難きをその易きに図る~老子を読む9

15.難きをその易きに図る

 昔中国に医者の三兄弟がいたという伝説がある。

 長男は人々が病気になる前に、病気のもとを治療するので村中で有名になった。 次男は人々の病気が軽いうちに治癒させるので国中で有名になった。 三男は人々の病気が重くなってから治癒するので天下に名を知られた。

 三人とも医者として貴重な人材であるが、三男の方が有名になると言う説話である。

 これに関連して第六十三章に次の言葉がある。

書下し文 
難きをその易きに図り、大なるをその細(ちい)さきに為す。
天下の難事は必ずその易きより作(おこ)り、
天下の大事は必ず細(ちい)さきより作(おこ)る
是を以って聖人は終に大を為さず 故に能く其の大を為す

現代語訳 
難しい仕事はそれが易しいうちに考え、
大きな仕事はそれが小さいうちに対処する 
世界の難しい問題もかならず易しい問題から起こり、
世界の大きな問題はかならず些細な問題から起こる
そのため聖人は大きな仕事を行わない 
ゆえに大きな仕事を為すのである。

 

 聖人は医者の長男のように、問題が簡単なうちに対処してしまうので、多くの人が気づく前に世の中を良くしてしまう、と老子は主張する。 よって聖人の仕事は「轍迹無し」=「形跡が歴史に残らない」と言うのであり、「太上は下これ有るを知るのみ」=「最も優れた君主は人民はその存在を知るだけである」と言うのである。

 周の武王が殷の紂王を討ったような、目覚ましい功績が重要なのは言うまでもないが、老子が言う側面も確かに存在するのである。

 『韓非子』に次の説話がある。

 長さ千丈の大きな堤防も螻や蟻の小さな穴から決壊し、百丈四方の大邸宅も煙突の火の粉から焼けてしまう。だから治水に巧みな白圭が堤を見て点検するときは、その小さな穴をふさぎ、 経験を積んだ老人が火元を用心するときは、煙突のわれめを補修する。それゆえ白圭の点検した堤には洪水の心配がなく、老人の用心した家では火災の心配がない。これこそすべて、 易しい仕事を慎重に行って大きな困難の来るのを回避し、小さい仕事を慎重に扱って重大な事態を引き起こさないという配慮である。『韓非子』喩老第二十一

 さらに韓非子から引用する。

 殷の紂王が象牙の箸を作ったので、賢臣の箕子は不安におののいて、こう考えた。「象牙の箸なら、きっと素焼きの土器の上にのせたりはするまい。必ず犀の角や玉で作った杯を使うに違いない。 象牙の箸と玉の杯なら、きっと豆や豆の葉っぱを汁ものにしたりはするまい。必ずから牛や象の肉、豹の腹子といった珍味となるに違いない。から牛や象の肉、豹の腹子となると、 きっと民衆のような粗布を着て茅葺の家で食べたりはするまい。かならず錦の着物を幾重にも重ねて高殿の広い部屋に居るであろう。私はその行く末を恐れる。だからこそ初めの段階で不安を抱くのだ。」 それから五年たつと、紂は肉をおし並べて大きな焼き肉の炉を構え、酒粕の山に登って酒の池で遊ぶようになった。紂はそのようにして滅んだのである。箕子は象牙の箸を見て天下の大難を予見したのである。『韓非子』喩老第二十一

 以上は『韓非子』の喩老篇であり老子が韓非子に影響を与えている一例である。

 さらに韓非子から引用する。

 晋の人がケイの国を討った。斉の桓公がそれを救おうとしたところ、臣下の鮑叔がこう言った。「早すぎます。ケイが滅びるまでまで放っておかないと、晋は疲弊しません。 晋が疲弊しないと、斉の威勢は強くなりません。それにそもそも、危急を支えてやる功績よりは、亡国を復興してやる恩恵の方が、ずっと高く評価されるものです。 わが君には、遅くまで救いに行かないで晋の国を疲弊させ、それによって我が国の実際の利益を収め、ケイの国が滅びたあとでそれを復興してやって、 それによってわが国の評判を高めるというようになさるのが、なによりでしょう。」桓公はそこで救わないようにした。

 これは上記の老子の思想を逆手に取った説話である。医者の長男のように早めに他人を救うより、三男のように事態が深刻化してから救った方が評判が高まる、という考えである。 かなり危険な思想と言える。

続きは淡乎として其れ味無し~老子を読む10をご覧ください。

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