複雑系概説 後半

ワールドロップ『複雑系』から引用する。

肝心なのはより高いレベルのものがいったん創発すると、そのより高いレベルのものどうしで相互作用することもできるということだ。分子は分子と結合して新しい分子をつくることができる。

物理学的な原子同士が結合して「より高いレベル」である分子が創発する。そして色んな種類の分子が成立すると、その「より高いレベル」の分子同士で相互作用が生じて、さらにより複雑な分子を構成できる。

「食材」からより高いレベルの「日本料理」である寿司が立ち現れる。他にも魚の煮つけ、赤だし味噌汁、日本酒など他の「日本料理」が食卓に並べばそれらは、その高いレベル同士で相互作用する。さらに高いレベルの豊かな世界が現出する。寿司だけ食べるより日本酒などほかの料理があったほうがよりおいしくなり、食事が豊かになる。

ワールドロップ『複雑系』からさらに引用する。

より高いレベルのものが十分な多様性をもって蓄積されると、自動触媒にある種の相転移が起きる。そしてその高いレベルのものが急速に増殖し始める。すると今度はこの増殖していくものどうしが相互作用して、さらに高いレベルの自動触媒セットが生まれてくる。こんなふうにして低次のものから高次のものへと、階段状の発展が見られることになる。

もしひとつの群が十分に一貫性をもち安定していれば、通常それはより大きな群に対する構成要素になりうる。細胞は組織を、組織は器官を、器官は生物を、生物はエコシステムを、といった具合だ。そうこれこそが「創発」ということなのだと、ホランドは思った。あるレベルの構成要素どうしが結び付いてより高いレベルの構成要素になる。

生物学的な個々の細胞は化学分子から構成される。細胞が上位概念で化学分子が下位概念である。しかし細胞は色んな細胞が組み合わさって組織や器官の構成要素になる。胃や腸を構成する。胃や腸は細胞より高いレベルの概念だが、それはさらに高いレベルの概念である生物を構成する。生物はさらに上位の概念であるエコシステムを構成する。生態系だ。その生物が人間であれば上位概念である世界経済を構成する。

下図の通り階段状の発展が見られる。

ワールドロップ『複雑系』から引用する。

宇宙は一種の階層構造を形成していると見ることができる。複雑さのそれぞれのレベルでまったく新しい特性が出現している。それゆえ、それぞれの段階でまったく新しい法則や概念や一般化が必要なのであり、したがって、前段階におけるのと同じ程度に、インスピレーションと創造性が要求される。心理学は応用生物学ではないし、生物学は応用化学ではない。

ひとつ階層が上がると別世界が広がる。微生物の生命性は単なる化学反応とは別世界が広がっている。上位の心理学では下位の生物学の概念からは予想がつかないような新しい法則や概念が生じる。

以前書いた記事のリンクを載せる。

心はアフリカ

タイムマシンを作ってみた

内容を要約する。私はある地域の文化や歴史を集中的に学ぶことがある。例えばアフリカであれば、アフリカ美術、アフリカ音楽、アフリカ料理、アフリカの歴史、アフリカ文学、アフリカ映画、VRでの疑似アフリカ旅行・・などなど。8世紀のゲルマン時代のイギリスであれば、当時の発掘された美術品を見て、古英語を学び、『ベオウルフ』という当時の文学作品を古英語で部分的に読む。『ベオウルフ』の映画を見る。当時飲まれていたミードという蜂蜜酒を飲む。VRでイギリスの自然を体験する。当時のイギリスの歴史を学ぶ・・などなど。

これも創発だと分かるだろうか。アフリカ料理、アフリカ史、アフリカ美術、アフリカ音楽・・個々のアフリカ文化やアフリカに関する知識が複雑に相互作用を起こし、個々の文化の単純な総和にとどまらないさらに高いレベルの「アフリカ精神」が創発する。

カウフマン『自己組織化と進化の論理』から再度引用する。

生命が出現する前の化学システムにおいて分子の多様性が増加し、その複雑さがあるしきい値を超えた際に、生命現象が創発したと考えることができる。
技術の進化も、実は生物が生まれる以前の化学進化や、適応的な共進化と同じような法則によって支配されている。「急速な経済成長は、商品とサービスの多様性がしきい値を超えた時に始まる」という理論は、化学的な多様性がしきい値をを超えたときに生命の起源が始まるのと同じ論理に従っている。

魚の切り身、醤油、ワサビ、酢、白米が複雑に相互作用し、その複雑さがあるしきい値をこえることで寿司という日本文化、上位概念が立ち現れたように、アフリカ美術、アフリカ音楽、アフリカ料理、アフリカの歴史という個々のアフリカ文化やアフリカに関する多様な知識が、複雑に相互作用し、その複雑さがあるしきい値を超えた時に、アフリカ精神という上位の概念が自分の中で創発する。地上から消えたはずの8世紀イギリスのゲルマン精神も自分の中で再現できる。

私は音楽を聴く。家で聴くときも多いが、外で聴くときも多い。なぜかこれを言うと笑われたり変人扱いされることが多いのであまり他人には言わないけれど、レストランで食事をしながら聞くことがある。

例えばインド料理のレストランで、インドカレーを食べながらインドのサロードという音楽を聴く。料理、食器、インテリア、音楽の相互作用で個々のインド文化を超えたインド精神が創発する。一度インド料理屋で「あんまりうまそうに食べるから食事代タダでいいよ」とインド人のオーナーに言われた。もちろん食事代は払ったが。

私が海外旅行が好きで、いろんな国の思想を学び、色んな言語をかじって、各国の伝統音楽を聴き、各国の料理をレストランで食べ自分でも作り、いろんな国の美術に興味があるのもこの創発を目的にしているからである。私が食材費500円でチベット料理を作り、チベット仏教の声明を聴き、チベット絵画を見ながらその料理を食べるときの創発の感動は、感性があまりない人が50万円だしてチベット旅行に行くよりも、おそらく何十倍も大きいだろうと思う。

雰囲気のいい店で食べると料理が本当においしくなるというのは正しい。これは錯覚ではない。料理よりさらに上位の概念が立ち現れるからだ。化学反応に還元されない生命活動は上位概念だが錯覚ではなく確かに存在するように、料理や食器、インテリアから創発する上位の文化も錯覚ではなくたしかに存在している。

和菓子も包み紙をあけてひとくちで口に放り込むよりも、きれいな器に置いて、緑茶と一緒にきれいな日本庭園を見ながら食べたほうがおいしいのと同じだ。そっちのほうが確実に日本文化が立ち現れて来るからだ。

以上で複雑系の紹介を終わる。次回から本論に入る。

つづきは複雑系神学をご覧ください。

■上部の画像は葛飾北斎

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■作成日:2023/2/6


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