複雑系概説 前半

今回から宗教と科学の関係について論じていくが、その前に科学で以前流行した複雑系という考え方について確認していく。複雑系の概説。本当は6回目の今回で概説しようと思ったが、思ったより長くなったので今回と7回目の次回で概説する。8回目から本格的に宗教と科学の関係を論じることにする。

複雑系は1990年代に流行した科学哲学だが、最近はやや廃れていると言われる。現在は下火になっていてもその思想内容はきわめて重要であり、またそのうち隆盛する可能性もある。まずその内容を紹介していく。今回と次回の内容は理論的準備の内容だが、ここが理解できないと後が全滅するので非常に重要な内容である。ただし細かいところは理解できなくてもいい。大雑把に分かれば十分である。

「複雑系」の対義的な概念が「還元主義」である。wikipediaから引用する。

還元主義:対象の中に階層構造を見つけ出し、上位階層において成立する基本法則や基本概念が、「いつでも必ずそれより一つ下位の法則と概念で書き換えが可能」としてしまう考え方のこと。

たとえば微生物がいる。微生物の身体は分子から成っている。微生物の活動は化学反応の集合である。しかし微生物は生命でもある。上記の還元主義の定義にある「上位階層」とは生命性であり生命活動である。「それより一つ下位の法則と概念」というのは化学の法則と概念を指す。「書き換えが可能」とは、微生物のもつ生命性は、化学の法則と概念で置き換えられるという意味である。

簡単に言い換えると、還元主義の考え方は「微生物は分子のあつまりに過ぎず、微生物の活動は化学反応の集合にすぎない」となる。微生物の上位の生命活動は下位の化学反応に還元される。これは伝統的な科学の考え方である。

それに対して複雑系という考え方がある。これは1990年代から注目され始めた考え方である。wikipediaから引用する。

複雑系:相互に関連する複数の要因が合わさって、全体としてなんらかの性質、あるいはそういった性質から導かれる振る舞いを見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう。

微生物の例で言うと「個々の要因や部分」というのは分子であり化学反応である。「全体としてなんらかの性質、あるいはそういった性質から導かれる振る舞い」というのは微生物の生命活動である。分子とその化学反応からは全体としての生命活動は明らかではないという。

簡単に言うと「微生物の生命活動は化学反応の集まりではあるけれど、単なる化学反応の集まりではない」となる。化学反応の集まりに還元されない、全体としての生命性を持っているという意味。

以前も論じたが「人間は動物である」という言葉がある。これは「人間は動物にすぎない」を意味するかもしれないし意味しないかもしれない。人間は動物ではあっても理性を備え、道徳を持ち、芸術を創るから「単なる動物ではない」とも言える。「人間は動物にすぎない」というのが還元主義の立場に近い。「人間は動物であっても単なる動物ではない」というのが複雑系に近い。

動画をご覧ください。

この微生物の動きを見ていただきたい。微生物の生命活動は化学反応の集まりではあるが、明らかに生き生きとしていて自律的な動きをしている。なんと深遠な動きだろう、と私なんかは思うのだが。微生物は化学反応の集まりではあるが、化学反応を超える生き生きとした生命性が全体として立ち現れているのが直感的に分かる。

上記の複雑系の定義を微生物に関して書き換えてみると次のようになる。

微生物は、複数の化学反応が相互に関連し合わさって、全体として生命活動をみせており、その全体としての生命活動は個々の化学反応からは明らかではない。

創発という概念もある。wikipediaから引用する。

局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。

個別の要素である化学反応からは予測できないような、微生物の生命活動というシステムが組織化されることを言う。

このような例はたくさんある。ワールドロップ『複雑系』から引用する。

例えば水。水の分子自体は少しも複雑ではない。大きな酸素原子一個に、ミッキーマウスの耳のように小さな水素原子二個がついているだけだ。この分子の振舞いは、原子物理学のよく理解された式に支配されている。だがそういう分子何兆個をポットのなかで一緒にすると、突然ゴボゴボ、ジャバジャバと揺れる物質になる。つまりその何兆という分子全体が、個々の分子にはない液状という特性を獲得したのだ。原子物理学の式そのものにはそういった特性を匂わせるものは何もない。液状という特性は「創発的」なのである。

wikipediaの複雑系の定義にあるように水が全体としてもつ「液体性」というのは、個々の水分子の性質からは明らかではない。水の液体性は全体として創発してくる。個々の水分子は原子物理学の法則に従う。しかし全体としての「液体性」は原子物理学からは導けないという。ワールドロップ『複雑系』からさらに引用する。

気象は創発的な特性だ。メキシコ湾上の水蒸気が光や風と相互作用するとハリケーンという創発的な構造になる。

台風も同じである。南太平洋での水蒸気が光や風と相互作用して台風が創発する。そして日本にやってくる。台風は個々の水蒸気や風からは明らかではない。台風を構成する個々の要素が相互作用して、全体として台風という現象が創発する。

ワールドロップ『複雑系』からさらに引用する。

生命は創発的な特性であり、化学法則に従うDNA分子、タンパク質分子、その他もろもろの分子から生まれている。

これは微生物の例で説明した通りである。

我々の身体には「消化・循環」という概念がある。食べ物を胃や腸で消化し体に取り入れ、栄養を血液が体全体に運ぶ。体内では膨大な化学反応や物理作用が生じている。唾液によるデンプンの糖への分解。胃液の分泌。腸が食べ物を先に送る蠕動運動。血液による栄養の運搬などなど。

それらはてんでバラバラに生じているのではなく、あたかも生命を維持するというひとつの目的を持つかのように「消化・循環」という概念によって統御されている。個々の化学反応や物理作用が下位概念で「消化・循環」が上位概念になる。個々の化学反応や物理作用を見ても、必ずしも「消化・循環」という上位概念は明らかではない。しかし全体としてみると「消化・循環」という上位概念が立ち現れて来る。

料理も同じかもしれない。パスタの乾麺、卵、パルメザンチーズ、ブラックペッパー、塩、ベーコンなどは食材であるが、それらを適切な方法で調理すると、カルボナーラというイタリア料理が創発する。個々の食材の単なる総和にとどまらない、「イタリア料理」「イタリア文化」という、食材より高次の概念が全体として創発するのが分かるだろうか。

イタリア料理は知らんという人がまれにいるので例を追記する。生魚の切り身、醤油、酢、白米、ワサビという個々の食材があるが、それらを適切な手順で組み合わせると、寿司ができる。個々の食材の総和にとどまらない「日本料理」「日本文化」が全体として創発する。寿司という日本文化は個々の食材からは必ずしも明らかではない。

カウフマン『自己組織化と進化の論理』から引用する。

生命が出現する前の化学システムにおいて分子の多様性が増加し、その複雑さがあるしきい値を超えた際に、生命現象が創発したと考えることができる。
技術の進化も、実は生物が生まれる以前の化学進化や、適応的な共進化と同じような法則によって支配されている。「急速な経済成長は、商品とサービスの多様性がしきい値を超えた時に始まる」という理論は、化学的な多様性がしきい値をを超えたときに生命の起源が始まるのと同じ論理に従っている。

個々の食材から寿司という日本文化が創発するのもこれと似ている。魚の切り身だけでは日本料理にならない。それに醤油がくわわると少し日本料理っぽくなる。さらにワサビがくわわると刺身になり日本料理になる。さらに酢飯がくわわると寿司になる。食材の多様性が増加しその複雑さがしきい値を超えた時に日本文化が創発するのだ。

我々が寿司を食べる時、どう味わっているかをよく思い出してほしい。魚と酢と白米と醤油とワサビという個々の食材が複雑に絡み合って、全体としての日本文化を形成しているのが感じ取れるだろう。食材同士の相互作用の複雑さがしきい値を超えた時に日本文化が創発する。

チーズバーガーも同じだ。パン、ビーフ、チーズ、ケチャップ、マスタード、オニオン、ピクルスなどの個々の食材が複雑に絡みあい、その複雑さがしきい値を超えた時にアメリカ文化が創発する。

つづきは複雑系概説 後半をご覧ください。

■上部の画像は葛飾北斎

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■作成日:2023/2/2


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