ベートーベンとゲーテは実は仲が良かったという。ゲーテのほうが20歳ほど年上だが、この偉大なふたりが同時代を生き、交流があったというのは奇跡的のようですらある。ヨーロッパが、ドイツがいかに偉大であったかが分かる。
ふたりが遊歩道を歩いていた時、神聖ローマ皇帝の皇后とすれ違ったという。ゲーテは年齢的にも大人で温厚であるため、帽子をとって一礼したが、若いベートーベンは頭を下げなかったという。そしてゲーテに対し「道を開けるべきなのはわれわれではなく彼らです。」と言ったという。当時の神聖ローマ皇帝の皇后のことを私は寡聞にしてしらない。彼らは時代ともに消えてしまう。しかしゲーテとベートーベンの作品は、時代的にも地理的にも遠く離れた、21世紀の日本に生きるわれわれをも、心から感動させ続けている。
『言志録』に次の言葉がある。
書下し文
吾書を読むにあたり、一たび古昔聖賢豪傑の体魄皆死するを想えば、則ち首を俯して感愴し、一たび聖賢豪傑の精神尚お存するを想えば、則ち眼を開きて憤興す。
現代語訳
私が古い本を読むときに、昔の聖人、賢人、豪傑たちの体はみな死んでしまっていることを思えば、こうべを垂れて悲しみのあまり嘆いてしまうが、彼らの精神は今もなお滅びることなく存在していることを思えば、その眼を見開いて大いに発憤し勇気づけられる。
偉人たちとて、死んでしまう。それは悲しいことでこうべを垂れてしまう。しかしベートーベンやゲーテの精神が今なお残り、我々を感動させ続けているのを思うと、垂れたそのこうべにある両眼がカッと開き、「自分も努力しよう」と勇気が湧いてくる、ということだろう。
偉人たちの肉体は残らない。しかし彼らがつくった真理は残るのである。
逆に言うと残るのは真理のみである。真理以外は消え失せる。イーロン・マスクに次の言葉がある。
仮にアポロ計画が継続されていて、人類が火星やさらにその先まで到達していたとしよう。その出来事は、歴史の流れの中で、ほかとは比べものにならないほど重要な意味を持つと思う。人類が多惑星種になった日には、ソビエト連邦のようなものは忘れ去られるはずだ。覚えている人がいたとしても世間離れした歴史学者だけだろう。イラク侵攻のようなものは脚注にもならない。
イーロン・マスクはソ連は忘れ去られるという。私はソ連は歴史に間違いなく残ると思う。共産主義は失敗したが、壮大な実験の記録として残る。しかしマスクの言う通り、イラク戦争は一部の歴史好きだけが知る出来事になるかもしれない。いずれにしてもイーロン・マスクが言いたいことは、真理以外はすべて消えてしまうということである。
『菜根譚』に次の言葉がある。
書下し文
優人、粉を傳け朱を調え妍醜を毫端に効すも、俄にして歌残り場罷めば、妍醜何ぞ存せん。
奕者、先を争い後を競い雌雄を着手に較ぶるも、俄にして局尽き子収むれば、雌雄いずくにか在らん。
現代語訳
俳優が白粉をつけ紅をはいて化粧し、美人や醜婦をはけの先でつくりだしているが、やがて芝居の歌が終わり、幕が下りると、さっきまでの美醜はどこにあるだろうか。
碁打ちが先手後手と一手の先後を争い、勝敗を碁石を打つ手に競っているが、やがて対局が終わり碁石を片付けると、さっきまでの勝敗はどこにあるだろうか。
この言葉も真理以外はすべて消えてしまうことを述べている。スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。
墓場で一番の金持ちになったところで意味はない。夜眠りにつくとき、我々は素晴らしいことを成し遂げたと言えること。それが重要だ。
金も死んでしまえばあの世に持っていけない。金は真理ではない。金をためても何も残らない。しかしジョブズの言う通り、素晴らしいことを成し遂げれば、真理を成し遂げれば、それが後に残る可能性がある。仮に残らなくても、私自身は納得してあの世に行ける。スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名なスピーチに次の言葉がある。
人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことが ― 周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖など ― そういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずすむのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。
「本当に大事なことだけが残る」とジョブズは言う。死ぬときには真理だけが残るのである。他のものは消えてしまう。
『論語』に次の言葉がある。
書下し文
孔子曰く、誠に富を以てせず。また只に異を以てす。斉の景公、馬千駟あり。死するの日、民徳として称すること無し。伯夷・叔斉、首陽のもとに飢う。民今に至るまでこれを称す。それ是をこれ謂うか。
現代語訳
孔子が言われた。詩経には「誠に富が重要なのではなく、富とは違うものが重要だ」とある。斉の景公は馬車千台を持っていたが、死んだときには、人々は誰も彼を誉めなかった。伯夷と叔斉は飢え死にするほど貧乏だったが、死んだ後も人々は彼らを清廉の人と褒めている。詩経の言葉はこういう意味なのだ。
死ぬときは真理だけが残り、他はすべて消える。斉の景公は財産をたくさん持っていた。現代で言えば何十億何百億もの資産家である。しかしその死後はみんなからたたえられることはない。伯夷・叔斉は貧乏のあまり飢え死にした。しかしその清廉さと潔白さという真理は残り、後世の人たちからもたたえられている。
松下幸之助『一日一話』から引用する。
高野山にはたくさんの墓があります。その中で一段と目立つ立派な墓は、おおむね大名の墓だそうですが、その大名の墓も、今日では無縁仏になっているものもあるということです。昔は相当の一家眷族を養い、しかも明治になってさらに華族として、財産も保護されるという状態が長く続いたにもかかわらず、そういう変化があったということを考えてみますと、人間のはかなさというものを身にしみて感じます。やはり世の中というのは形ではない。いくら地位があり財産があっても、それはいつまでも続くものではない。結局、永遠に消えないものはその人の心であり、思想であり、この世で果たした業績である、そう思うのです。
地位や財産は時の流れで消えてしまう。残るのは心であり思想であり業績である。真理だけが残る。ゲーテとベートーベンの残した真理は残っている。しかし彼らとすれ違った神聖ローマ皇帝の皇后は後世に残らない。
『言志録』に次の言葉がある。
書下し文
当今の毀誉は懼るるに足らず。後世の毀誉は懼るべし。
現代語訳
今の世で、褒められたりけなされたりするのは恐れるに足りない。しかし後の世で褒められたりけなされたりするのは恐ろしい。
後世の毀誉褒貶が恐ろしいのは、それが真理にもとづいているからである。現在の毀誉褒貶が恐ろしくないのは、それが多くの場合、損得や好き嫌い、権力関係などにもとづいているからである。後世の毀誉褒貶が恐ろしいのは、それが最終的だからである。現在の毀誉褒貶が恐ろしくないのは、それが多くの場合一時的なものだからである。
『論語』に次の言葉がある。
書下し文
子曰く。君子は世を終えて名の称せられざることを嫉む。
現代語訳
孔子が言われた。すぐれた人は生涯を終えてから、自分の名前が称賛されないことを憂える。
孔子は何も名誉欲のとりこになっていたのではない。生涯を終えた後の名声は真理にもとづくため、死後の名声が無いということは、何も真理を成し遂げなかったことを意味するからである。
『言志後録』に次の言葉がある。
書下し文
真の功名は道徳すなわち是なり。真の利害は義理すなわち是なり。
現代語訳
本当の功績・名誉というものは道徳を培うことである。本当の利益・損害というのは真理の実現にかかわることである。
真理だけが本当の意味での功績、名誉、利益、損害になる。本当の功績とは真理の実現であり、本当の名誉とは実現した真理の大きさであり、本当の利益とは真理を得ることであり、本当の損害とは真理を失うことである。
歴史に名が残るなどというと偉人だけがなしうることだと思われる。確かにそうかもしれない。偉大な企業に勤める人でも名が残るのは創業者などごく一部の人だろう。ほとんどの人は名前は残らない。しかしその多くの人の働きのおかげでその企業が成し遂げた真理は歴史に名が残るかもしれない。われわれ一般人であっても永遠の真理に何かしらの形で貢献できる可能性はゼロではない。
スティーブ・ジョブズに次の言葉がある。
アップルのみんなを結びつけていたのは、ここなら世界を変えるようなものがつくれるってことだった。それがとても大きな意味を持っていた。
アップルで働く人たちは真理の実現に参画できるためアップルで働くのである。次の言葉もある。
うちの会社には一風変わったタイプの人が集まってくる。社運をかけた大仕事を任されるまで5年や10年も待ってられるか、という人たちだ。難しいことに挑戦したい、宇宙に少しでも爪痕を残したいと心から思っている人たちだ。
「宇宙に爪痕を残す」には真理を実現する以外方法はない。
■作成日:2024年5月29日
続きは私欲が公欲にかわるときをご覧ください。
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■上部に掲載の画像は山下清「ほたる」。