きれいな川には魚が住まない

述べたかったことは以上なのだが、最後に今まで述べたことを若干修正して終わりたい。最後にバランスをとっておきたい。

真理に従う人は真理のみに従い、他のことには労力を使わない。老子の言葉で言うと、他のことに力を用いるのは余計なことである。「余食贅行」「余計な食べ物、余計な振る舞い」なのである。

しかしそれは場合によっては非常に危険でもある。理想主義に走り過ぎることになりかねない。例えば広告は真理以外のものによる方法だ。真理自体の力で口コミで広がるのではなく、金の力で人々に宣伝するのである。しかし広告は要らないかというと必要である。

私は九州に住んでいる。九州国立博物館という博物館があり、何か月かに一度良質な企画展をしている。毎回楽しみにしている。東京に行かなくても良質な展覧会に行けるので本当にありがたい。

毎回「今回もよかった」と思うのだが、何か月かすると次の展覧会を見に行くのをほぼ毎回忘れる。街中の広告や電車の広告で「あ、次のが始まってる」と気づく。本当にすぐれたものでも知られずに終わるということはよくあるのだ。広告も必要なのである。松下幸之助『日々のことば』から引用する。

どんなに良い製品も、世の人々に知らせなければ意味がない。宣伝広告の本来の意義はそこにある。

高い給料のために働くのは真理以外の要素かもしれない。使命のために働くべきというのはよく分かる。しかし100%使命だけのために働くというのは誰にでもできることではない。松下幸之助『一日一話』から引用する。

人間には「欲と二人連れ」という言葉もあるように、自分の利によって動くという面と、使命に殉じるというか、世のため人のために尽くすところに喜びを感じるといった面がある。だから人を使うにしても、給料だけを高くすればいいというのではなく、やはり使命感というものを持たせるようにしなくては、ほんとうには人は動かない。もちろん使命感だけで、給料は低いというのでも、これはよほど立派な人でない限り不満を持つだろう。普通の人間であれば、使命感半分、給料半分というところだと思う。そのようなあるがままの人間性に則した処遇をしていくところに、適切な人の使い方があると言えよう。

松下幸之助は非常にバランスが取れている。

アマゾンは福利厚生をあえて充実させない。それに対してGoogleは福利厚生が非常に充実している。どちらが正しいのかは、私には判断できない。

真理を愛する人は、会社の使命に共感して会社で働く。使命で人を集めずに、おいしい食事だけで人を集めれば、おいしいものが好きな人が集まるだけである。使命で人を集めることが何より重要である。

しかし真理を愛する人たちも、おいしい食べ物を食べたいのであり、高い給料が欲しいのである。だから、使命が第一でありながら、福利厚生もそれなりに重視するというのが、バランスがとれているのかもしれない。

真理に従うと時に世の中の常識から外れ、困窮する可能性がある。それでも真理に従えとすぐれた人たちは言う。われわれ就職氷河期世代は、多くの人たちが経済より自由と精神的充実を選択してフリーターとなり世の中の常識から逸脱した。その結果現在も経済的に困窮し、失敗した世代と言われている。

真理だけに従うと、能力があればジョブズやベゾスのようなリーダーになれる。しかし能力がなければわれわれの世代の多くの人や私自身のように落伍者になる。

普通の道から外れるから能力があれば普通ではない大きな仕事ができる。しかし普通の道から外れるから能力がなければ普通ではない落伍者になるのである。

老子は真理以外は「余食贅行」「余計な食べ物、余計な振る舞い」と言う。老子の言葉は深遠にして、含蓄深く、参考にすべきである。しかし彼の言葉は常に極端である。中庸が執れていない。老子のことばは参考にすべきだが、従うべきとは限らない。

このシリーズの前半で権謀術数などの小手先の手段を真理以外のものとして糾弾した。しかし権謀術数を他人から仕掛けられた時に、それに引っ掛からないためにある程度習熟する必要はあるのである。

最後に『菜根譚』を引用する。

書下し文
地の穢れたるものは多くの物を生じ、水の清らかなるものは常に魚なし。故に君子は、まさに垢を含み汚を納るるの量を存すべく、潔を好み独り行うの操を持すべからず。

現代語訳
よごれた土から多くの植物が生え、清らかすぎる川には魚は住まない。であるからすぐれた人は、世間の垢や汚れを受け入れる度量を持つべきであり、潔癖に過ぎ世俗から離れてしまうような主義を持ってはならない。

真理を大切にするのは素晴らしい。真理のみを追いかけ、お金や名誉を一切追わないというのは危険だが、本当に能力のある人ならば、それにより大きな仕事をするかもしれない。しかしいずれにしても、真理のみを追いかけるのを他人にも強制するのは、恐らく悪い結果になるのではないかと思う。自分自身がストイックに真理のみに従うのは素晴らしいが、他人にもそれを強制するのは理想主義的になりすぎ「きれいな川には魚が住まない」という状況になりえる。歴史を読むとそのような失敗をした理想主義者は非常に多い。

恐らくバランスが大事なのだと思われる。長々と述べたことを最後に覆すようだが、バランスの重要性を指摘してこの文章を終わりたいと思う。

■作成日:2024年11月29日




■このページを良いと思った方、
↓を押してください。

■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。



■関連記事