中国思想を読む順番

中国思想を現代日本に広めるのは、すでに述べたようにもしかしたら時期尚早かもしれない。しかし現段階で中国思想の古典を読んでみたいという人も少数ながらいるかもしれない。それは素晴らしいことなので、現代日本人がどこから読み進めたらいいかを、書いておく。

読む順番ということになるが、この手の読む順番のおすすめは時々ある。しかしあてにならない。私がこれから言う順番も当てにならないと思ってほしい。

寿司を食べる順番というものがある。淡白な白身魚からたべて、徐々に濃厚なトロなどに移っていくというのが正しい食べ方らしい。それなりに意味があるのかもしれない。しかし寿司の板前さんからすると、そんなの気にせず好きなものから食べたらよいのだそうだ。

中国思想を読む順番も、私が述べる順番は、私の場合うまくいったという順番に過ぎない。本屋とかで立ち読みして、自分のフィーリングにあったものから読むというのが、一番正しい順番ということになる。しかし私の場合はこうした、という例を一応載せておく。

まず読むべきは『論語』『大学』『中庸』である。基本中の基本になる。他の中国思想の本はこの三書の思想が基本となっている。三書の内容が直接的にもしくは間接的に引用されるし、引用されなくても三書の思想が前提になっていてそのさらに積み上げとなっている場合が多い。

春秋戦国期の思想。B.C.6世紀~の思想である。岩波文庫で読んでいるが、私は適宜、新釈漢文大系で補っている。

仏教でもそうだが、儒教でも、どの経典を根本経典にするかにその人の学問の性格が表れる。私は現在は根本経典は『易経』に移行しつつあるが、それまでは『大学』『中庸』だった。『論語』はすぐれた書だが人口に膾炙されすぎて新鮮味がなくなっている。『論語』の良さが分かるようになったのは、私の場合けっこう後になってからである。どれから読んでも構わない。フィーリングにあった本から読むといいと思う。

次に薦めたいのが『菜根譚』である。この本は明の万暦時代の本。1600年ころである。中国思想ではかなり新しい部類になる。華やかな時代の作品なので、文章もうつくしい。私はたまに漢詩を鑑賞する。理解できない作品も多いが、好きな作品もたくさんある。『菜根譚』は文章表現もすぐれている。ただその分、難解な単語もけっこう出てきて読みづらいが、思想内容はそんなに難しくない。でも読みごたえがある。岩波文庫で読んでいる。

■2024年12月16日追記。

ネットの情報で恐縮だが、『菜根譚』は松下幸之助、田中角栄、川上哲治、吉川英治、野村克也などすぐれた人たちが愛読したとある。

■追記終。

■2024年12月20日追記。

『野村克也の菜根譚』という本がある。野球の野村監督が愛読書である『菜根譚』について書いた本だ。野村監督が印象に残った『菜根譚』の文章を、自身の野球人生での体験に基づいて解説している。私は野球は最近は見ていない。しかし野村監督が監督をしていた時代はある程度野球を見ていた。だからこの本に出てくる野球選手はだいたい名前と顔は一致する。『菜根譚』が愛読書であり、野村監督の野球評論が好きな私にとっては貴重な本だ。思想は具体例が足りないから難しい。この本は野村監督の野球人生の経験という確かな経験に裏付けされた具体例をたくさん教えてくれる。『菜根譚』を評して、次の言葉がある。

監督だけでなく、選手の立場でも、ためになる言葉は数多い。読む人の立場に応じて、それぞれ感じるものがある。不思議な古典だといえるかもしれない。

野村監督がピックアップした『菜根譚』の言葉は、私がノーマークだった箇所が多い。読んでみると「そういう意味だったのか」と思わせる。読む人が違うと感じるところが違う。

『菜根譚』は思想内容だけではなく、表現もすぐれている。対句を多用するが、単なる表現技巧上の対句ではなく、思想内容に即した対句である。

■追記終。

次におすすめなのが『言志四録』。佐藤一斎という日本人の本。幕末の少し前の本。19世紀前半。 『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』という4つの本の総称。内容は充実しているが、そんなに難しくないのでおすすめ。講談社の久須本文雄訳で読んでいる。訳は諸本あるが、あまり良くない訳もあるので、久須本訳がお勧めである。

■2024年12月16日追記。

これもネットの情報で恐縮だが、『言志四録』は、西郷隆盛、吉田松陰、坂本龍馬、渋沢栄一、小泉純一郎元首相が愛読したという。特に西郷隆盛は徹底的に読んだという。幕末という激動の時代を乗り切るうえで『言志四録』は一定の役割を果たしたのかもしれない。

■追記終。

『菜根譚』と『言志四録』は戦前までよく読まれたという。分かりすさと内容の充実を兼ね備え、間違えた事をほとんど言わないので、入門に最適。

まずこれらの五書を読む。1ページ目から順に読むのもよいが、私の場合はパラパラとページをめくって、面白そうなところから読んでいく。この五書は長文ではなく、短文が羅列されているので、どこから読んでもよい。現代語訳を読むのは当然だが、書下し文も参照してほしい。そうしないと他の書物を読むときに応用が利かない。

面白いと思ったところに附箋を貼っていく。そして大体読んだら、付箋を貼ったところだけ周回して何度か読む。

最終目的はすでに述べた部分の理解と全体の体系のサイクルを回すことである。いきなり全体は分からない。まず部分に対する理解を行う必要がある。面白いと思ったところに付箋を貼り何周もするのは、面白いと思えた「部分」を増やしていく作業である。

何周かして頭に完全に叩き込んだら、附箋を外して、他のところも読む。今度は読めるところが増えているかもしれない。また附箋を貼っていき、読み終えたら、附箋のところだけ周回していく。

そうすると中国思想は部分部分が相互につながっているので、だんだん部分のみではなく全体の体系が分かるようになってくる。部分の理解が全体の体系の理解を促し、全体の体系の理解が部分の理解を促進する。好循環の法則、弾み車の法則である。





このサイクルが発動すると中国思想の基本ができたことになる。知識が足りなくてもこのサイクルが発動すれば、基本はできたことになる。しかしここまで短く見積もっても恐らく2年はかかる。古典がスルメと言われるゆえんである。

次に読んでほしいのは『孟子』である。岩波文庫でよい。少し理想主義的にすぎて現実無視的なところがあるので、適宜こちらで補ったほうがいい。しかし古典中の古典であり、名著である。

次は『老子』。岩波文庫でいいと思う。私は新釈漢文大系と併用している。深遠な書であり、実に面白い。しかし消極的に過ぎるため、こっち側で補う必要がある。あとこの書は難しい。

次は『荀子』。とても頭の良い人であり、面白い。ただ、性悪篇という個所は間違えているので読み飛ばしたほうがいい。岩波文庫でよいと思う。

次は『孫子』。これも面白い箇所がある。岩波文庫では短すぎて逆によく理解できない。新釈漢文大系で読んでいる。

次は『韓非子』。これは挙げるべきか迷ったが、一応挙げておく。儒教からすると異端である。しかし頭がよく、面白い。ただ人間不信の本なので、面白い所だけピックアップして読むのが良いと思う。

『論語』『大学』『中庸』『菜根譚』『言志四録』はバランスがとれていて偏りや間違いが少ないので、入門に最適だが、『孟子』『荀子』『老子』『韓非子』はけっこう偏りがある。だから最初に読まないほうがいいんではないかと思っている。

私が書く文章には中国思想の引用が多いがその8割位は上記の十書からの引用である。これらを読めば私の文章はすらすらと理解できると思う。

古典を読む際に大事なのは、古典を盲信しない点である。主体は自分自身であり、古典を主にして自分を従にしてはいけない。以前書いた記事を貼っておく。リンク→

古典はスルメみたいなものである。戻すのに時間がかかる。恐らく最初読んでもあまり面白くないだろう。しかしだんだん味が出てくる。とはいえ、上記の十書を読みこなすまで短くても5年くらいかかってしまう。時間というコストがかかるので、お勧めすべきか二の足を踏んでしまう。

この十書を読んだらもう十分だと思う。専門家になるつもりだったり、私のように中国思想を勉強し続けるのであれば、もっと読む必要があるが、そうでなければ十分だろう。あとは5年に1回ほど、これまで読んだ書物を通して読み直すだけでいい。『論語』冒頭に次の言葉がある。岩波文庫訳を記載する。

書下し文
学びて時に之を習う、また説ばしからずや。


現代語訳
学んでは適当な時期におさらいする。いかにも心嬉しいことだね。

これは『論語』の冒頭ということもあり有名な言葉である。聞いたことがある人も多いだろう。昔は私は「いったい何がよろこばしいんだ??」と思っていた。本を読む人であれば5年ぶりくらいに以然読んだ本を読みなおすと、昔とは違う印象を覚えることがあるのはご存じだろう。5年間のいろいろな体験を経た後では、同じ本を読んでも印象が違う。私が挙げた十書も5年に一度くらい読み直すと、5年間の経験の蓄積で新たな発見がある。特に古典はその期待に応えてくれる。「時に之を習う」「適当な時期におさらいする」ことの意義である。

続きは『易経』、中国思想の最高峰。をご覧ください。

■作成日:2024年12月4日。


■上部の画像は葛飾北斎
「女三ノ宮」。

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