無欲にして其の妙を観る~老子を読む4

5.二つの門の閉じ方

 第二十七章に戻る。

書下し文  
善く閉ざすものは関鍵無くして開くべからず

現代語訳  
優れた門の閉じ方をする者は鍵を使わないが誰も門を開けられない

 鍵を用いて門を閉じるのは、自然な大道に背く方法だと言った。なぜなら鍵を用いて門を閉じると 「大切なものを隠しています」と言っているのと同じだからである。 その時点で老子としては自然な在り方に背く、というわけである。 鍵を何とかしてこじ開けようとする人々を引き付けてしまうからである。

 それにより鍵をこじ開ける技術が発達し、それに対抗するように鍵で門を閉じる技術も発達する。 場合によっては警備の兵が置かれ、その警備を破るために盗賊団が形成される。 どんどん事態が複雑になり錯綜するのが分かるだろう。

 第三章をもう一度引用する。

書下し文  
得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗を為さざらしむ

現代語訳  
珍しい財宝を尊重しなければ人民は盗みをしなくなる

 上に立つものが宝物・財宝を尊重しなければ皆財宝をほしいと思わないので、鍵を使わなくとも誰も倉庫の門を開けようとはしない。 鍵を用いなくても自然と門は閉じられるのである。

 鍵を用いた門の閉じ方で事態が錯綜したのに対し、大道による門の閉じ方はいかに自然でシンプルあるかが分かるだろう。 両者の門の閉じ方はきわめて対照的である。

6.無欲にして其の妙を観る

 第一章に次の言葉がある。

書下し文  
常に無欲にして以ってその妙を観、
常に有欲にしてその徼を観る

現代語訳  
常に無欲であれば妙なる大道を観るが、
常に有欲であれば錯綜した現象を観る

 聖人は鍵を用いずに自然に門を閉じる。聖人も人民も無欲の状態にあり、その時聖人は「妙なる大道」を観ているのであり、 人民はその大道に従っているのである。よって「常に無欲にして以ってその妙を観る」=「常に無欲であれば妙なる大道を観る」というのである。

 鍵を用いて門を閉じる行為は逆に鍵を開けようとするものを引き付け世の中は錯雑紛然たる状況になっていく。 人々は世の中の錯綜した差別相のなかに埋もれてしまう。門に鍵をかける統治者は財貨を守ろうという欲の中にあり、鍵を開けようとする盗人は財貨を盗もうとする欲の中にいる。 両者とも複雑な現象のうちに捕らわれている。よって「常に有欲であればその徼を観る」=「常に有欲であれば錯綜した現象を観る」というのである。

続きは民と偕に楽しむ~老子を読む5をご覧ください。

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