で彼のためになるとは思えないし、当然会社のためにもならない。その効果は「日に日に消え失せてしまう」のである。

『老子』第二十七章に次の言葉がある。

書下し文
善く行くものは轍迹なし

現代語訳
すぐれた行き方をするものは轍の跡を残さない

意訳
優れた行動をするものはその仕事が歴史には残らない

儒教的聖人が大事業を行う場合、自然に物事を動かすため、その聖人の仕事は歴史に残らない場合があるという。もちろん残る部分もあるわけだが、残らない部分もあるというのである。

原始仏典の『サンユッタ・ニカーヤ』に次の言葉がある。

この道は行きがたく険しいのです。
聖者たちは行きがたき険しい道をも進んでいきます。
聖者ならざる人は険しい道において頭を下にして倒れます。
聖者の道は平らかです。聖者は険しい道においても平らかに歩むからです。

A君にとっては就職活動は平らかな道であり、 B君にとっては険しい道であった。もっともB君はそれでも成功して見せたのだが。

『老子』第五十三章に次の言葉がある。

書下し文
もし我に介然として知有れば、大道を行きて、唯だ施をこれ畏る。 大道は甚だ夷なるも、しかれども民は径を好む。

現代語訳
しっかりとした知恵がある人は、大きな道を行き、わき道に入り込むのを恐れる。 大道は平らかであるのに、民は小道を好む。

A君の当たり前を積み重ねる正攻法の就職活動が平らかな大道を行く方法に近い。それに対してB君の嘘をつき面接官をだます方法はわき道にそれるような方法である。

ここで違和感を覚える人もいるであろう。儒教の思想を解説するのに『老子』を引用している。儒教と老子は正反対の思想ではなかったか。しかし引用した個所は、老子は老子自身についてではなく儒教について述べていると私は考えている。 例えば「淡として味無し」=「淡々として味がない」というのは老子にはあてはまらない。老子の言葉は非常に深遠であり、深い味わいがある。淡々としているのは儒教の思想である。

中国思想は本来、積極的真理と消極的真理が相補い合うようになっている。老子はその消極的側面のみを受け継ぎ純化させたのである。それに対して儒教は積極的側面と消極的側面の両方を受け継いでいる。よって儒教のほうが正統な思想だと私は考える。

しかし儒教も老子も元々をたどれば同じ上古の中国思想を受け継いでいるのであり、老子の言葉が儒教に当てはまるというのは実はそれなりにあると思う。もとは同じ思想だからだ。よってやや乱暴であるが老子も引用した。

例えて言えば儒教と老子は中国思想という同じ巨木の別れた幹のようなものである。根は同じである。 厳密な学者からは儒教と老子をごちゃまぜにするなと言われそうだ。 確かに儒教と老子は別の幹なのでごちゃまぜにするのは確かに正しくないかもしれない。 しかし根は同じなので儒教と老子をまったく別と考えるのも同じくらい正しくないのである。

例えば「無為自然」というと我々は老子の思想だと考えてしまう。「人為をなくして自然に従う」と言う意味である。 「無為自然」を「人の行為を全て廃して自然に従う」と解すると、消極的側面しかないので儒教思想ではない。しかし「さかしらな人為をなくして自然の道理に従う」と解釈するのであれば儒教にも当てはまる。

A君の就職活動は、B君が行った面接官をだますようなさかしらを行わず、自然の道理に従った。 『論語』の「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」は「本」を充実させれば、「末」は自然に備わり道が自然と開けてくるという意味である。儒教はこの「自然な力」を非常に重視する。これが儒教の叡智の中核の一つだ。 儒教は「さかしらを無くす」という老子と共通する消極的真理をも持っている。そして「自然の道理に従う」というのは儒教にも確実に当てはまる。「無為自然」は儒教にも当てはまる思想と考えてよい。

ただ儒教は老子と違い人間の積極的努力も大いに称揚する。自己修養のための努力を勧める。宰我は昼寝をしたため孔子に怒られた。そこは確かに消極的真理にかたよる老子とは違う点である。老子が上古の中国思想の消極的真理のみを受け継ぎ、儒教が積極的真理と消極的真理の両方を受け継いだのが分かるであろう。

儒教と老子は一見正反対の思想のようだが元々は同じ思想を受け継いでいるので、共通する点も多いと考えて、『老子』を引用している次第である。

例えば韓非子も同様だ。儒教と韓非子は別の学派だが共通点はある。根は同じなのだ。 『韓非子』功名第二十八から引用する。

賢明な君主が功業を立てて名声をあげる手段として、四つのことがある。 第一は天の時、第二は人の心、第三は技能、第四は勢位である。 天の時にそむけば、たとえ十人の堯があらわれても、冬の季節では一本の穂でさえ生やすことはできず、 人の心に逆らえば、たとえ孟賁、夏育のような勇士でさえ人の力を出し尽くさせることはできない。 だから天の時が得られるなら、努力をしなくとも穂は自然に生え、 人の心が得られるなら、奨励しなくても人は自然に働き、 技能に頼れば、せきたてなくても事は自然に早く運び、 勢位がえられるなら、推し進めなくても名声があがる。 あたかも水が流れるようであり、船が水に浮かぶようである。 天のおのずからの道を守って、ゆきずまることのない命令を行う、 だから明主と言うのである。

韓非子は天の時、人の心、技能、勢位を根本と考え、それに従えば物事は自然とうまくいくと述べている。 天の時に逆らい冬に稲の苗を植えても、稲穂は育たない。 人の心に逆らえば勇士たちも従ってくれず、その力を発揮させられない。 勇士をたくさん部下に持っていても無駄なのだ。

天の時、人の心に順えば、自然に物事はうまくいくと韓非子は言う。 川が流れそれにのって船が進むように、自然に物事が進んでいく。 A君の就職活動は船が水の流れに従うような方法であり、 B君の就職活動は水の流れに逆らって必死でオールを漕いでいくような方法だ。

『荀子』不苟篇に次の言葉がある。

書下し文
君子はその身を潔くしてこれに同じき者も合し、その言を善くしてこれに類する者も応ず。 故に馬鳴きて馬これに応じるは知にあらず。その勢しからしむなり。

現代語訳
君子はそのふるまいを清廉にして同志の人々が集まり、その言葉を正しくして同類の人々が応じる。 それは一匹の馬がいななくと他の馬も応じていななくのと同じであり、それは知的な操作によるものではない。 自然の勢いでそうなるのである。

『荀子』勧学篇に次の言葉がある。

書下し文
草木は疇生し禽獣も群居す。物は各々その類に従うなり。

現代語訳
草木は類ごとに生え禽獣も群ごとに居る。物はそれぞれに自分の同類に従うものである。

三国志においても魯粛が徳なき袁術を去り孫権に仕え、張紘が孫策の真心を知って初めて仕官し、 陳珪陳登が粗暴な呂布を嫌い徳ある曹操に心を寄せ、田疇、程昱が曹操に出会うまで誰にも仕官せず、 賈クや荀彧が袁紹を避けて曹操に仕え、趙雲が公孫サンを避けて劉備に従い・・例を挙げると限りないほどだ。 心ある人々は董卓、袁術、呂布のような徳なき者には使えず、徳ある曹操、劉備、孫権に仕えた。

横暴な人に対しても弱い人は力で脅せば従うだろう。 欲が深い人は利益で釣れば大義なき人にも従うだろう。 しかし道義を重視する人は大義を持たない人には従わない。 利益で釣っても力で脅しても従わない。 大義を重視する人は大義を重視する人に従うのである。荀子の「類に従う」とはこのことである。 大義のない強者には平凡な人は従うが心ある人々が離れていくのである。

実際董卓袁術呂布はその最盛期においては非常に強大な勢力を誇っていた。従う人も多かった。 利害で動く人は多い。我々は歴史の結果を知っているので彼らの記述を読むときも「どうせこいつらは滅びるんだよな」と思いながら読む。 しかし同時代の人々は歴史の結果を知らないので董卓袁術の勢力は非常に強大に感じていたはずである。従う人も多かったのだ。 しかし心ある人々が去っていくことで董卓たちの勢力は縮小していき最終的に滅んだ。

ヒトラーもその最盛期には非常に大きな勢力を持っていた。しかしここでも心ある人チャーチルの選択により最終的に滅んだ。 ヒトラーの野望が実現するかどうかはイギリスがドイツにつくかアメリカにつくかによって決まった。 キャスティングボートをチャーチルが持っていたのだ。

董卓やヒトラーが滅んだのは荀子の言う「自然の勢い」であってこれが儒教の重視するものであり天意と言ってよいかもしれない。

ただ天意に従わない董卓やヒトラーでさえ途中までは成功を収める場合がある。最終的には滅んでも途中まではうまくいくのだ。心ある曹操やチャーチルも董卓やヒトラーと必死で戦わねばならなかった。そうしなければ董卓やヒトラーが天下をとっていただろう。天意にそむいても途中まではうまくいく場合があるというのが興味深い。天の老獪さ神の老獪さを表していると思う。

個人の人生においても同じである。欲望に走る人はおそらく欲望をかなえるだろう。しかし欲望のみに走る人の人生は徐々に寒々とした人生になり気づいた時には元に戻れなくなる。欲望のみに走る人がそれをかなえられるというのも神の老獪さを表していると思う。

本末について経典を引用し説明してきたが、経典には理論的部分と具体例がある。 理論的部分について重要なものは私の知る範囲で引用したが、その中核的部分は『大学』からの引用である。 『大学』の説明が最も直截で分かりやすい。朱子は次のように言っている。

大学はこれ学を修る綱目なり。先ず大学に通じて綱領をたて定めれば、その他の経はみな雑説にしてこのうちにあり。大学に通じ得てのち他の経を看てゆけば、 はじめてこれは格物致知なり、これは誠意正心修身なり、これは斉家治国平天下なりと悟りえん。

朱子は『大学』が儒教の理論書であるという。ほかの経典はその具体例として読めるという。

続きは劉備と鍾会をご覧ください。


■上部の画像は葛飾北斎
「ホトトギス聞く遊君」。

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