王者・覇者と本末

荀子の言葉で王者と覇者が出てきた。知らない人のために一応違いを述べておく。 王者と覇者の区別、王覇の区別も本末と関係がある。

王者は道徳で人々を従わせ正しい方へ導く。これを王道という。 それに対して覇者はある程度武力を背景としそれに頼りながら人々を正しい方向へ導く。 これを覇道という。 荀子はそれに対して亡君、強者という概念も持ち出す。 これは権力を用いて私利私欲をみたす者である。

子供だった頃の学校の先生たちを思い出してほしい。 「この先生は人間として正しいか」を子供は本能的に気づくものだ。 道徳的に正しい先生で「この先生に従おう」と思ったことはないだろうか。 その先生は生徒を心服させたのだ。王者に近い。

怖い先生もいただろう。私が小さい頃は体罰もあった。 怖い先生だが正しい方向に生徒を導く先生はいなかっただろうか。 これが覇者に近い。

先生の中には自分の行いを正当化しているが実は私利私欲のために生徒を叱ったり威圧したりする先生もいただろう。 これが強者に近い。生徒は子供とはいえ教師が私利私欲のために怒っているのか生徒のために怒っているのか本能的に気づく。

『孟子』公孫丑章句上に次の記述がある。

書下し文
孟子曰く、力を以て仁を仮る者は覇たり。覇は必ず大国を有するを要す。 徳を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず、湯は七十里を以てし、文王は百里を以てせり。 力を以て人を服する者は心服せしむるに非ざるなり。力足らざればなり。 徳を以て人に服せしむる者は中心より悦びて誠に服せしむるなり。七十子の孔子に服せるが如し。 詩に西よりし東よりし南よりし北よりし服せざるなしといえるはこれこの謂いなり。

現代語訳
孟子が言った。力で仁の代用をするものは覇者である。覇道は必ず大国でないとできない。 徳によって仁政を行うのが王者である。王道は大国である必要ない。湯王はわずか七十里四方。 文王はわずか百里四方。そこから始めて王者となった。武力で人民を服従させるのは表面だけで心からの服従ではない。 力が足りないのでやむなく服従しただけだ。徳によって人々を服させるのは心の底からよろこんで本当に服従するのである。 孔子の七十人の弟子たちが孔子に心服したのがそれである。詩経に「西からも東からも南からも北からもやってきて 武王に心服しない者はなかった」というのはこのことを言ったものである。

「力を以て仁を仮る」というのは、覇者にも道徳的な威厳はあるが不足しているので他者を十分に心服させられない。 そこで道徳的な威厳を武力による威厳で仮に代用している、という意味である。そのため覇者たるには大国である必要がある。 しかし王者は道徳による威厳で他者を心服させるので、武力による威厳を必要とせず大国を有する必要はないという。

王者と覇者の区別は実は本末の思想が背景にある。 王者は徳が充実しているため根本がより充実している。 覇者は徳があるが不足しているためより末端の武力によって威厳を補わないといけない。 強者は徳がなく末端である武力のみによって私利私欲をみたす。 本末の思想が背景にあるのがわかるだろう。

『荀子』王制篇に次の記述がある。

書下し文
王はこれが人を奪り、覇はこれが与を奪り、強はこれが地を奪る。 これが人を奪るとは諸侯を臣とすることなり。 これが与を奪るとは諸侯を友とすることなり。 これが地を奪るとは諸侯を敵とすることなり。 諸侯を臣とする者は王。諸侯を友とする者は覇。諸侯を敵とする者は危うし。

現代語訳
王者は人心を取得し、覇者は同盟国を取得し、強者は領土を取得する。 人心を取得するとは諸侯を臣下にすることであり、 同盟国を取得するというのは諸侯を友とすることであり、 領土を取得するというのは諸侯を敵とすることである。 そこで諸侯を臣下とする者は王者になれるし、 諸侯を友とする者は覇者になれるが、 諸侯を敵とする者は危険である。

王者は人心を得る。諸侯を臣下とすると言うのは諸侯を心服させるのであって、 決して武力を背景としで直接的間接的に脅して臣下とするのではなく利益で釣って臣下とするのでもない。ここは誤解されやすいので強調しておく。

やはり王者ほど根本たる人心を取得し、覇者がそれに続き、そして強者が末端である土地を取得しているのが分かるだろう。

『荀子』の王覇篇に次の記載がある。

書下し文
国を治る者は義立てばすなわち王たり。信立てばすわわち覇たり。権謀立てばすなわち亡ぶ。

現代語訳
国家を治める者は道義を第一にすれば王者となり、信用を第一にすれば覇者になり、権謀を第一にすれば亡君となる。

これも似たような内容を述べている。道義、信用、権謀のうち、道義が根本に近く、信用がそれに継ぎ、権謀が末端である。

荀子の言葉は次のように続く。

書下し文
仲尼は置錐の地も無きに、義を志意に誠にし義を身行に加えてこれを言語に著したれば、済の日には天下に隠れず名は後世に垂れたり。

現代語訳
孔子は錐の先ほどの土地も持たなかったが、その精神を道義でかため、その実践も道義により、それを言葉に表したために、 完成の後には隠れようもなく名声は後世に伝わった。
書下し文
湯は亳を以てし武王は鎬を以てして皆な百里の地に起こりしも、天下は一と為り諸侯は臣と為りて、通達の属も従服せざることなかりしは他の故無し。義を為せしを以てなり。・・これ義の立てばすなわち王たりと言いし所なり。

現代語訳
湯王は亳から起こりし武王は鎬から起こった。始めは百里四方の小国だったがついに天下統一され諸侯は臣服して、 ゆきつくかぎりの範囲の人々がすべて服従したのは他でもない、道義を行ったからである。 ・・道義を第一にすれば王者となるというのはこれを言ったのである。

孔子は現実では失敗者だった。しかし何の権力も持っていなかったのに後世の多くの人を心服させた。それは孔子の道義が原因である。現実世界では王者にはなれなかったが王者に近いと言える。

湯王や武王も小国からスタートし王者になった。先の孟子の「王道は大国である必要ない」という言葉と荀子の言葉は一致している。道義が充実しているからである。

荀子はつづいて覇者について次のように述べる。

書下し文
徳は未だ至らずと雖も、義は未だ成らずと雖も、然れども天下の理はほぼ聚まり、刑賞否諾は天下に信ぜられ、 臣下は暁然として皆なその契るべきを知り、政令すでに陳れば利敗を観ると雖もその民を欺かず、 約結すでに定まれば利敗を観ると雖もその与を欺かず。かくの如くなれば則ち兵は強く城は固くして、敵国もこれを畏れ、 国は一に極則は明らかにして与国もこれを信じ、僻陋にある国と雖も威は天下を動かさん。五覇これなり。 ・・これ信の立てばすなわち覇たりと言いし所なり。

現代語訳
徳はいまだ十分ではなく、道義は完全には行えないといえども、天下の道理はほぼそこに集中し大義を持っており、 その賞罰や諾否は正しいものとして天下に信じられ、臣下はみなはっきりと主君が契約するに足る信頼できる人物と知っており、 政令がすでにしかれたからには、利害を見ても利害に従って民衆を欺いたりはせず、約束がすでに定まったからには利害を見ても利害に従って同盟国を欺くようなことはしない。もしそのようであれば、兵は強く城は固く、敵国も畏れ、国は統一され、 根本原則も明白で同盟国も信頼し、たとえ辺鄙な国であってもその威厳は世界を動かすだろう。五覇がそれである。 ・・信用を第一にすれば覇者になるというのはこれを言ったのである。

斉の桓公などはこれにあたる。 覇者は王者ほど道義を体現していないので、大国である必要がある。 孟子は覇者は「力を以て仁を仮る」「武力の威厳で道徳の威厳を代用する」と述べた。荀子と孟子はこの点では意見が一致している。

荀子は続いて亡君、強者について次のように述べている。

書下し文
国を挙げて以て功利を呼せしめ、その義を張りその信を為すことを務めずして、唯だ利をのみ求め、 内は則ちその民を詐ること憚らずして小利を求め、外は則ちその与を詐わることを憚らずして大利を求め、 その有する所以を修正することを好まずして啖啖然として常に人の有を欲す。かくの如くなれば則ち臣下百姓も詐心を以てその上を待たざる無し。上はその下を詐り下はその上を詐らば則ちこれ上下の分かるるなり。 かくの如くなれば則ち敵国もこれを軽んじ与国もこれを疑い権謀は日々に行われて国は危削を免れず、 これを極ればすなわち亡ぶ。斉の閔王と薛公とはこれなり。

現代語訳
国民のすべてに功利を第一のこととさせ、自分の道義を伸ばし自分の信用を築くことには努めないで、ただ利益のみを求め、国内では小利を求めて、その民衆をだまし、外では大利を求めて同盟国をあざむき、財物を保有するための正しい手段を修めることを好まないで、いつもがつがつし他人の財産を欲する。このようであれば臣下、民衆もいつわる心で上位者に対するようになる。上位者が下の人々をいつわり下の人々が上位者をいつわるというのは上下が分離することである。もしそのようであれば敵国も軽視し、味方の国も疑い、盛んに権謀が行われて国家も危うくなり勢力が削られることを免れず、これの行きつく先は国が亡ぶことになる。斉の閔王と薛公がこれである。

斉の閔王と薛公について私はよく知らないので董卓や袁術のこととしておく。

それでは完全な王道というものは存在するのか。 人心を取得し道徳の威だけで人々を導くような人物。 『孟子』梁恵王章句上に次の記述がある。

書下し文
地、方百里ならんにもすなわち以て王たるべし。 王もし仁政を民に施し刑罰を省き税斂を薄くし深く耕し疾く耨らしめ壮者暇日を以て その孝悌忠信を修め、入りては以てその父兄に仕え、出でては以てその長上に仕えしめば、 杖を掣げて以て秦楚の堅甲利兵をうたしむべし。彼らはその民の時を奪い耕耨して以て その父母を養うを得ざらしむれば父母は凍餓し兄弟妻子は離散すべし。 彼らその民を陥溺せしめんとき、王往きてこれを征たばそれ誰が王と敵せん。 故に仁者に敵なしと言えり。

現代語訳
たった百里四方の国でも王者となることができます。 王様がもし仁政を行って刑罰を軽くし、税金の取り立てを少なくし、 田地を深く耕し草取りを早めにさせ、若者には農事のひまなときに孝悌忠信の徳を教え込み、 家庭ではよく父兄に仕え社会ではよく目上に仕えるようにさせたなら、ただのこん棒だけでも 堅固な鎧兜、鋭利な武器で身を固めた秦や楚の精鋭にも勝てるでしょう。 ところが彼らは正反対で時をかまわず人民をこき使い農耕に精を出して父母を養うことも 出来ぬようにさせています。父母は飢え凍え妻子兄弟は離散しています。 いわば彼らは人民を穴に突き落とし水に溺れさすような虐政をしています。 そのときに王様がこれを征伐したならば誰がはむかうでしょうか。 仁者に敵はないのです。

孟子は「仁者無敵」と述べている。 仁者の軍はこん棒だけでも敵に打ち勝つという。 孟子はあまりにも理想主義的で現実無視である。

孟子の記述が完全な王者とすると、 実際には完全な王者は存在しない。 王者の典型である周の文王ですらその子武王が殷を討伐した。 現実には王道と覇道が混在する。

ただし周の文王は王道の要素が非常に大きかった。 多くの人々が文王に心を寄せ殷の紂王を去った。 王道が9割で覇道が1割くらいだろう。 王道がほとんどで若干覇道で補ったというところ。

逆に覇道の典型とされる曹操ですら、王道の側面は確かにあった。 荀彧荀攸程昱陳登たち心ある人々が曹操の道義に共感して従った。 王道3割覇道7割くらいか。 王道と覇道が混在し王道の要素が大きい者ほど後世の評価は高くなる。 後世の評価は大雑把に正しくなる傾向にある。

世界史で最も人心を取得した人物は誰だろうか。ムハンマド、イエス、仏陀であろう。 過去から現在に至るまで実に何十億もの信者がおり信者たちは彼らに心服している。 この心服が王道の本質である。徳によって人々を心服させる。

先の『孟子』公孫丑章句上の 「徳を以て人に服せしむる者は中心より悦びて誠に服せしむるなり。七十子の孔子に服せるが如し。」 「徳によって人々を服させるのは心の底からよろこんで本当に服従するのである。 孔子の七十人の弟子たちが孔子に心服したのがそれである。」 というのはこれと同じである。ムハンマド、イエス、仏陀の信者たちは彼らに心服している。

彼らであれば完全な王者たりえただろうか。 彼らですら不可能である。彼らですら生前において彼らを理解しなかった人たちと戦わねばならなかった。 イエスはイエスを理解しないパリサイ人が存在したし、ムハンマドも戦った。

王道と覇道が混在するのが現実である。しかし王道の割合が大きいほど偉大とされる。 ムハンマド、イエス、仏陀が偉大とされるのは彼らが何十億の人々を心服させ最も王道に近いからである。 彼らは最も根本が充実しているからである。

つづき天下の害 末が勝つ

■上部の画像は葛飾北斎

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