複雑系神学

1800年ころフランスにラプラスという天文学者がいた。自然科学の著作をナポレオンに献呈した。その時ナポレオンから「あなたの著作には神はどこに出てくるのか?」と聞かれた。ラプラスは「私の説には神は必要ではありません」と答えた。

世界は神が動かしていると思われていたのに、新しい自然科学では神が出てこないじゃないかというわけだ。これで神が世界を動かしているという中世の考えは否定された。

もし物理学に変数Gが登場し、この変数が神の意思を表して、それが物理世界を動かすのであれば神は存在すると言える。しかしそのような変数は存在しない。世界や宇宙は神が動かしていると思っていたのに、神は自然法則と関係ない。神は存在しないのではないかという結論になる。これは神が存在しない証拠になるか。

神が存在しないという一定の根拠にはなる。しかし完全な証明にはならないと思う。次のように考えることもできるからだ。要は神や神の計画を上位概念としてとらえ下位概念として捉えない考え方だ。複雑系の定義を再度wikipediaから引用する。

複雑系:相互に関連する複数の要因が合わさって、全体としてなんらかの性質、あるいはそういった性質から導かれる振る舞いを見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。

すでに述べたように下位概念である水分子ひとつひとつには「液体性」という性質はない。しかし水分子が何兆個も集まると全体として上位概念である「液体性」が立ち現れてくる。同様に下位概念である科学法則のどこをみても「神」という概念は見いだせないが、自然界、人間界の全体を見ると上位概念である神の計画が立ち現れてくるかもしれない。

微生物の生命活動という全体性は、微生物の中で生じている個々の化学反応を見ても明らかではない。個々の化学反応を見てもどこにも生命性は見られない。しかし微生物の生命性は全体として立ち現れてくる。そしてその生命性は個々の化学反応を統御している。同様に個々の科学法則を見ても人間の日常生活を見ても、そこに「神」という概念は見いだせない。しかし自然界、人間界の全体を通して神の計画が立ち現れてくる可能性は否定できない。上記の複雑系の定義に「その全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでない」とある通りだ。

我々の体には「消化・循環」という概念がある。唾液はデンプンを糖に分解する。腸は蠕動運動で食べ物を送り出す。胃は消化のための胃液を分泌する。血液は栄養を全身に運ぶ。我々の体内で膨大な化学反応や物理運動が生じているが、それらはてんでバラバラに生じているのではなく、あたかも生命を維持するという目的を持つかのように、「消化・循環」という概念によって統御されている。同様に自然界や人間界は神の計画によって全体として統御されている可能性は残る。

白米、酢、魚の切り身、ワサビ、醤油という個々の食材には日本文化を見出せないが、それらが相互作用すると、全体として日本文化が創発する。同様に自然界や人間界の個々の現象に神が見いだせなくとも、全体として神の計画が創発する可能性はある。

科学に神が出てこないからと言って神が存在しないと即断するのは恐らく十分な根拠がない。

以上の論述は比喩である。我々には分かりづらい神の計画を、我々に分かりやすい水分子や微生物の例のアナロジーで説明している。比喩は正確ではない。完全に正しい比喩はあり得ない。大きく間違っているか少し間違っているかの差しかない。比喩を用いるのは分かりやすさのためであって正確ではない。

神が「奇跡」によって物理世界に介入しない限り、上位概念に止まり下位概念に介入しない限り、宗教と科学は矛盾しない。仮に神が奇跡によって物理世界に介入することが稀にあるとしても、基本的には神が上位概念に留まるとすれば、神が存在する可能性は残る。神が上位概念として世界を動かしている可能性がある。

物理法則に変数Gが存在し、自然法則のうちに神の意思がおりこまれているなら、物理法則に奇跡がおりこまれているとなる。しかし実際にはそうなっていない。仮にモーゼのエジプト脱出のような奇跡が起こりうるとしても、その都度神の意思が働いて奇跡を起こすことになる。

神は絶対的存在であればもちろん奇跡を起こせるはずだ。神が上位概念に留まるからと言って下位概念である物理世界に介入できないと述べているのではない。神がもし存在するのならば意図的に介入しないようにしていると思われる。

私は聖書をよく読んでいないので知らないが、識者によると聖書で奇跡の記述があるのは出エジプト記の海が割れてモーゼたちを通したという記述とイエスによる奇跡、それとあと1回くらいでそんなに多くないらしい。わたしは海が割れてモーゼたちを通したという奇跡を信じる者ではないが、もし神が絶対的存在ならばそれは可能なのかもしれない。よく分からない。

聖書を字義どおりに解釈すると聖書の記述は科学的知識と矛盾する。例えばエデンの園に「命の木」「知恵の木」があったと記載があるが、文字通り物理的にそのような木が生えていたと解釈するのであれば、現在の世界にそのような木は生えていないため、科学的知識と恐らく矛盾する。しかし聖書の記述を象徴的に解し、上位概念としてとらえるならば、恐らく科学的知識と矛盾しない。宗教と科学の矛盾については後述する。

象徴であれば単なる比喩であって現実ではないと思われるかもしれないがそうではない。微生物の生命性は化学反応の上に確かに存在するように、寿司という日本文化が食材の上に確かに存在するように、聖書やコーランの精神的世界も仏教の悟りの世界も物理世界の上に存在するのかもしれない。自然界や人間界全体の歴史を通して神の計画が創発してくる可能性はいまだ否定できない。

では現在われわれが自然界や人間社会の歴史を全体として見て、神の計画は立ち現れて見えるであろうか。私には現代の世界を見て神の計画が立ち現れているとは思えない。しかし立ち現れていると考えた人もいる。トクヴィル著『アメリカのデモクラシー』から引用する。

神みずから語られなくとも、その意志の確かなしるしは見いだせる。自然の通常の運行と歴史の持続的傾向とを確認すれば足りる。主が声高く語らずとも、天体は御手のひきたもうた軌道をたどることを私は知っている。
今日の人々が長期の観察と真剣な思考によって、平等の漸次的段階的進展こそ人類の過去であり、未来であるという認識に至るならば、それだけでこの進展は至高の主の意思にふさわしい神聖さを帯びることになろう。そのときデモクラシーを阻止しようと望むのは神への挑戦と映り、諸国民に許されるのは神意によって与えられた社会状態に適応することだけであろう。

トクヴィルは19世紀前半にこの書物を書いた。その当時の民主主義が欧米に広がっていく「平等の漸次的段階的進展」という過程を、トクヴィルは神の計画の実現と捉えた。私は民主主義を支持しているし民主主義は世界に広がるべきだと思っているが、神の意思とまでは思わない。しかし神の意思と考える人もいるだろう。

トクヴィルは神の意思を知るには「自然の通常の運行と歴史の持続的傾向とを確認すれば足りる」と述べている。やはり自然界と人間界の歴史を確認すると全体として神の計画が創発してくると述べている。

しかし現在の世界を見ても神の計画が立ち現れているとは思えない。科学技術は驚異的発展を遂げている。しかし貧富の差は大きく、さらに人間性は成長していない。科学技術は発展していても人間精神は成長しない。別に私は高みから説教を垂れているのではない。私自身を含めて成長していないと言っているのだ。

それにナチスのホロコーストの時に一体どこに神がいたのか、という疑問ももっともである。神に選ばれたはずの600万人のユダヤ人が犠牲になった時、神は沈黙していた。神に祈った犠牲者も多かっただろう。神は助けなかった。神が存在しないとして論拠として挙げられるのはよく分かる。

ただ自然を見て神は存在するかもしれないと思う時はある。このシリーズの2回目の『自然の美と精巧さ』で「自然は非常に精巧にできている。だから誰かが創った。神が創った。」という議論に言及した。その時は「確かに自然は精巧にできているが、それは神が創ったのではなく、進化によってできたのだから、神が創ったという証拠にならない。」と述べた。しかし自然の進化の歴史を通じて神の計画が創発し立ち現れてくるという立場に立てば、自然のあまりの精巧さは神の偉大な計画の現れだと解釈できなくはない。自然の進化の歴史を通じて神が精巧な自然を創ったと言えるかもしれない。自然の驚異的な精巧さは、神の偉大な計画の実現の結果にふさわしく、神が存在するというそれなりの根拠になりえる。

我々が神を論じるに際し必ず付きまとう困難は、我々には神の意思や神の計画の全体像をつかむことが不可能であるという点にある。世界の歴史を見ると神の計画が立ち現れてくると言っても、その世界の歴史が完成していない以上、神の計画はよく分からないのである。聖書やコーランを徹底的に読み込むことで部分的に推測は出来ても全体像は分からないのだ。

科学でもインスピレーションは必要だが、しかしそのインスピレーションは最終的には事実と論理に還元されて証明される。しかし宗教ではこの証明ができない。事実と論理に還元できない。どうしても「信仰」たらざるを得ない。だから私のようにインスピレーションだけではなく事実と論理も重視する人間は、神の存在に完全な確信は持てないのである。

つづきは続・複雑系神学をご覧ください。


■チベット仏教声明
『地獄の王マハーカラへの声明』

■上部に掲載の画像はチベット絵画

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■作成日:2023/2/7


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