中国思想に上級編はもちろんある。例えば『易経』だ。物事の二面性を『易経』以上に精緻に解説した書物はおそらくないだろう。「西洋思想はすべてプラトンへの注釈である」と述べた人がいるが、「中国思想はすべて『易経』への注釈である」と言ってもいいかもしれない。「道」を理解するということは『易経』を理解するということである。
しかしこの『易経』はきわめて難解であり、読んでもよく分からない。私もよく分からなかった。しかし公田連太郎の『易経講話』を手に入れてから、ようやく分かるようになってきた。全五巻で3000ページある。現在勉強中である。
あの難解な『易経』をよくここまで分かりやすく書けたものだと思う。『易経』は読むのにコツがいる。そのへんも分かりやすく注意書きしてある。最初からこの本で勉強していれば長年の努力が無駄にならなかったのにと思う。現代日本語で手に入る書物のなかでは一番わかりやすい『易経』の解説である。日本で一番偉い儒者は佐藤一斎だと、狭い見聞で判断していたが、公田連太郎の方が上のようである。古典入りしていい本だと思う。
中国思想を山登りに喩える。私は五合目あたりをうろうろしていた人間である。中国思想は五合目くらいまではそんなに難しくない。頑張って10年もすれば五合目にたどり着ける。しかしその先が急激に難しくなる。原因は『易経』である。『易経』が最高峰だからだ。それまで人がなんとか通れる感じの道が、急に断崖絶壁になる。
公田連太郎の『易経講話』を読むと五合目から七合目までロープウェイで自動的に登っていく感じがする。登山は自分の足で苦労しながら登るものだと思っていた私からすると、これでいいのだろうか、と思うくらいである。
中国思想の頂上をきわめるのはあまりにも難しい。もともと中国思想は象牙の塔に閉じこもるための思想ではない。現実応用が目的である。だから中国思想の頂上をきわめるということは、現代日本人であれば、現代日本の問題を、ほぼすべて解決できるようでないと頂上をきわめたことにならない。『易経』を学んで、そして『易経』を離れて『易経』の思想を現実世界に応用し、現代日本の問題をほぼすべて解決するということだ。それは基本的に不可能である。
『易経』を紹介したが、『易経』は読むのをお勧めはしないということを付言しておく。
続きは儒教は偽凡的である。をご覧ください。
■作成日:2024年12月4日。
■上部の画像は葛飾北斎
「女三ノ宮」。
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