日本人は中国思想を読んだほうがいい

日本人は中国思想を読むべきだろうか。『停滞する現代日本に最も欠けているもの』である程度論じたので参照してほしい。前半部分だけでいい。

ビジネスにおいて日本は停滞している。ひと昔まえの製造業では技術が重要だった。勤勉で仕事が丁寧な日本人はそれに向いていた。だから一時的に成功を収めた。工業国家としてうまくいっていた。しかしIT革命を経た現代においては、もちろん引き続き技術も大事だが、戦略も必要となった。日本はこの戦略が苦手とされている。それで停滞が続いている。

戦略と言うのは個々の部分、個々の要素が、全体によって統御され、相互に有機的に連関することである。そのためには背景となる体系的な思想が必要である。それを中国思想が補ってくれる可能性がある。

中国思想には体系がないと考える人もいる。確かに『論語』だけを読んでも、そこに体系を見いだすのは困難である。大学時代、西洋思想を専門にしている人で、『論語』には思想がない、と言っている人もいた。しかしそれは違うのであって、『論語』以外の中国思想の古典を多く読むと、中国思想には体系性があると分かる。その体系性を理解したうえで『論語』を読むと、「この部分は全体のここにあたるな」と分かる。

中国思想を読むことでビジネス戦略の背景となる体系的思想を獲得できる可能性がある。

戦略性がないのはビジネスだけではない。国全体としても同じである。よく日本の政策は総花主義であると言われる。戦略とは優先順位をつけるということでもある。戦略があれば総花主義にはならないはずである。もっとも有効な戦略もないのに、総花主義を廃してもうまくはいかないだろう。有効な戦略がない間は総花主義のほうが無難なのかもしれない。

私はいろんな分野を少しづつかじっている。いつも思うのは日本人はどの分野をやっても、それなりに仕事ができるということだ。そこそこのレベルは保てる。思想も歴史も法学もプログラミングもビジネスもそれなりにできる。パーツはそれなりによい。しかし全体のつながりが非常に良くない。だから分野横断的なイノベーションもおきづらい。それは体系的思想がないからである。各分野が全体として有機的に連関する体系的思想がない。大学で思想は講義されている。しかし、日本の大学哲学は体系的戦略を生むことはない。少なくとも現在までは。大学哲学自体ひとつのパーツになっている。

どうやったら体系的思想ができるか。もしかしたら中国思想を学ぶことで部分的に解決するかもしれない。中国思想の古典を読むと先ず部分の理解が進む。さらに何周か読むと、部分がつながって全体の体系が理解できる。さらに読むと全体の理解が部分の理解をさらに促すようになる。

下の図。部分の理解が全体のつながり、全体の体系の理解を促し、全体の体系の理解が部分の理解を促す。





「弾み車の法則」と一般に呼ばれている。リンク→新鮮な魚屋さんはさらに新鮮になる。好循環の法則。

このサイクルが発動し、何回転もすると思想体系が自分の中に生じる。部分と部分が、全体の体系によって統御され、有機的に連関する。このサイクルが何度も発動すると中国思想をある程度理解したと言える。

このサイクルを十分に経た人は知識が足りなくても、思想家であり、このサイクルを経ていない人は、中国思想の知識があっても文献学者である。

スティーブ・ジョブズを次のように評した人がいる。

スティーブは根本的な原理から一気に細目へと行けるのです。

細目である部分と根本的原理である全体がスティーブ・ジョブズの中で有機的に連関しているのが分かる。

例えば私も、「現代日本をどうやって良くするか」という全体的な目標と、そのためには「目の前の古典の文章をどう訳すか」、という細目を行ったり来たりする。

中国思想を学んだほうがいいもうひとつの理由として、日本人は漢字が読めるという点がある。思想の古典というものは、本当のところは原文で読まないとよく分からない。

例えばドイツ哲学を読むのも、日本語訳や英訳で読むのもよいが、本当のところはドイツ語に習熟するまで読めないのだ、と大学時代、教授が言っていた。

日本人は漢字が読めるので、中国思想の本質にアクセスしやすいというメリットがある。

もうひとつの理由は我田引水的な理由である。

私は中国思想を現代日本人が理解しやすいように書こうとしている。哲学の古典は現代日本人が理解しやすいように書かれていない。古代中国思想であれば、古代中国人向けに書かれているし、古代ギリシャ哲学は古代ギリシャ人に分かるように書かれている。古典は現代日本人には分かりづらい。そこで私は現代日本人向けに分かりやすく書こうとしているのだが、恐らくそれでもかなり分かりづらいと思う。

中国思想を多く引用しているが、中国思想を引用していない場合でも、背景的な思想体系の半分くらいは中国思想に由来している。引用した文章は論述のパーツ、部分にあたる。これが目に見える部分。背後にあり目に見えない体系は、よく分かりづらいが、中国思想がかなりの部分、背景としてある。

■2024年12月8日追記。

実際に引用した部分は「具体的な文字」として現れる「有形」の部分。目に見えない体系は具体的な文字として現れない「無形」の部分である。「有形」の部分も大事だが、「無形」の体系はもっと大事である。

追記終。

中国思想を勉強すると私の文章は格段に読みやすくなる。これは我田引水的な理由。

私は中国思想を分かりやすく書こうとしているが、ひとりで書く量はどうしても限られる。もし日本人が中国思想に興味をもって読んでくれれば、読むべき書物が嵩増しされる。それも利点の一つである。

続きは中国思想を読まないほうがいいかもしれない理由をご覧ください。

■作成日:2024年12月4日。


■上部の画像は葛飾北斎
「女三ノ宮」。

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