神・人間・科学

別のアナロジーで神の世界と人間の世界と科学の世界を喩えてみる。コンピュータにたとえる。誰かがJAVAというプログラミング言語でゲームを作ったとする。ゲームの画像は例えばこちら。スーパーマリオ。





プログラミング言語は例えば次のような感じでプログラムされる。ちなみに私が遥か昔につくったプログラム。簡単なプログラムだが動かしてみるとそれなりに面白い。ゲームのプログラムでは全くないが、プログラミングの例として載せる。





以下のリンクでコピペできる。

プログラムソース

プログラムされた言語は機械が理解する場合には0と1の羅列に還元される。例えば下の図。





ゲームとJAVAによるプログラムと0と1の羅列は同じ内容を指している。プログラムをする時はJAVAの言語で書かれる。そしてそれが機械が理解する時には機械語つまり0と1の羅列になる。そしてゲームのプレーヤーがゲームをする時はゲームの画像として表現される。これらは同じものの別表現である。3つの次元。

今回の喩えではゲームの世界を神の世界にたとえる。JAVA言語のプログラムを人間の世界にたとえ、0と1の羅列を科学の世界にたとえる。コンピュータのことは知らんと言う人は飛ばしていただければ。あと比喩なので正確ではないと断っておく。不正確な比喩なのでその点気になる人もいるだろう。だが不正確だからと言って私の論が間違えていると言うより、私の出した例が間違えているということになるかと思う。

ゲームの世界である神の世界は神自身だけではなく、聖書やコーランなどの神と人間の関係も含むとする。JAVA言語は人間の世界であり真善美の世界とする。理性や道徳や芸術の世界。0と1の羅列は自然科学の世界。目的を持たず科学法則にのみ従う。

人間の世界を知っているが神の世界を知らない人がいるとする。JAVA言語は読めるけれどゲームと言う世界を知らない人。ゲームを見たことがなくゲームというものが存在しているということも知らない。Aさんとする。別の人でゲームの世界を知っているBさんが「このJAVAのプログラムって本当はゲームの世界を表しているんだよね」と言う。Aさんは反論する。「うそだ。ゲームなんて存在しない。プログラムコードしかないじゃないか。」と言う。Bさんが「スーパーマリオがピョーンと跳んで・・」と言うとAさんは「ピョーンととは何だ?そんなものどこにもプログラムされていないじゃないか」と反論する。神の世界を知らない人はそういうだろう。

また別の人は自然科学に詳しいとする。しかし人間の世界の真善美を信じていない。人間の世界は欲望だけだと思っている。機械語である0と1の羅列を知っているがJAVAのプログラミング言語を知らない人。JAVA言語などが存在すると知らない。Aさんが「この0と1の羅列はJAVA言語を表しているんだよね」と言う。しかしJAVA言語を知らない人は「うそだ。そんなものは存在しない。0と1の羅列こそが真実だ。0と1の羅列には何の意味も目的もないんだ」と言う。真善美を信じない人は、人間には欲望しかなく、世界には何の意味も目的もないと思うだろう。それと同じだ。

ちなみに0と1の羅列から意味や目的を見出すのはほぼ不可能である。私が一時期コンピュータを学んでいたころ一緒に勉強している友達と次のような冗談を言っていた。

私:今日から機械語で話そうかな。
友達:機械語?まじ?
私:いくぞ。010011000101001111・・
友達:どこからがジャンプ命令なのか分からねーよ!

0と1の羅列から意味を見出すのは非常に困難である。自然科学の法則から人生や世界に意味を見出すのが困難なのと同じである。

人間の歴史でいうと最初は人間の世界のみを知っていた。いや最初に神がアダムを創ったのだから最初は神の世界を知っていたと言う人もいるかもしれない。よく分からないがとりあえず人間の世界を最初に知っていたとしよう。真善美の世界でJAVA言語の世界である。

しかしユダヤ人という民族が神と接触しその考えが世界に広まる。聖書が広く読まれる。世界は神の世界だという認識が広がる。JAVA言語で書かれている世界は本当はスーパーマリオというゲームの世界を表していると認識される。中世ヨーロッパでキリスト教が支配的になったのを喩える。

しかしこの後、近代科学が現れる。みんな神の世界を信じていた時に、自然科学によって自然には神が存在しないと説明される。世界はスーパーマリオというゲームだと思っていたのに、本当は0と1の羅列にすぎないと言うわけだ。そして世界はスーパーマリオだという世界観は忘れ去られる。世界は神が動かしていると思っていたのに、冷たい科学法則しかないと思われ始める。

現代ではいろんなタイプの人がいる。神の世界を現在でも信じている人はいる。神の世界を信じ、人間の真善美も神の心に適うとして信じている人がいる。ゲームの世界とJAVA言語の世界を信じている。そしてそういう人は科学を信じない。世界は0と1の羅列だと信じない。そういう人は進化論も否定するだろう。

人によっては神の世界を信じるのをやめて、人間の世界と科学の世界を信じると言う人もいる。ゲームの世界を信じない。JAVA言語と0と1の羅列を信じる。こういう人の一部は徹底的な合理主義者。科学と人間理性を信奉する。そういう人も確かにいる。

真善美という人間の世界も信じない人もいる。0と1の羅列のみを信じる人。こういう人は、自然には物質とエネルギーとそれらを支配する冷たい物理法則しかなく、人間には金と性とそれらを求めるドロドロとした欲望しかないと考える。「結局顔と金でしょ」と言う。

空海『秘蔵宝鑰』冒頭に次の有名な詩句がある。神を捨て、人間的な真善美という正しい目的をも棄てた人を次のように詠んでいる。

原文
三界狂人不知狂
四生盲者不識盲
生生生生暗生始
死死死死冥死終

書下し文
三界の狂人は狂なるを知らず。
四生の盲者は盲なるを識らず。
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
死に死に死に死んで死の終りに冥し。

三界とは欲界、色界、無色界の三つの迷いの世界であり、そこに住む我々は自分が狂人であると気づいていない。

四生とは母胎から生まれた胎生、卵から生まれた卵生、湿気のある所から生まれた湿生、何もないところから生まれた化生の四つを指す。要は生き物全体を指す。我々凡人は盲者であるが自分が盲者であると気づいていない。

生まれる前のことはただ暗闇としてしか認識できず、死んだ後のことも暗闇としか認識できない。

つづきは聖書に間違いはないかをご覧ください。


■チベット仏教声明
『地獄の王マハーカラへの声明』

■上部の画像はチベット絵画

■このページを良いと思った方、
↓のどちらかを押してください。




■作成日:2023/2/16


■関連記事